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『ロラン夫人回顧録』第二部⑥

私の肖像を何度も素描してもらったり絵に描いてもらったり彫ってもらったりした。そうした似絵はどれもが私の人格を十分に伝えるものではなかった[ラングロワのカメオが一番ましである(ロラン夫人の注釈)。P注:ジェローム・ラングロワは細密画家であり[ジョセフ=マリー・]ヴィアンの弟子である。1792年12月と1793年1月に「肖像画集」を製作し、その中にはデュムーリエの肖像画も含まれていた(『ヌーヴェル・ポリティーク紙』1793年4月4日付)。こうしたことからすると、彼が製作したというロラン夫人の「カメオ」とは、数枚の複製を作った細密画のことだろう。ロラン夫人は1792年12月25日にセルヴァンにそのうちの1枚を送り、もう1枚をビュゾーに渡し、そしてこの文章を書いていた時にロラン夫人は3枚目を牢獄で持っていたと考えられる。またビュゾーに送られた複製は、現在、国立公文書館に保管されているメダイヨン(陳列棚125)だと推定される。ローラン夫人の肖像画については『書簡集』第2巻補遺、788頁を参照せよ]。それをうまく把握することは難しいことである。なぜなら私にとって大事なのは姿形よりも魂であり、顔の造作よりも表情だからだ。平凡な画家ではそれを表現することはできず、認識することさえできないだろう。私が相手によってどれくらい心を動かされるかが異なるように、私が相手にどれくらい興味を抱くかで、私の表情が活気を帯びるかどうかが変わる。愚かな者たちの中にいると私は自分も愚かな者のように思えたが、賢明な者たちと十分に応対できる能力が私にあることがわかると、結局、礼儀正しい態度を保つ限り、私がどのように思うかは相手の能力によるのだとわかった。私はいつも感じ良くふるまった。誰かの気分を害したくなかったからだ。ただ誰もが私のことをすばらしいと思ったり、優れた存在だと認めてくれたりしたわけではなかった。長い年月をかけて獲得したわずかな知識を見せびらかしたくて仕方がない自惚れ屋の老人は、たとえ私のことを10年以上見ていても、勘定をつけたりシャツを縫ったりすること以外に私が何か知っているとはつゆほども疑わないだろう。カミーユ[P注:カミーユ・デムーランは1793年1月に「ロランの食卓には飢えた代表たちしかおらず、その場にいるキルケがバルバルーの仲間たちを豚に変える方法しか知らないと信じられる者がいるだろうか。彼女はその年頃でたいして美しくもないのにほかの魔術を駆使していたとすれば、きっとたいした魔法使いだったに違いない」と書いている(『ブシェ・エ・ルー』第23巻4頁から引用)。訳注:キルケは『オデッュセイア』に登場する魔女で魔法の酒を使ってオデッュセウスの部下たち変えた。すなわち代表たちがロラン夫人のもとに集まるのは食べ物や酒の魅力だけではなく、ロラン夫人の女性的な魅力によるものではないかとデムーランは指摘している。さらにデムーランはロラン夫人がその年齢や容姿のわりに多くの者たちを魅了しているのは驚くべきことだと皮肉を述べている][・デムーラン]が「私の年頃でたいして美しくもないのに」と驚くにも無理はなかった。私にはいわゆる崇拝者がいたのだから。私は彼と話したことはないが、そのような性格を持つ人物に対して私は、嫌悪感を示すほどではないにしろきっと冷淡で寡黙に接しただろう。私が「取り巻き」を集めていたという彼の指摘は間違っている。私は奴隷を軽蔑するのと同じくらい浮ついた者たちが嫌いだし、お世辞を受け流す術も心得ている。私が何よりも必要としたのは尊敬と善意である。後から私のことを崇拝する者もいるかもしれない。しかし、敬愛を受けることが私にとってどうしても必要なことだった。私のことをよく知っている者や優れた見識と心を持つ者であれば、それを忘れることは滅多にないだろう。

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