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第48章 私の教育

 前章で述べた家庭内の不幸の後、私の子供時代は幸福で平和であった。わが祖母は祖父よりも長生きして、母とともに家事を担っていた。我々は世間との関わりを絶って生活していたが静かで楽しかった。毎週日曜日になると、ごく限られた数の友人たちだけが我々に会いに来た。しかし、その数は日を追うごとに減少した。

 母の旧姓について言及していないことを許してもらいたい。母は我々の稼業とは無関係な家系に属していた。母方の家系の人びとは、もし私が血縁関係をばらすと不快に思うかもしれない。母方の家系を隠しておけば、私の孫たちは自分たちの出自に気づかずにすむだろう。彼らは私の名前も私がどのような者だったかも知ることがないからだ。私には息子がいたが死んでしまった。したがって、サンソンの家名は私の死とともに消えるだろう。それは我々の職務に対して向けられた非難の中で最も残酷な結果かもしれない。ただそうした非難は軛から解放されて隠棲した後も我々について回ったのだ。ヴェネチア共和国のブラヴィ[仏原文はbravi(イタリア語)、政府の命令で動く刺客]は正体を隠すために仮面をつけていていた。我々にはそうした恩恵が与えられていない。

 私に最初に教育を施してくれたのは母だった。それから私は年老いた神父[仏原文ではabbé C......となっている]の手に委ねられた。神父が母の仕事の続きをした。私の教師は親切であり思慮深く聡明であった。私は彼の死を大きな不運だと思った。老人の死は両親に困惑をもたらした。両親は私の教育を中断するべきではないとわかっていたからだ。とはいえ両親は私を学校に通わせることをためらっていた。もし学校で出自が明るみに出れば、私は学友たちから軽蔑されたり冷たくあしらわれたりする恐れがあった。私自身も父の職業をずっと知らなかったと付け加えなければならない。同じ職業に就くかもしれないと考えられていたが、その秘密はずっと隠されていた。私の教育を続けられたのは母のおかげだ。父はブリ=コント=ロベール[パリの南東にある町]の古い農場を売却した。母はパリの郊外にあって学校の近くにある田舎家を購入するように父を説得した。首都の郊外には学校がたくさんあった。ブリュノワ[パリの南東にある町]が選ばれた。父はそこにある小さな屋敷を買った。購入はロンヴァル氏という名前でおこなわれた。私は祖先の名前を使って学校に通った。

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