第23章 国民議会への要望書
ここでわが祖父が国民議会の前で市民の権利を擁護した話に戻ろうと思う。前述のように1789年12月23日の会期で彼の請願は議論された。それから下された決定は、私自身の考えでは満足できるものであった。しかし、わが祖父は異なった見解を抱いた。国民議会に権利を認めてもらうためにシャルル=アンリ・サンソンが何をしたか述べる前に、この最初の会議で起きたことについて述べるほうが関心を引くかもしれない。
処刑人の主張を支持する国民議会の代表の1人がクレルモン=トネール氏であった。彼は次のような持論を表明した。
「職業には悪い職業もあれば良い職業もあります。もし悪い職業があれば、国家はそれを抑制するべきです。もし良い職業があれば、それは良く思われるべきでしょう。さまざまな職業の中で私が一息で一緒に言いたくないような職業が二つあります。しかし、立法者の前では善悪は区別されるべきではありません。私は処刑人と俳優について言及しています」
「こうした二つの職業のうち処刑人に関して、我々は偏見に対処しなければならないと私は言いたいと思います。兵士が死刑宣告を受けた場合、その兵士に手を下す者は不名誉だとは思われません。法が命じることはすべて公正なことです。法は罪人に死を与えることを命じています。処刑人は法に従っているだけです。もし法が『これをせよ。ただもしおまえがこれをすれば不名誉で覆われることになるだろう』と処刑人に言えば、それは馬鹿げたことでしょう」
モーリー神父[フランスの聖職者、三部会で王権を擁護する論陣を張ったが、国民議会の解消とともにローマに移る。後にナポレオンによってパリの大司教に任命された]はそれに異論を唱えた。
彼は「公平な扱いから処刑人を除外することは偏見に基づいているわけではありません」と主張した。「冷血にも同胞を殺す者を見れば、あらゆる誠実な人間は身震いするでしょう。法がそうした行動を求めていると言われますが、法はその者に処刑人になるように命じているのでしょうか」
目鼻立ちのはっきりした話者が青ざめた顔で演壇に登って以下のように言った。
「この国民議会では、法にとって必要な職務に法によって汚名を着せるようなことを決して言うべきではありません。そのような法は変えなければなりません」
この話者はマクシミリアン・ロベスピエールであった。処刑人を支持する2人がどちらとも法を非難して処刑人を擁護したことは特筆に値する。法と職務は互いに結びついていて、他方に汚名を着せることなく他方を非難することは不可能である。もしロベスピエールとクレルモン=トネールの意見が国民議会によって採択されていれば、極刑の廃止によって革命の血なまぐさい光景は避けられていただろう。こうした重要な問題が国民議会の前に提起されたことを知ることは興味深いことだろう。ほかならぬマラーとロベスピエールが極刑の廃止を熱心に唱えていたことは人間の心の急変を示す好例だろう。
シャルル=アンリ・サンソンは国民議会に正式な要望書を提出した。前に弁護を務めてくれたマトン・ド・ヴァレンヌ氏の仲介によって彼は、宮廷裁判所の執行人である弟のルイ=シル=シャルルマーニュ・サンソンと地方の同業者の連名で要望書を提出した。この要望書は完全に忘れ去られているが、私は言及せずにすませることはできない。私はその中で表明されている意見に共感するわけではないが、昔の処刑人たちが自分たちの職業についてどのように考えていたのかわかるだろう[以下、仏原文から要望書を全訳する]。
「これから我々が読み上げようとしている要望書は単なる正式な手続きを踏んだ要望書ではない。不名誉な汚名を着せるような誤った偏見の対象になっていて、本来、重大な過失のみが対象となるような恥辱、屈辱、軽蔑を耐え忍びながら暮らしている者たちの不満の表明である。不幸にも必要とされているだけなのに、同胞市民から不公正な扱いを受けて故国の父祖たちの目に涙を流させ、自然と法によって認められるべき不可侵の権利を求めている者たちの苦情の申し立てである。すなわち、品位ある国民議会の代表たちに対する心からの忠告である。我々は先の12月24日の法令に必要な解釈を下すように求める」
「国民議会の代表たちをいつも誹謗中傷している文筆家[ 編者による原注:前章で述べた訴訟に関与した文筆家の1人に言及している。]が言っているように、重罪判決執行人が市長の次に位置するのか、それとも王国のさまざまな町で国民衛兵の指揮官を占めることがでいるのかは国民議会の法令や人民にとって問題ではない。国民議会が重罪判決執行人の市民権について議論して、重罪判決執行人を不当にも傷つけた偏見と戦わなければならない時に、誹謗中傷によって重罪判決執行人を雇っている国民議会の名誉が損なわれている。しかし、執行人が市会で被選挙権を得られるか否か、国民議会で執行人の有益な助言が得られるか否か、さらに執行人が市民権を得られるか否かは重要な問題である。この問題に関する肯定的な答えは、偏見という専制的な帝国に判断力を支配されている脆弱な精神の持ち主にのみ疑念を生じさせるだろう」
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