第7章 オルン伯爵
アントワーヌ=ジョゼフ・ド・オルン伯爵[フランドル伯、摂政オルレアン公フィリップの親戚にあたる]は王族の末裔であり、ヨーロッパの最も高貴な貴族とつながっていた。ロー[スコットランドの財政家、ルイジアナ開拓のためのミシシッピ計画を企画するが失敗した]の監督の下、投機がパリで加熱して、優れた地位と出自を持つ多くの者たちが利得の誘惑に惑わされていた頃、オルン伯爵は奢侈に耽る若い貴族の生活を首都で送っていた。したがって、オルン伯爵がシュヴァリエ・ド・ミルと呼ばれるピエモンテ[イタリア北西部]人と名前がわからない第三者と共謀して、王立銀行の株に投資していたユダヤ人を10万リーヴルが入った紙入れを奪うために殺害したという重大な告発で逮捕されて収監されたという話が広まった時に起きた騒動は容易に想像できる。殺人はカンカンポワ通りの宿屋で起きた。オルン伯爵と共犯者たちは、紙入れにある株式を奪おうと考えて購入するふりをしてユダヤ人とそこで会う約束をしたようだ。
この事件の結果、宮廷に大きな混乱が起きた。告発されている者が上流階層であっただけではなく、大陸の最も高貴な貴族たちとつながりがあったからである。ド・オルンの裁判は異例の速さで進められた。それはまるで若い男の命を救うために講じられる多くの措置が彼の運命を助長しているかのようだった。彼の両親は拘束を聞きつけるとすぐに彼のために八方手を尽くした。裁判の前日、彼の親族は大挙して裁判所に集まり、法官たちが通り過ぎたら挨拶するために待った。それは法官たちに被告に対して寛大さを求める間接的な方法だった。フランスの第一級の貴族たちによる人目を引く示威行為も何も効果がなかった。法廷はオルン伯爵とシュヴァリエ・ド・ミルを死ぬまで刑車にかける判決を下した。
若い男の友人たちと両親は、こうした判決に恐怖と驚愕を抱いた。彼らは摂政に請願[仏原文の第2巻185頁~189頁に請願の全文が掲載されている。仏原文によると、シャルル・サンソンは摂政の愛人であるパラベール夫人から請願について聞いたという]を送った。請願には、オルン伯爵の父は狂人であり、親族のフェルナン・ド・リーニュ公も同じような状態であり、彼の家系では狂気がありふれた病気になので若い男も狂気のせいで罪を犯したに違いないと書かれていた。クロード・ド・リーニュ公、ダルクール侯爵、エグモン伯爵、ド・ラ・トレムイユ公爵、ド・ラ・フォルス公爵、カンブレー大司教、スービーズ公、ゴンザグ公、そしてそのほかにも同じような階層の多くの者たちが請願に署名した。この請願で証拠として提示された事実は確かに信頼できるものであった。偉大なオルン家とオベリスク家には多くの精神疾患の例がある。請願の署名者は一団となってパレ・ロアイヤルに赴いた。しかし、摂政は1人の代表しか迎え入れなかった。彼は恩赦の話題に頑として応じず、減刑の約束を彼から引き出すのはとても困難だった[この一文は英訳が不明瞭なため仏原文を翻訳した]。彼は母のパラティン公女を通じて罪人とつながりがあることを思い出して心動かされただけだった。彼がどのようにして約束を守ったかは後で示すことになる。
摂政の頑迷さについて十分に説明しておきたい。個人的な悪意が原因だと言われている。ド・オルン氏は若く優美にして魅惑的であり、いわゆる女殺しであった。道徳はオルレアン公フィリップの宮廷の際立った性質ではなかったが、今をときめく美女たちは外国の若い貴族に特別な好意を寄せたと言われている。パラベール夫人の名前がとりわけよく取り沙汰されていた。オルン氏が美しい侯爵夫人と話しているのを見て摂政は驚いたそうだ。怒り狂った摂政は、オルン氏に扉を指し示すと「失せろ」と言った。それに対して伯爵は「我々の先祖であれば、出て行ってくださいと言ったでしょうね」とまさにふさわしい答えを返した。このような出来事が真実なのか捏造なのかはわからないが、摂政のオルン伯爵に対する憎悪の原因となっていたらしい。摂政はオルン伯爵の命を生贄にすると誓っていた。この問題について論じるのは私の役目ではない。最も確実なことは、財相のローと宰相のデュボアがオルン伯爵の仇敵だったということだ。王立銀行の株式とミシシッピ事業の勢いは減衰していた。株式を奪う目的で犯された殺人罪を厳しく処罰して見せしめにすれば、きっとそれも改善されるの違いないと期待するを抱く者たちがいた。
その直後、シャルル・サンソンはクレキィ侯爵の訪問を受けた。クレキィ侯爵は不幸な若者を救うためのあらゆる試みに関する調査ととりまとめを担っていた貴族である。彼は摂政が約束を守ると確信しているようであり、オルン伯爵が斬首されるという見解[斬首は貴族の特権なので同じ死刑であっても温情措置だと考えられる]を表明したド・サン=シモン公爵の手紙を示した。侯爵は、群衆の前に罪人を引き出して恥辱を与えないようにするためにコンセルジュリ[パリのシテ島西北部にある高等法院管轄の監獄・裁判所]の法廷で処刑を執行すると摂政殿下が約束したと付け加えた。クレキィ氏は、処刑に使用する剣を見せてほしいと望んだ。輝く鋭利な両刃の鋼の大剣をわが先祖が見せた時、クレキィ氏は青ざめた。それは武器という栄誉ある名前を与えられないようなものだった[この二文は英訳が不明瞭なため仏原文を翻訳した]。片面にはユスティティア[Justitia、古代ローマの正義の女神]と刻まれていて、もう片面には拷問の象徴である刑車が刻まれていた。これこそシュヴァリエ・ド・ローンを斬首した剣である。
クレキィ氏は、恐ろしい職務の執行に際してできる限り寛大であるように努めて、犠牲者の首だけをさらすようにして、致命的な一撃を加える前に聖職者による罪の赦しを受けられるようにしてほしいとシャルル・サンソンに懇願しながら泣かずにはいられなかった。
会話は遺体の引き取る方法に向けられた。クレキィ氏は家族のために遺体の引き取り方法について述べた。ド・オルンの遺体を詰め物入りの棺に収めて、特別に用紙した馬車で運び出したいとクレキィ氏はわが先祖に要望した。シャルル・サンソンは、こうした痛ましい詳細事項がきちんと実行されるように見届けると約束した。
立ち去り際にクレキィ氏は要望の対価として100ルイを取り出すと、贈り物だと言った。しかし、シャルル・サンソンは固く受け取りを拒んだ。クレキィ氏は感動した様子で立ち去った。長年にわたって私が占めてきた職務を先に遂行していた者の公平無私な態度について自己満足とともに力説してもかまわないだろう。それは、この血に飽き足りていないように見える職業に対して向けられた貪欲だという非難への答えだと考えられるかもしれない。
クレキィ氏の訪問から数時間経ち、シャルル・サンソンは、翌朝6時にアントワーヌ・ド・オルンをコンセルジュリからグレーヴ広場に護送して、拷問室を経た後、残虐な文面どおりに高等法院の判決を執行せよという命令を受けた。わが先祖の予感は正しかった。摂政は約束を守らなかった。ローとデュボアは、サン=シモン公爵とクレキィ公爵よりも1日先んじていた。
わが先祖は、四肢を粉砕する前に罪人を窒息させるように処刑人に命じることによって罪人の恐ろしい苦痛を救う隠し縄[仏原文はretentum、目立たない細い縄のこと。BL31頁~32頁参照]に関する秘密規定が判決に含まれていないのを知って驚いた。どうすればパラベール侯爵夫人との約束[仏原文第2巻159頁~173頁によれば、1720年3月23日夜、ヴェールで顔を隠したパラベール夫人が公園の中を歩いていたシャルル・サンソンと接触して会話を交わしたという。パラベール夫人は「この無実の犠牲者の血であなたの剣が赤く染められることになれば、ああ、お願いですから彼が神のみもとに参る前に神の名前を耳元でささやいてほしいのです。私が最期の瞬間まで彼のために祈っていること、彼を救うためにあらゆる手を尽くしたこと、そしてもし彼が死んだら私は決して慰められることはないとお伝えください」と依頼している。それに対してサンソンは「あなたの願いを忠実に実現するようにします。もし神がお喜びになるのであれば、オルン伯爵をこの手にかける時、できるだけ苦痛がないように努めて、彼の形見をあなたに渡します」と答えている。BL30頁参照]とクレキィ氏に請け合ったしたことを守れるだろうか。この悲しい夜に起きたことは、わが家系に何度も起きたことだ。夫の苦悩に寄り添っていた哀れなマーサ・デュビュは祈り始めた。そしてシャルル・サンソンは、恐ろしい仕事をしなければならなくなる運命の夜明けをみじめな苦悶の中で待った[この三文は仏原文から補って翻訳した]。
わが先祖が不吉な随員とともにコンシェルジュリーに到着したのは真昼間であった。彼はすぐに牢獄に入り、拷問を受けたばかりのオルン伯爵とミル氏が収監されている下層の部屋に案内された。両人は8番目の足責め刑具[仏原文はhuitième brodequin、編み上げ靴という拷問器具]まで使われてひどく切りさいなまれていた。伯爵は極度に青ざめていた。彼は憔悴した雰囲気を周囲に漂わせていて、同朋に話しかけ続けていた。同朋はずっと観念した様子であり、慰めの言葉を述べている聖職者に敬虔に注意を払っていた。オルン氏は、受けたばかりのいまわしい苦痛に通常であれば伴う虚脱状態に陥る代わりに、激しい身振りをして支離滅裂の言葉を発した。そうした支離滅裂な言葉は、彼は精神疾患を患っているという弁護を裏付けるもののように思われた。彼は、苦痛を受けている2人に注意を振り分けている聖職者を乱暴に押しのけて、前日に聖体拝領を受けたバイユー[フランス北西部の町]の司祭であるフランソワ・ド・ロレーヌ氏を繰り返し求めた。
運命の瞬間が到来した。罪人は処刑人の馬車に乗せられた。シャルル・サンソンは伯爵の隣りに腰を下ろした。その間、聖職者はピエモンテ人[ミルのこと]に話しかけ続けていた[以下、この部分から処刑が終わるまで仏原文から翻訳する]。不幸な若者の極度の興奮状態を見たわが先祖は、彼の瞳に一条の希望の光を差し込ませることで彼を落ち着かせようとした。たとえ偽りの微光が落胆に変わるだけだとしても。
シャルル・サンソンは「殿下、希望がまだあるかもしれません。あなたの親戚は力を持っていますから」と囚人に言った。
彼はサンソンにみなまで言わせず「彼らは私を見捨てたんだ。司祭、司祭はどこだ。司祭は戻って来るはずだ」と狂おしく叫んだ。
「今この瞬間にあなたのために祈ってくれる女[パラベール侯爵夫人のこと]がいます。彼女は祈っているだけではないかもしれません。彼女の腕は強力です。きっと彼女はおとなしくしていないでしょう。私が彼女が絶望に打ちひしがれて涙を流しているのを見ました」
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