見出し画像

第40章 シャルル=アンリ・サンソンの日記

芽月24日[4月13日]

 今日午前10時に市民デムーランの妻の裁判は終わった。夕方5時に彼女の命と苦痛は終わりを迎えた。コンシェルジュリに到着した時、彼女はその絶望した姿ですべての者の心を動かした。一瞬、彼女は気が狂ったのではないかと思われた。そして、気休めの希望かもしれないが、理性を失ったおかげで処刑台から彼女を救い出せるのでないかと思われた。彼女の混乱した脳裏にはカミーユに再会できるのではないかという考えがあって、そうした考えに彼女はすっかり没頭していたものの、裁判では気を取り直して自分の意見を理路整然と述べた。彼女は、裁判を主宰したデュマに対して激しい感情を込めて精力的に答えた。彼女の裁判はもっと迅速に処理されていたかもしれない。エベール、ヴァンサン、そしてロンサン、すなわち互いに憎悪している3人の共謀者たちは非現実的なリュクサンブールの陰謀で告発されて3回未満の審判で裁かれていたからである。被告席には25人いた。19人が有罪判決を受けて処刑された。文筆家でパリ市当局の国務執行官のピエール=ガスパール=アナクサゴラス・ショーメット、リダの元司教でパリの司教を辞したジャン=バティスト・ゴベル、ストラスブールの聖職者民事化法推進派の司教代理で国民公会の代表のポール・シモン、駐印フランス軍の元軍医監で後に憲兵隊の大佐で西方軍の旅団長になったジャン=ミシェル・ベッセ、旧伯爵でアルデンヌ方面軍の師団長のアルトゥール・ディロン、カミーユ・デムーランの未亡人のアンヌ=フィリップ=ルイーズ・デュプレシ=ラリドン、サン=オノレ通りの聖母受胎修道院の元修道女でエベールの未亡人のマリー=マルグリット=フランソワーズ・グピル[仏文原注:エベールの未亡人は妊娠していると申告したが、衛生官のセリーとノリーの報告によって、処刑を延期する理由にはならないという決定がくだった]、フランセーズ劇場の俳優で革命軍の高級副官のジョゼフ=イシドール・ヌーリ=グラモン=ロゼリー、革命軍参謀本部の少尉の小アレクサンドル・ヌーリ・グラモン、資産家のジャン=ジャック・ラコンブ、リュクサンブール監獄の看守のジャック=フランソワ・ランベール、アルプス方面軍の曹長のアントワーヌ・デュール、公安委員会の委員のジャン=マリー・ラパリュ、裁判所の憲兵隊長のジャン=モーリス=フランソワ・ルブラッセ[仏文原注:ルブラッセは、処刑台まで国王に同行して馬車にも同乗した憲兵隊の将校の1人であった。救出の試みが少しでもあれば不運な君主を刺すように命令を受けていたと言われている]、弁護士のマリー=マルク=アントワーヌ・バラス、商船長のギヨーム=ニコラ・ラサール、アルトワ伯爵の近侍将校でサン=ドミニクの技師のジャン=バティスト=エルネスト・ブシェリである。彼らとともに、馬匹商でルール方面軍の大隊の元指揮官のエティエンヌ・ラゴンデとペリグー監督委員会の書記のルイ=ジョゼフ=アントワーヌ・ブロサールが両人とも共和国に対する市民の忠誠心を損なう発言をしたことで裁判所第二法廷によって有罪判決を下されて処刑された。市民ショーメットは哲学者という称号を裏切らなかった。彼は毅然とした態度といつもと変わらない平然とした表情で悲運を耐え忍んだ。時に彼は群衆に呼びかけたが、その話しぶりはいつものように巧みであった。旧体制下でそうであったように共和国の下でも群衆は気まぐれで忘れやすかった。4ヶ月か5ヶ月前には市民ショーメットは今はもうなくなってしまったがサマリテーヌの時鐘をパリ市民のために取り替えたことがあった。余所者たちがまず思いついたことは彼の説教を聞きに行くことであった。群衆は市役所の扉でひしめき合っていた。今日、その熱狂していたのと同じ群衆が彼に野次を飛ばしている。とはいえ彼の言葉の中には心動かされるものもあった[仏文原注:弁護の際にショーメットは自分の経歴を手短にたどっている。「私は誠実な職人の息子であると言いたいと思います。13歳で私は海に出ました。私は見習い水夫から始めて操舵手になりました。アメリカ独立戦争が終わると、私は祖国で自由は確立されるのを見たいと願いました。貴族や聖職者、特に司祭に迫害されたので私は文芸の世界に身を投じました。私は[フランス南部の]アヴィニョンに行きました。そこで私は町の新聞で働きました。それから私は時には[フランス西部の]ブレスト、時には[フランス北部の]カレー、[フランス南部の]マルセイユにも行きました。私はどこでも哲学に裏打ちされた記事を提供してきました」
「革命時に出身県(ニエーヴル県)に戻った私はサン=キュロット派に加わりました。私は国民軍の将軍たちを非難しました。結局、彼らは亡命してしまいました。[フランス北部の]ナンシーで死んだ愛国主義者たちのために弔辞を作ってほしいと同朋市民から依頼されました。私はブイエについて描写して正体を暴きました。ラファイエット非難する小冊子を投入しました。私がパリに来た時、ルスタロはまだ生きていました。プリュドムは私を歓迎してくれました。私は『レヴォリュシオン・ド・パリ紙』で8月10日まで働きました。この記念すべき時に取った私の行動について誰もが知っています。それから私は人民によってパリ市当局に招かれ、私がどのように人民の権利を擁護したかはよく知られています。今、裁判所は私の運命を宣告しようとしています。私は心穏やかに私を待ち受ける運命を受け入れるでしょう」(カンパルドン『革命裁判所の歴史』第1巻)]。ゴベルの態度はかなり違っていた。不運とともに後悔の念が彼の身に降りかかり、彼はかつて自分が否認した神にずっと哀訴し続けた。彼は、教義の放棄を強く拒んでいた元助任司祭の市民ロトリンゲルに罪の懺悔をしていた。書記課控室で元司教は跪いて自分が犯した悪行の赦しを大声で求めた。彼はショーメットに教義を説こうとした。ショーメットは言い始めから彼の言葉を遮って「あなた自身の信条に従って死んでください。私は私の信条に従って死ぬでしょう。もし神がいるなら、私が善意から犯したあやまちを赦してくれるはずだが、恐怖から嘘をつけば私を赦してくれないでしょう」と平静に答えた。ベッセは最期の瞬間まで完全に無頓着な様子だった。市民デムーランの妻は判決後のわずかな時間を使って、まるで今日が新たな婚礼の日であるかのように装った。彼女とエベールの未亡人は看守の詰め所に預けられて出発の時間までそこにいた。そこで我々は彼女たちの身繕いをした。エベールの未亡人は号泣していた。それとは正反対に市民デムーランの妻は微笑んでいた。彼女は夫の仇敵の妻を何度も抱きしめた。彼女はエベールの未亡人を慰めるためにあらゆる努力をした。馬車に乗り込む時にディロンが市民デムーランの妻のほうへ近づいた。彼女は、自分が夫の死の原因を作ってしまったことをひどく後悔していると言った。ディロンは、それはせいぜい口実にしかならなかったはずだと答えて、若く魅力的な女の運命を哀れに思った。市民デムーランの妻は彼の言葉を遮ると「見てください。私の顔は慰めを必要とするような女の顔ですか。8日前から私にはカミーユに会いに行くというたった一つの願いしかありません。この願いは実現するでしょう。私は自分を有罪にした者たちを憎むことはないでしょうが、最も誠実で善良な夫を殺害したことで憎みます。ただ彼らが今日、私のために役立ってくれるので祝福するでしょう」と叫んだ。それから彼女はディロンに別れを告げたが、心を乱した様子はなく、すぐに再会できる友人と陽気に別れるような様子であった。ディロンは1台目の馬車に乗り、市民デムーランの妻はグラモン=ヌーリ、ラクロワ、ラパリュ、ラサール、エベールの未亡人とともに2台目の馬車に乗った。道中、彼女はうら若い2人の市民と話していた。ラパリュは26歳であり、ラサールは24歳であった。彼女は何度も愉快そうに冗談を言って彼らを笑わせた。彼らの会話は、エベールの未亡人の涙と下劣に言い争うグラモン親子によって邪魔された。息子は、言われたとおりにしてきたせいで死ぬはめになったと父親を非難した。恐怖で心を鷲掴みにされて激昂したせいで若者は父親を悪党と呼んだ。そこで市民デムーランの妻は「あなたは馬車に乗っている[マリー=]アントワネットを侮辱したそうですが、それには別に驚きません。しかし、あなたはこれから我々が立ち向かおうとしている死という女王のために元気を少しでも取っておいたほうがよろしいのではないでしょうか」と言った。小グラモンは悪罵で答えた。彼女は気分を害したようで顔を背けた。彼女は自分の順番になるとやや青ざめながらも[処刑台に]勇敢に上がった。アダン・リュクス[第33章参照]のように彼女は、あの世で愛する者の魂が待ってくれているという信念を抱いて逝った。ディロンは「国王万歳」と叫んだ。心が和らいだ大グラモンは息子を抱きしめようとしたが、息子は父親を押しのけた。

芽月25日[4月14日]

 今朝、市民デムーランの妻の髪を彼女の父母に送った。私は、たまたまサン=ジャック門で見つけたサヴォイア人に包みを渡した。私はサヴォイア人と長く会話を交わして、彼は私の正体について知らず、異物を送った者が誰か名前を教えられないはずだと確信した。彼らは私に何か感謝をしなければならないと思っただけで怖気をふるうだろう。処刑人と呼ばれる者でもほかの者たちと同じような感情を抱いていると市民デュプレシに明かしても虚しい自己満足にしかならず、私自身が姿を現すことで不幸な父母の悲痛を邪魔するまでもないことだ。彼らはそれなりの量の娘の髪を受け取ったに違いない。というのは彼女が前髪と横髪を切っていたことを私は知っていたからである。本日、処刑されたのは、祖国の防衛者たちに靴を供給する際に不正を働いたモンタルジ在住のアンリ・モリセ、その共犯者でモンタルジの町の検事のピエール・ボスュ、フランス国民の主権と自由に対して陰謀を企てたことで有罪になった旧貴族でフランス衛兵連隊の大尉のジャック=アントワーヌ・ド・ラ・バルベリ・ド・ルフリュエ、王政復古を助長する反革命的な文書を販売したことで有罪になったパレ=エガリテ[パレ・ロワイヤルのこと]の本屋のフランソワ・シャルル=ガレである。

芽月26日[4月15日]

ここから先は

22,253字

¥ 100

期間限定!PayPayで支払うと抽選でお得

サポートありがとうございます!サポートはさらなる内容の充実によって読者に100パーセント還元されます。