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第35章 シャルル=アンリ・サンソンの日記

霧月26日[1793年11月16日]

 今日、連邦主義派[地方分権を目指す一派]の議員たちの陰謀に加担したせいで法による庇護を剥奪されていたカーンの市民キュスィが処刑された。キュスィとともに旧高等法院の元法院長のジルベール・ド・ヴォワザンが愚かにも亡命先からパリに戻ったために処刑された。身繕いの間に誰かが、もし金貨や銀貨を鋳造するのに巧みなキュスィを処刑することになれば、それは共和国が紙幣以外のお金を望んでいないという確かな証だと声高に言った。彼らに続いて[処刑された]北部方面軍の元総司令官のウシャールは一兵卒のように縮み上がるようなことはなかった[仏文原注:ウシャールはダンケルク[英仏海峡に臨む港町]を引き渡す見返りにヨーク公爵から300万フランを受け取ろうとした嫌疑で告発された。 彼の弁明は簡潔かつ決定的であった。「私は常にフランス革命の成功に身を捧げてきました。一介の中尉から総司令官にまで引き上げてもらった私が国家を裏切って敵に寝返ってもいったいどのような利益があるのでしょうか。むしろ敵は損害を与えた私を八つ裂きにするでしょう。私は誤ちを犯したかもしれませんが、誤ちを犯さない将軍など存在するでしょうか。ただ私は裏切り者などではありません」(『革命裁判所報告』第93号)]。

霧月27日[11月17日]

 偽造者たちは我々に仕事を与え続けた。我々はさらに2人の偽造者[仏文原注:織物商のアレクシ=ルイ・ロジェと第6騎乗猟兵連隊の士官のジャン=バティスト・クラヴォ]を革命裁判所に連行した。偽造のせいで無実の者たちが[命]危険にさらされている。すなわち偽造者たちはとても巧妙であり、本物の紙幣と偽物の紙幣を区別することは難しい。したがって、だまされた多くの人びとは、自分が受けた損失を他人に押し付ける誘惑に抗えない。夜、ティクゼランドリ通りで私はパリ市当局に向かう女たちの一団に遭遇した。ほぼ全員が赤い帽子をかぶっていた。大勢の群衆が彼女たちの後に続きながら野次のように聞こえる喝采を上げていた。私もほかの人と同じく彼女たちの後に続いて歩いた。というのは私は、彼らが抗議している理由に関心があったのでそれを知りたかったからだ。市民ニコラ・ルリエーヴルと会った。彼は私を市庁舎に迎え入れた。2人の女がすでにそこにいた。彼女たちの衣服も物腰も市民ショーメットのお気に召さなかったようだ。ショーメットは彼女たちに分別を説いて家に戻らせた。


霧月28日[11月18日]

 今朝、我々はコンシェルジュリに行った。私が書記の控室にいた時、尋問のために召喚される2人の市民が通り過ぎた。そのうちの1人が私に近づいてきて慇懃無礼な態度で話しかけてきた。それは市民ボワギュイヨンという軍人であった。
「私がお話しできるという栄誉を授けていただいているのは市民の処刑人氏でしょうか。市民よ、あなたの職場は舞踏場みたいなものではありませんか。あなたが位置につくとすぐにヴァイオリン、すなわちギロチンの刃が前奏を始めるのでろくに話す暇もないでしょう」
 私はそうだと答えた。
 それからボワギュイヨンは同行者に向き直ると言った。
「デュプレ、私が正しかったとわかっただろう。それに君は役をうまく演じきれないとわかっているはずだ。我々はそこの市民に稽古を指導しに来ていただけるようにフーキエに頼まなければいけないよ」
 憲兵たちが彼らを連れ去った。しかし、我々は去り際に彼らが笑うのを聞いた。彼は極刑が囚人たちの気晴らしになっているという滑稽な状況について言及していた。そうした者たちの愉快な様子は私にとって空恐ろしいものだった。
 今日、憲法制定会議の元代表の1人でありサント=メヌー[仏原文はSainte-Ménehould、現Sainte-Menehould。サント=ムヌーはフランス北東部にある町。]出身のニコラ=ルミ・ルスウールと敵のために兵を募った1人の傷痍兵[ 仏文原注:フランソワ・プリ、通称サン=プリ]が処刑された。

霧月29日[11月19日]

 8月10日[の事件]に協力した士官のデタール・ド・ベルクールとテュイルリー宮の元使用人のシャルル・デュパクの2人の罪人[を処刑した]。特に何もなし。
 今日、霧月30日[11月20日]、「統一」という名前で知られている部隊が元サン=ジェルマン=デ=プレの聖遺物を国民公会に運んで来た。私は行列が通り過ぎるのを見た。行列の先頭には軍の一隊がいて、その後に聖職衣を重ね着した者たちが二列になって続いた。行列の中頃には三色のベルトに白衣を着た女たちと娘たちがいた。そして後尾に荷台に乗せられた聖杯、聖体器、聖体顕示台、枝付き燭台、金銀の皿、そして貴石で全面が覆われた聖遺物収納箱が続いた。一番最後に黒い布に覆われた棺台とマルブルーク[仏文原注:私は[祖父の]綴りを尊重している[仏原文はMalbrouk、chanson de Malbrouckのこと、日本では「マールボロは戦場に行った」という名で知られている]]の旋律を奏でる楽隊がやって来た。こうした鹵獲品は100万フラン以上の価値があると言われている。しかし、鹵獲品を川を渡らせずに金庫に納めることはできなかったのか。革命裁判所は我々に休暇を与えた。そうしたすばらしい日は稀になりつつある。

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