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ビリー・ザ・キッドの真実の姿―第11章 フォート・サムナー訪問

※ミゲル・アントニオ・オテロ『ビリー・ザ・キッドの真実の姿』に関する詳細は『ビリー・ザ・キッド史料アンソロジー』についてでまとめています。

ビリー・ザ・キッドの足跡を追う旅の第二部で我々はフォート・サムナーに立ち寄った。そこまでに向かう途中、我々はロズウェルを通った。キッドが生きていた頃、そこの人口はわずか12人であった。ビリーはブレイディ殺害事件の後、そこに身を寄せていた。現在、ロズウェルは7,000人から8,000人が住む魅力的な繁栄した町になっている。間違いなくメキシコ南東部の大きな都会であり、全盛期の70年代から80年代初期までこの乱雑な地域に法と秩序をもたらすのに大きな役割を果たした町である。

フォート・サムナーに到着した時、我々は、住民であり我々の古い友達であるオリー・B・イーリックソンの案内でキッドについて知っている人々に会いに行った。我々が訪問したのは、マクスウェル払い下げ地の元所有者ルシアン・B・マクスウェルの娘であるホセ・ジャラミロ夫人である。払い下げ土地の権利を売り払った後、ルシアン・B・マクスウェルは、ナバホ族とアパッチ族を農業に転向させる実験に使われたボスケ・レドントの跡地を 政府から購入した。フォート・サムナーは、インディアンを監督するために配置された兵士たちの駐屯地とする目的で建設された。計画が廃棄された後、土地と建物は競売にかけられ、ルシアン・B・マクスウェルによって購入された。

キッドがしばしばフォート・サムナーを訪れたのは、マクスウェル家の人々と友好関係があったからである。私が話したかったのは、ジャラミロ夫人、すなわちポーリタ・マクスウェルである。彼女がキッドを知った時、彼女は10代の若く魅力的な女性であった。マクスウェル家の人々と友人になって以来、ビリーはしばしば彼らの家を訪れ、ポーリタと自然に知り合うようになった。

ジャラミロ夫人はリュウマチに冒されていたが、私の訪問の目的に非常に関心を持ち、ビリー・ザ・キッドが葬られている古い軍の墓地まで同行することに同意した。フォートサムナー周辺の土地は灌漑が行き届いている。 道は、豊かな実りをもたらす果樹園と市場向け菜園の間を通っていた。

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