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英訳者の前書き

アンリ・サンソンとその家族の簡約年代記の英語版を刊行するにあたって、前もって所見をいくつか述べておく必要があるだろう。

現時点でこの作品がフランスのパリで発行されてから数年経っている。この作品の登場は、ありふれた処刑人の記録に向けられるような関心よりもはるかに強い関心を惹き起こした。事実、著者は独特な人物であった。彼は、2世紀にわたって、あらゆる国家の犠牲者だけではなくありふれた罪人を手にかけてきた処刑人の一族の直系の子孫であった。彼らはほぼ200年にわたって彼らの役割を果たしてきた。処刑人の役職に就く前から彼らが父から息子へと絶えることなく、絞首刑、断首刑、四つ裂き刑、そして拷問などをおこなってきたおかげで、その子孫は血塗れの仕事に従事する者たちの中でいささか高い地位を占めるようになった。サンソン家の最後の者が語るべき興味深いことを持っているに違いないということは、誰もが思うことであった。こうした考えが正しいかどうか決定するのは本書の読者である。

とはいえ年代記は主に歴史的関心で人目を引いている。そのことのみで年代記に特別な地位を与えられるだろう。間違いなく年代記は恐怖の物語として分類できるものではない。したがって、もしかすると彼自身の持論は異なっていたかもしれないが、彼はそのような物語のためにペンを執ろうとしなかったはずだと訳者は言ってよいだろう。ある程度の病的な憂鬱さをそのような種類の本から分離することは確かにできない。しかし、訳者はそうした憂鬱さをなんとか軽減しようと努めている。そうした憂鬱さは、サンソンが開陳することになる暗鬱な話と歴史的事件を絶えず関連づけることによって払拭される。

訳者はサンソンにも彼の本にも共感しておらず、サンソンのために何か主張しているわけでもない。私は年代記に先入観を抱いているわけではないが、処刑人が彼自身の体現している原理に対する嫌悪を激越で感情的な表現で示していることを賞賛しているわけではないし、サンソンが先祖のおかげだとしているさまざまな美徳について賞賛しているわけでもないと言っておきたい。たとえそうせざるを得なかったにしても、必要性もなく法にもよらずに、一個人が多くの首を斬る必要があったとは、誰でもそうだと思うが、私にはにわかに信じがたいことである。またサンソンの覚悟が悲嘆によって揺らがなかったことも信じがたいことである。

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