第31章 王妃
いかに熱狂的な感情で革命を見ようとも、王冠と自由を剥ぎ取られて1年もしない王妃、処刑人の斧によって未亡人になってしまった女、野蛮なパリ市当局のせいで子供に恩寵を与えるように神に祈るしかなくなった母親に最終的に死を与えようと躊躇せずに考えられる者が誰かいるだろうか。マリー-アントワネットの悲運を前にすれば、寓話や詩作によって描かれたあらゆる古代の悲運も色を失うだろう。若い頃、私はコンシェルジュリと呼ばれる牢獄に行く父によく同行したが、悲惨な独房の前を通ると全身が総毛立つような恐怖のせいで心が締めつけられたものだ。この不幸な王妃が2ヶ月にわたってその背後に閉じ込められていた黒く錆びついた扉に目を留めると、彼女の没落で彩られているように見えた。彼女は昨日のことを考えないようにするばかりか、明日のことを考えるのを恐れ、さらに孤独による慰めさえ得られていなかったのだろう。この扉が蝶番で回転すると、牢獄の暗闇の中に頭に霜を戴いた威厳ある人影がちらりと見えたようにしばしば思えた。それから私は体に戦慄が走り、膝ががくがくするのを感じたので、足を速めて父と合流してこの呪われた場所から離れた。
ルイ16世の死後、タンプル塔の牢獄にいた王族の囚人たちは忘れ去られてしまったようであった。パリの人びとのルイ16世への憎しみは政治的なものであり、それは王という存在に対して向けられたものであり、その人物に向けられたわけではなかった。マリー-アントワネットに対する民衆の憎悪は政治的かつ個人的なものであった。王妃には、君主制を打倒しようと望んで革命を推進した者たちの中だけではなく、廷臣たちの中にも、それどころか王家に連なる者たちの中にも不倶戴天の敵がいた。彼女の独立不羈な精神、華美な嗜好、礼儀作法で禁じられているような悦楽を赦す者は誰もいなかった。彼女の意見を曲解したり彼女の行動を非難したりすることで彼女の敵は、彼女をあらゆる女の憎悪の対象にしてしまった。革命を推進した者たちは、ルイ16世よりも王妃のほうが精力的であると知っていた。もし彼らの計画に抵抗する者がいるとすれば、それはマリー-アントワネットだと彼らは理解していたので、あらゆる者の心を躍動させる自由の最悪の敵だと彼女を位置づけた。彼らは彼女をフランスの吸血鬼であり外国人の共謀者だと見なした。このような心を一つにする怒りが誹謗中傷を一斉に生む結果を招いた。革命の矛先は逸れたようだったが、彼女は忘れられていなかった。委員会の弱腰を非難するために王妃の名前が演壇から響くことがあった。大部分の国民公会議員の口ぶりによれば、そうした非難はマリー-アントワネットの血に心から飢えていることを示すためではなく、政敵を保守派だと見せかけるためであった。しかし、[議場の]外でロンサン、ヴァンサン、ルクレール、ヴァレを指導者にエベールを文筆家として擁する党派、すなわちマラーを復権させることで不吉な栄光を得た党派がカペー未亡人の裁きを声高に要求した。
今やこの党派は山岳派という名称で知られるようになった。6月2日、国民公会に出席していた山岳派はその構成員が望むよりもずっと強大な影響力を持っていた。いかなる場合であれ、山岳派は取引の報酬、すなわち彼らの要求に応じて投げ出される首を諦めようとしなかった。
8月1日、国民公会はマリー-アントワネットを革命裁判所の前に引き出すことを決定する法令を布告した。
8月2日午前2時、この法令が王妃に提示された。彼女はまったく動揺せずに法令が読み上げられるのを聞いていた。彼女は服をまとめると娘に接吻した(7月3日以来、王太子は彼女から引き離されていた)。それから彼女は子供たちの後ろ盾になってほしいとエリザベートに依頼すると、市当局の者たちの後にしっかりとした足取りで続いた。出口を通ろうとした時、彼女は頭を下げるのを忘れて激しくぶつけてしまった。そのせいで傷から血が流れ出た。監視人のミショニは怪我をしたのかと聞いた。彼女は「もうまったく痛くありませんから」と答えた。
コンシェルジュリの牢獄の管理人は、シャルロット・コルデーから深い感銘を受けたあのリシャールであった。王妃の悲運に同情したリシャールは王妃を丁重に受け入れた。彼女は最初の夜を管理人の部屋で過ごした。翌日、リシャールはフーキエ-タンヴィルの同意を得たうえで監視の重い責任を負っているという口実を構えて、査問室と呼ばれている部屋を彼女にあてがった。そう呼ばれていたのは、旧制度の法官たちがその部屋で囚人たちの申し立てを聴取していたからである。その部屋はコンシェルジュリの暗い様相の一部をなしていたとはいえ、牢獄の中で最も広く健康的な部屋であった。その部屋は礼拝堂に至る廊下の端に位置していた。鼠に食われた壁掛けがぼろぼろになって落ちていた。広場で使われるような煉瓦が敷き詰められていた。二つの扉(D,H)と二つの窓(B,G)があった。窓には頑丈な鉄格子がはめられていた。向かいの建物によってさえぎられていたせいで重苦しい空気とおぼつかない陽光だけが通り抜けていた。二つの扉のうち一方の扉は塗りつぶされていた(D)。フーキエ-タンヴィルは、2人の憲兵に昼夜を分かたず囚人を見張らせることを決定した。部屋は、中央部分が開いている仕切り壁(E)によって二つの部屋(A,F)に分けられた。開口部は間仕切りで覆われていた。憲兵たちは一方の部屋(F)に立っていた。マリー-アントワネットはもう一方の部屋(A)にいた。彼女のベッド(C)は塗りつぶされた扉の前に置かれていた。
予審は延長に延長を重ねた。王妃に対する非難について調査すればするほど、王妃が罪を犯したという証拠を見つけることが困難になった。フーキエ-タンヴィルはそのせいで眠れなくなり、告発状を書かなければならなかったが、それはとてもできそうにないことのように彼の目に映っていた。
数人の善良な心を持つ者たちが王妃を救出しようと決意していた。恐怖政治のせいで彼らは逼塞を余儀なくされていた。2人の献身者が互いに心を開こうと決意せずにばったりと出会った。没落した王族に奉仕していた1人であるルージュヴィル騎士は、ミショニの仲介でマリー-アントワネットの独房に入った。彼はボタン穴に挿していたカーネーションを彼女に渡した。そのカーネーションには紙片が含まれていた。その紙片には王妃に対する献身の申し出が書かれていた。王妃はこの勇敢な若い男がきっとまた戻って来ると確信したうえで、ほとんど価値がないと思っている自分の命を救うためにほかの者の命を危険にさらしたくないと考えて、紙片に謝絶の言葉を刻んだ。彼女を見張っている1人の憲兵が突然部屋に入って来て、その紙片を押収した 。憲兵の告発でマリー-アントワネットは公安委員会による尋問を受けることになった。リシャールとその妻、フォンテーヌという名前の男、そして監視人のミショニが収監された。その時まで王妃の世話をしていた女は引き離された。王妃はより厳しい監視の下に置かれた部屋に移された。
この[カーネーション]事件は告発の事由を提供することになった。そうした事由は、テュイルリー宮殿で押収された書類から公安委員会が選んだ文書によって補強された。
葡萄月22日、フーキエ-タンヴィルは告発状を提出した。この奇妙な作品を読むと、その中の言葉が良識と真実にしばしば背いているので、検察官自らが困惑したのではなかろうか。
王妃を救おうとした者がいた。ショヴォ-ラガルドとトロンソン-デュクードレという2人の弁護士が王妃を弁護する栄誉を担おうとした。そうした栄誉は非常に危険なものであるだけではなく、将来の大きな不幸に繋がりかねないものであった。
10月13日(葡萄月22日)、マリー-アントワネットは翌日、出廷を求められることになると通達された。
8月1日の法令によって、マリー-アントワネットを革命裁判所の前に引き出すことが決定され、カペー家に関する費用を必要最低限度にするように命じられた。パリ市当局は、卑しい敵意に基づいてその命令を解釈して、囚人たちに必要不可欠な物さえ与えることを拒んだ。王妃に与えられていた喪服はぼろぼろになっていた。王族が襤褸に包まれている情景を見れば、きっと誰もが心を動かさずにはいられなかっただろう。しかし、マリー-アントワネットは敵に憐憫を乞うことも善良な人びとの義憤を買うことも潔しとせず、夜の間になんとか黒衣を繕おうとした。
翌日10時、我々は彼女を迎えに行った。彼女は二重に並んだ憲兵の間を通った。憲兵は牢獄の扉から憲兵本部まで配置されていた。1人の士官が彼女を憲兵本部に案内した。
彼女はゆっくりと歩いた。その歩き方は礼儀作法に基づき堂々としていた。彼女は昂然と頭を上げていた。彼女の態度は威厳に満ちていた。その表情には不安な色が浮かんでいるわけでもなく、判事たちを挑発するような色が浮かんでいるわけでもなかった。彼女は冷静で落ち着いていてほとんど無関心にさえ見えた。彼女の白髪、額に刻まれた皺、固く噛まれた跡がある下唇、目の周りについている赤い輪、そして時に見せる物憂げな眼差しは、彼女が味わった精神的苦痛を示していた。しかし、無表情な顔は、まるで打ちひしがれた魂がすでに受難を免れたかのごとく、大理石像のような厳しさをたたえていた。
彼女は法廷の正面に据えられた肘掛け椅子に座っていた。トロンソン-デュクードレとショヴォ-ラガルドは彼女のそばに座っていた。 審問に関わった人物は、裁判長のエルマン、市長のコフィナル、検察官のフーキエ-タンヴィル、書記官のファブリシウス・パリであった。 アントネル、ルノーダン、スーベルビーユ、フィエヴェ、ベナール、トゥーマン、クレティアン、ガヌシー、トランシャール、ニコラ、リュミエール、デボワソー、バロン、サンバール、そしてドゥヴェーズが判事であった。 エルマンは被告人に対していつものような尋問をおこなった。
「あなたの名前は何ですか」
「マリー-アントワネット・ド・ロレーヌ・ドートリッシュです」
「あなたの職業は何ですか」
「フランスの先王ルイの未亡人です」
「年齢は」
「37才です」
起訴状が読み上げられた後、証言が開始された。
最初に証言したのは国民公会議員のルコントル・ド・ヴェルサイユである。彼はヴェルサイユにフランドル連隊が到着したこと、親衛隊の饗宴、そして10月5日と6日の出来事に関して証言した。
第4師団の副将代理のジャン-バティスト・ラピエールは、1791年6月20日から21日の夜にテュイルリー宮殿で起きた出来事、すなわちヴァレンヌ逃亡の夜について証言した。
砲手のルシヨンは1791年8月10日にテュイルリー宮殿の被告人の居室に入った時のことを証言した。被告人は居室を数時間前に出発していた。居室のベッドの下には瓶が転がっていて、何本かはまだ中身が入っていたが、残りは空であった。そのことから彼は、彼女がスイス衛兵隊の士官たちや宮殿にたくさんいた王党派に酒を与えたのだと考えた。ナンシー事件やシャン-ド-マルスの虐殺に関する余談の後、証言者は、彼女たちが莫大な金銭を着服して[神聖ローマ]皇帝に横流ししたという情報を旧体制の下、ヴェルサイユ宮殿に仕えていた善良な市民にして愛国者から得たと付け加えた。彼によれば、打ち明けてくれたのは宮殿の元寵臣であるという。
各宣誓証言の後、裁判長は王妃に対して一連の尋問をおこなった。彼女は固い決意と冷静な精神でそれに応じた。
三番目の証人はエベールであった。彼の宣誓証言は非常に馬鹿げていて無思慮な誹謗中傷の最悪の例として記憶に残されている。
その宣誓証言を『モニトゥール紙』から引用する。
「パリ市当局検察官代理ジャック-ルネ・エベールは、8月10日にパリ市当局の一員として証言した。彼にはアントワネットの陰謀を暴露するという重要な使命が託されていた。ある日、彼はタンプル塔でキリスト教の本を見つけた。その本には反革命的な兆候があり、矢で貫かれた燃える心臓があしらわれていて『イエスよ、我々を憐れみたまえ』と書かれていた」
「別の機会に彼は、エリザベートの部屋でルイ・カペーのものとして知られている帽子を見つけた。こうした発見から間違いなく同僚の中に専制に味方して品位を汚すような者がいることがわかった。彼はトゥーランが帽子をかぶって塔に入って来て、何もかぶらずに出てきたことを思い出した。トゥーランにそれを聞くと帽子をなくしてしまったのだという」
「彼は、シモンが市長とパリ市当局の検察官に同行してタンプル塔を訪問した時に何か重要なことを彼女に知らせたと付け加えた。彼らは、ルイ・カペーがヴァレンヌに逃亡した時、最も積極的な役割を果たしたのがラファイエットとバイイであったという証言を小カペーから得た。王族はあらかじめ逃亡のために準備された城館で夜を過ごした。タンプル塔に幽閉されている間、囚人たちは外で起きていることをずっと何も教えられなかった。そこで囚人たちは[外部の情報を得るために]銅貨や靴の中に隠された手紙を受け取っていた」
「小カペーは、そうした情報を伝えるのに協力している13人の名前を明かした。その中の1人は小カペーとその姉を閉じ込めていた者であり、母親と連絡を取ることができた」
「毎夜、出来事を触れ回る夜警 がそうした連絡を伝える手先として使われていた」
「小カペーは日ごとに体を衰弱させていった。シモンは彼の性質が悪い影響を受けていることに驚いた。そこでシモンは、誰が悪い手口を教えたのかと聞いた。小カペーは母親と叔母からそうした手口を教えてもらったと答えた」
「そうした証言から牢番は、小カペーをパリ市長と市当局の検察官の前に立たせて、以下のように気づいたことを指摘した。すなわち、小カペーが2人の女の仲立ちとなっていること、はなはだしい悪徳が伝えられていること、そしてカペーの息子によれば、母親と息子の間で近親相姦が間違いなくあったという」
「この不道徳な悦楽は快楽によるものではなく、それはむしろこの子供の面目を潰しておこうという政治的望みによるものだろうと信じるに足る理由がある。すなわち、彼らは小カペーが王座に登極することをいまだに信じていて、そのような企みによって彼の精神を支配しておこうとしている。彼女たちがそのような企みに基づいて小カペーに絶えず攻撃を仕掛けていたので、この子供を治療する必要があった。そこで健康を取り戻すまで小カペーを母親と一緒にしないことになった」
沈黙の中、このような不名誉な証言がおこなわれた。エベールが証言を終えると、恐怖の戦慄が関係者の間を駆け抜けた。そこにいた者たちがいかに強い憎悪を抱こうともエベールの憎悪に比べれば弱いものだろう。そしてそれは憎悪から憐憫へと心を動かしつつあった卑怯者たちに対する怒りであった。そうした怒りに関してマリー-アントワネットは何も感じていないようだった。彼女は侮辱の主に対して視線をじっと向けながらそれを聞いていた。
裁判長は尋問を再開した。
裁判長から被告人へ:「目撃者の証言に対して何か言うことがありますか」
被告人:「エベールが言及した事実に関して私は知りません。彼が言及しているような私の息子に向けられた気持ちというのは私の義妹によるものです。帽子に関しても彼は言及していましたが、それは兄が生きていた間に妹に贈られたものです」
裁判長:「監督役のミショニ、ジョベール、マリヌ、そしてミシェルがあなたのもとに来る時、誰かをともなっていましたか」
被告人:「はい、彼らは必ず誰かをともなっていました」
裁判長:「毎回、どれくらいの数の者がともなわれていたのか」
被告人:「3人か4人です」
裁判長:「それは監督役ではなかったのですか」
被告人:「私にはわかりません」
裁判長:「ミショニやほかの監督役があなたの牢獄へ来る時、懸章を着用していましたか」
被告人:「覚えていません」
市民エベールは、陪審員の前に示すべき重要な事実について失念していたと述べた。彼は被告人とその義妹の態度について述べた。2人の女は小カペーがまるで王であるかのように敬意を払った。テーブルについている時、小カペーは母親と叔母よりも先に物を手に取った。小カペーはいつも最初に食事が与えられ、上座を占めていた。
裁判長から被告人へ:「ミショニがあなたの牢獄に来た時、カーネーションを身につけた者をともなっているのを見てあなたは喜びを感じませんでしたか」
被告人:「私は知っている者と誰にも会えずに13ヶ月も閉じ込められていました。その者が私と関わったせいで身が危うくなったのではないかと恐ろしく思って震えました」
裁判長:「その者はあなたのために動いていた者たちの中の1人ではありませんね」
被告人:「はい、その者は違います」
裁判長:「[1792年]6月20日にテュイルリー宮殿にその者はいませんでしたか」
被告人:「はい、いませんでした」
裁判長:「[1792年]8月9日から8月10日の夜も同じくその者はいませんでしたか 」
被告人:「私はそこでその者を見た覚えがありません」
裁判長:「あなたはミショニと会ったことがなかったのですか。彼が新しい監督人に再選されないことを心配しているとあなたは伝えたのではありませんか」
被告人:「そうです」
裁判長:「その点に関してあなたはどのような根拠で不安に思ったのですか」
被告人:「彼が囚人に対して優しく人道的だったからです」
裁判長:「『今日があなたに会える最後の機会になるかもしれません』とその日に彼に言いましたか」
被告人:「そうです」
裁判長:「あなたはなぜそのようなことを彼に言ったのですか」
被告人:「彼が囚人に気遣いを示していたからです」
陪審員:「裁判長、エベールが言及した事実、すなわち被告人とその息子の間で起きたことについて答えていないと被告人に指摘してください」
裁判長は尋問をおこなった。
被告人:「私が答えない理由は、そのような非難を母親に対してするのは自然に反しているからです(ここで被告人は強く心を動かされたようであった)。私はこの場にいるすべての人びとに訴えます」
王妃の感情について『モニトゥール紙』と当時の新聞各紙は、そうした感情は民衆から共感を受けたと慎重に付け加えている。
彼女は[エベールによる]告発を無視することによってそれが間違いであると認めさせたいと思った。しかし、告発に応じざるを得なくなると、彼女の無表情な顔は突然表情を取り戻した。もはや涙が残されていない乾いた瞳が閃き、あらゆる者の心を動かす簡素だが感動的な言葉が震える唇から漏れた。元王族の没落を楽しみにしていたはずの女たちは、卑しい感情の中でもかろうじて残っていた母性に動かされて大声で泣いた。
エルマン裁判長は急いで別の証人を呼んだ。司法省で事務員として働いているピエール-ジョゼフ・テラッソンと公証人のアブラーム・シルリーがあまり重要ではない証言をおこなった。
ピエール・マニュエルが証人として召喚された。彼は元国民公会議員にして元パリ市当局の検察官で文筆家である。
熱狂的な愛国者としてマニュエルは革命の開始に関する出来事、特に8月10日の事件で積極的な役割を果たした。国王の裁判は彼に良心の呵責をもたらした。そのせいで彼はそれまでの意見を捨てて議員を辞職した。気が狂ってしまったという噂を彼は強い言葉で自ら否定した。彼は王妃を非難しておらず、敬意を払っていた。
元パリ市長のジャン-シルヴァン・バイイがマニュエルの後に証言した。敬うべき老人は、しばしばその影響力に抗った女の前に立ったが、没落した王族に心を動かされたようであり深くお辞儀した。
それから革命裁判所は、元狩猟官にしてデスタン伯爵の副官であったジャン-バティスト・イベ・ド・ペルスヴァル、ヴェルサイユの召使いであったレーヌ・ミヨ、フランソワ・デュフレネ、[牢番の]リシャールの妻のマドレーヌ-ロゼイ、[独房の世話をしていた]アレルの妻のマリー-ドゥヴォー、そして憲兵のジャン・ジルベールからコンシェルジュリに収監されていた王妃にカーネーションが渡った事件に関する証言を聴取した。
海軍中将のデスタン伯爵は、フランスにいた頃に被告人について知っていたし、被告人に対して不満もあるが、それでも告訴状が正当だと見なせるようなことをほとんど何も知らないと言った。10月5日と6日の出来事について聞かれると、彼は「パリ市民が虐殺に来ると何人かの廷臣が被告人に言っているのを聞きました。すると彼女は『もしパリ市民が私を殺しに来るのであれば、夫の足元で私を殺していただきましょう。私は逃げるつもりはありません』と品位を持って答えました」と答えた。
元靴職人のアントワーヌ・シモンはあまり重要ではない証言をおこなった。彼は被告人の息子のシャルル-ルイ・カペーの教師として働いている。彼を首謀者の1人だとするエベールの告発に関して裁判長は彼に尋問するのを控えた。マリー-アントワネットは、『ペール・デュシェーヌ紙 』がもとになっていた不名誉な告発を判事たちが認めなかったことで少しは慰めを得た。
ラベネットという名前の男は、被告人が自分を暗殺しようと3人の男を送り込んだと主張した。審問が真面目なものであったにもかかわらず、そうした主張は傍聴者の笑いを誘った。
無報酬で監督人の1人を務めているフランソワ・ティセという商人、教師のフランソワ・ルプトル、元将軍のフリップ-フランソワ・ド・ラ・トゥール・デュ・パン-グヴェルネ、元陸相のジャン-フレデリク・ド・ラ・トゥール・デュ・パン[-グヴェルネ]、タンプル塔の管理人のジャン-フランソワ・マセイ、24人委員会 の書記のジャン-バティスト-オリヴィエ・ガルヌラン、元国民公会議員のシャルル-エレノール・デュフリシェ-ヴァラゼ、教師にして官吏のニコラ・ルボーフ、アントワーヌ-フランソワ・モイル、ショーメットの妻にして侍女のルネ・スヴァン、カフェ店主のジャン-バティスト・ミショニ、パリ市当局の関係者や警察委員などが証言をおこなった。
被告人に対して不利な事実を告げる証言は、元陸相のラ・トゥール・デュ・パンとジロンド派のヴァラゼによるものだけだった。前者は、王妃から質問を受けてフランス軍の兵力について教えたと証言した。その証言のせいで被告人は追及を受けることになった。ヴァラゼはティセとガルヌランによる証言と連携して、セプテイユで押収された書類の中から王妃の署名が入った債券と光栄にも国王に作戦を提案する際にマリー-アントワネットにもそれを伝えるように国王に依頼する手紙を見つけたと証言した。そうした証言をもとにフーキエは、そうした作戦が王妃から敵に伝えられたとすぐに結論を下した。
ミショニは次のように説明したが、危険を冒したせいで首を失うことになった。
「聖ペテロの日 、私はフォンテーヌ氏の家に行きました。そこには3、4人の国民公会議員を含めて多くの人びとがいました。その中に市民ティヨールがいました。ティヨールはフォンテーヌ氏とともにヴォージラールにあるマドレーヌという女の家に行きました。彼女が2人に加わりました。市民ミショニは大変なことに巻き込まれるとは思っていませんでした。どこで私を知ったのかと彼女に聞くと、彼女は用事があって市庁舎に行った時に私を見かけたと答えました。指定された日になって、私はヴォージラール[の家]に行きました。そこには多くの者たちがいました。食事の後、牢獄に関する話題になった時、ある者がコンシェルジュリについて『カペー未亡人がそこにいる。彼女はすっかり変わってしまって髪がすべて白くなったと聞いている』と言いました。そこで私は彼女の髪が白くなり始めているが健康であると答えました。ある市民が彼女に会ってみたいと言いました。私はその願いを叶えると約束して実現しました。翌日、[牢番の]リシャールは『君が昨日連れて来た者が誰だか知っているか』と私に言いました。私は『友人の家で見かけて知り合っただけだ』と答えました。その者は元聖ルイ騎士 だと彼は私に言いました。同時に彼は小さな紙片を私に手渡しました。その紙片にはピンの先で文字が書かれているようでした。それから私は『もうここに誰も連れて来ないようにする』と彼に答えました 」
裁判長:「どうすればあなたは警察委員であるにもかかわらず、監視人を買収する陰謀があったのを知らずに、規定を無視して見知らぬ者を被告人に紹介できたのでしょうか」
証 人 :「彼 がカペー未亡人に会いたいと求めたのではなく、私がそうするように勧めたのです」
裁判長:「あなたは彼とともに何度食事をしましたか」
証 人:「2回です」
裁判長:「その者は何という名前ですか」
証 人:「私は名前を知りません」
裁判長:「彼はアントワネットに会う約束をかなえた代価としていくら払うと約束しましたか」
証 人:「私は何も代価を受け取っていません」
裁判長:「その者が被告人の部屋にいる間に何か身動きをするのをあなたは見ましたか」
証 人:「いいえ」
裁判長:「あなたはそれ以来彼に会っていませんか」
証 人:「私が彼を見たのは一度きりです」
裁判長:「あなたはなぜ彼を逮捕させなかったのか」
証 人:「その点は私の落ち度であったことを認めます」
証言者の一覧が尽きて検察官に発言の機会を与える前にエルマンは、何か弁護として付け加えることはないかとマリー-アントワネットに聞いた。王妃は少しためらった。おそらく自分のみじめな生活は議論に値しないと思ったのだろう。しかし、自分の子供たちのことを考えた彼女は、これまでに聞いた証言は一つとして事実を述べたものではないと強い態度で冷静沈着に答えた。さらに彼女は、憲法自体が責任を問うていないにもかかわらず、ルイ16世の行為に関してその妻である私に責任を問うことはできないと答えた。
25日の開廷の冒頭、フーキエ-タンヴィルは告発状を読み上げた。ショヴォ-ラガルドとトロンソン-デュクードレが王妃を弁護した。前者はすばらしい弁論でその雄弁さを示し、後者はその抗弁において告発のあらゆる面を次から次へと論破した。厳かな静粛の中で両者の声が響いた。
トロンソン-デュクードレが弁論を終えると、憲兵がマリー-アントワネットを退場させた。そして公正なエルマンは、フーキエ-タンヴィルによる告発状の概要を述べ始めた。
陪審員の前に四つの点が提示された。
1、共和国の外敵と通謀して、資金を援助したり、外敵の侵攻を助けるためにフランスの領土に誘い込もうとしたりしたことは確実なのか。
2、ルイ・カペーの未亡人のマリー-アントワネット・ドートリッシュは、こうした陰謀に手を貸して連絡を取り合っていたと自覚していたのか。
3、共和国の内戦を誘発しかねない陰謀が存在することは確実なのか。
4、ルイ・カペーの未亡人のマリー-アントワネット・ドートリッシュはそのような陰謀に加担していたと自覚していたのか。
1時間の検討の後、陪審員たちは裁判室に戻ってきて、彼らの前に示されたすべての問題について評決を下した。
それから裁判長が以下のような傍聴者に向けた弁論を披露した。
「もし傍聴席を占めている市民が自由民ではなく、それゆえ自尊心を感じることができなければ、私は市民に思い出させるべきかもしれない。すなわち、国家の正義が宣告されようとしている時、法と理性と道徳によって冷静沈着であることが求められていること、法は好意的な姿勢を示す者であればいかなる者でも守ること、どのような罪に問われようともその者がいったん法に服すれば、憐憫や温情の対象になると」
被告人は法廷に連れ戻された。エルマンは陪審員の評決を読み上げた。フーキエは被告人に死刑を宣告するように求め、主任判事は同僚の意見を聞いた後、以下のような判決を下した。
「陪審員の全会一致の評決によって革命裁判所は、検察官の告発状を認め、検察官が引用した法に基づいて、ルイ・カペーの未亡人のロレーヌ・ドートリッシュとして知られるマリー-アントワネットに死罪を宣告する。3月10日の法令に従って、フランスの全国土にある彼女の財産をすべて没収すると宣告する」
エルマンは、自由民の称号に値することを世界に示すために憐憫を尊重するように傍聴者に忠告した。しかし、人民がどのように従順であっても、彼らは偽善を押し付けられることはなかった。人民はエルマンが裁判長としてその職務を自ら解釈したようにエルマンの意見を解釈した。エルマンが王妃に対して抱いていた怒りの感情があまりにも強かったせいで寛大さの仮面の下にそれを隠し通すことができなかった。マリー-アントワネットが憲兵本部に向けて出発する時までにそうした憎悪は狂ったような喝采となって溢れ出していた。
背後にある扉をすり抜けながら彼女は、彼女の差し迫る死を歓呼する喜びの喝采がしだいに遠ざかるのを聞いていた。彼らは、怒りのそぶりも[軽蔑するかのような]憐憫の笑みも彼女からもぎ取れなかった。
牢屋に戻った彼女は脚を毛布で包み、服をすべて着たままベッドの上で眠ってしまった。
長く続いた議論が彼女の体力を疲弊させた。法廷は朝9時から始まり、完全に暗くなる前にようやく終わった。健康状態が悪かったせいでそれは苛酷な責め苦のようであった。彼女は飢えて喉が渇いていた。当時の熱狂は異様なものだったので、デ・バスネという憲兵隊の士官は彼女に一杯の水を飲ませただけで自分[の行為]をなんとか正当化しなければならなかった。
彼女を監視していた2人の憲兵のうちの1人は物音が聞こえないので心配になって彼女の部屋に入った。すると静かに寝息を立てている彼女が見えた。
この睡眠はほぼ45分間続いた。彼女は起き上がると見張りの1人に管理人のボーを呼ぶように求めた。ボーが来ると、彼女は何か書く物を渡してほしいと求めた。ボーは、フーキエがそうした要望があるだろうと予想して紙とインクを与えるように[すでに]命じていたと答えた。ボーは憲兵の1人に紙とインクを取りに行かせた。
マリー-アントワネットはベッドに腰を下ろして手紙を書き始めた。王妃の最期の時間はエリザベートに宛てた手紙を書くことに使われた。しかし、この手紙はエリザベートのもとに届けられなかった。公安委員会に届けられた手紙は、三巨頭 の文書を整理するように求められた国民公会のクルトワによってクートンの家で発見された。クルトワはその手紙をあまり重要なものではないと思ったようだ。というのも彼は革命暦3年雪月16日 の膨大な報告書の中でその手紙について何も言及せずに保有したままだったからだ。
王殺しとして1816年に住み慣れた土地を離れていたクルトワは、貴重な遺品を引き渡す代わりにフランスから追放する法律を自分に適用しないという例外を認めてほしいと警察大臣のドゥカーズ氏に求めた 。ドゥカーズ氏は、そのような取引に応じるべきではないと考えて、元国民公会議員の家を捜索するように命じた。クルトワは、国務院評定官のベケ氏に書状を送って、問題の手紙に加えてロベスピエールの家やクートンの家で見つかったほかの文書、マリー-アントワネットの髪留めと手袋などの捜索を免れようとした 。
1816年2月22日、王妃の手紙はリシュリュー氏によって両院で読み上げられた。この立派な遺言書の内容はルイ16世の遺言にあらゆる点で匹敵するものである。
「妹よ、あなたに宛てて最期の手紙を書きます。私は有罪宣告を受けたばかりですが、それは罪人に向けられた恥ずべき死の宣告ではなく、あなたの兄のもとへ行けという宣告にすぎません」
「私はあなたの兄と同じく毅然とした態度を示したいと望んでいます」
「哀れな子供たちを遺していかなければならないことがとても残念です。私は子供たちとあなたのためだけに生きてきたのですから」
「あなたは友情のためにすべてを犠牲にして私たちと一緒にいてくれました。ただ私はあなたをなんという境遇に置いてしまったのでしょうか。私の娘があなたから引き離されたことを裁判中の弁論で知りました」
「ああ、私は哀れな子供たちに宛てて手紙を書かないようにします。私の手紙を受け取れないかもしれません。この手紙があなたに届くかどうかさえ私にはわからないのです」
「子供たちに代わって私の祝福を受けてください」
「いつの日か子供たちが成長してあなたと会うことができ、平和の中であなたの慈しみを受けられるようになることを願っています」
「私が勇気づけようとするのを止めようとしなかったことを2人の子供たちが忘れないように、友情と互いに信頼し合うことが幸せに繋がるように、そして私の娘が経験と友情で勇気づけられるような助言で弟をいつも助けなければならないと年頃になって感じられるように願います。どのような境遇にあろうとも子供たちが2人とも協力し合うことで本当に幸せになるように、そして子供たちが私たちの例から学ぶように願っています」
「みじめな境遇にあって友情が私たちにいかに多くの慰めを与えてくれたでしょうか。幸せな境遇にあって友人と友情を分かち合えるのであれば、私たちはさらに友情を享受できるでしょう。愛情がこもった大切な友情を見つけられる場所が自分の家族以外のどこにあるでしょうか」
「私の息子は父の最期の言葉を決して忘れないでしょう。私はそれを息子にはっきりと繰り返しました。息子が私たちの死のために復讐を望まないように願っています」
「私が心を痛めていることをあなたに告げなければなりません。この子があなたを傷つけていることを私は知っています。親愛なる妹よ、まだ幼いことに免じて息子を赦してください。子供に言いたいことを言わせたり、理解できないことを言わせたりするのは簡単なことだからです。2人に対するあなたの親切と思いやりの代償を息子が実感できるようになる日が来ることを願っています」
「私の最期の思いをあなたと共有しておきたいと思います」
「裁判が始まって以来、私はあなたに手紙を書きたいと思っていました。しかし、手紙を書かせてもらえなかったこともありますが、あまりにも裁判の進展が速くて時間の余裕がまったくありませんでした」
「私はカトリック教徒、正統なローマ教会の信徒として死にます。それは父祖たちの信仰であり、私はカトリック教徒として育ち、それを常に公言してきました。魂の慰めを求められるとは思えませんし、この場所にカトリック信仰の聖職者がまだいるかどうかさえわかりません。それに私がいる場所に一度でも聖職者を招けば危険にさらしてしまうかもしれません 」
「私は生涯に犯したであろうすべてのあやまちを神にお赦しいただけるように真摯に祈ります」
「慈悲深くも神が私の最期の祈りを聞き届けてくださること、そしてずっと願っていたように神の御許に私の魂を受け入れてくださることを信じています。すべての知人、特に妹であるあなたに図らずも私のせいでいろいろと迷惑をかけたことを赦してもらいたいと思っています。私の敵が私に対して働いた悪事をすべて赦します。叔母さま方と兄弟姉妹すべてに別れを告げます」
「私には友人たちがいます。友人たちと永別しなければならないこと、そして友人たちを悲しませることを残念に思いながら私は死にます。最期の瞬間まで私が友人たちのことを思っていたことをできれば知ってもらいたいです」
「さようなら、私の善良で優しい妹よ。この手紙があなたに届きますように。私のことをいつも思っていてください。私はあなたと私の哀れな子供たちを心から抱き締めます」
「神よ、永遠の別れとはなんと心が痛むものなのでしょうか。さようなら。さようなら」
「これから私は魂のお務めをしなければなりません。私には行動の自由がないので、きっと聖職者が私の前に連れて来られるでしょう。ただここで私は、その聖職者と一言も口を利かず、完全な部外者として扱うと言っておきます 」
手紙を書き終えた後、王妃はすべての頁に接吻して封蝋せずに折りたたむと、待っていたボーにそれを手渡したうえ、エリザベートのために保管しておくように求めた。
管理人は、求められたようにするには自分ではどうしようもなく、フーキエ-タンヴィルに手紙を渡さなければならず、きっとフーキエ-タンヴィルが手紙を宛先に送ってくれるはずだと答えた。
王妃は黙ったままだった。彼女は膝に置いた手に顔を埋めると、しばらくそのままの姿勢を保った。
話したいと求める者がいるとボーが告げた時、彼女はまだその姿勢のままだった。彼女はゆっくりと顔を上げると、黒い服を着た男を目にしてベッドから出た。
ボーは、王妃がこの訪問者の登場を見て死が間近に迫ったと誤解したかもしれないと思った。そこで彼は誤解を解こうと急いで一言付け加えた。
「こちらは市民ジラールです。サン-ランドリの主任司祭です」
マリー-アントワネットは頷くとささやいた。
「主任司祭ですって。このご時世にそんな者がいるのかしら」
管理人はジラール神父と彼女を残して退出しようとした。しかし、王妃は命令口調で声をかけた。
「ここにいてください、ボー」
すぐに彼女は足が冷たいと不満を述べた。ジラール神父は足を枕で包めばよいと助言した。彼女はそのとおりにすると助言に感謝した。
マリー-アントワネットの顔に浮かんだ穏やかな表情を見て安堵したジラール神父は、彼がもたらしに来た魂の救済を拒まないように求めた。さらに彼は、もし彼女が彼のことを気に入らなければ、ランベール神父やゴベル司教総代理など代わりの聖職者が廊下で待機していると言った。
しばらく彼女は敬うべき老人のジラール神父を見つめていた。彼女は懇意に感謝したものの、自分の原理からすれば、自分の宗派を信仰する聖職者以外から神の赦しを得ることはできないと言った。主任司祭が心動かされた様子で何か言おうとすると、彼女は彼の信念と同じく自分の決意は揺るぎないものなので何も言わないでほしいと丁重に求めた。
ジラール神父は涙を浮かべながら退出した。ランベール神父は王妃に何も言わずにともに退出した。
リシャールが去って以来、新しい管理人[であるボー]の長女がマリー-アントワネットの世話をしていた。この場にその娘は居合わせた。娘は椅子に崩れ落ちると、すすり泣きを抑えようと半ば窒息しそうになった。憲兵の1人が荒々しく娘を怒鳴りつけたので、ボーが間に割って入った。王妃は群衆による侮辱や悪罵に鍛えられていたものの、娘の悲痛に強く心を動かされたようであり、優しく娘をなだめると、微笑みかけながら最も大切な物を忘れていたと言った。
それは王妃がタンプル塔から持ってきた白い服であった。彼女の衣裳はその服と黒い服ですべてであった。彼女は白い服を着て処刑台に行きたいと願った。しかし、白い服がぼろぼろになっていたので、彼女は新しい縁を周りに縫い付けてほしいと娘に頼んだ。
ボーの娘が白い服を取りに行こうとすると、マリー-アントワネットは鋏をついでに持って来てほしいと言った。この願いを認めることは難しかった。憲兵たちは、罪人の女の手に武器となり得るような道具を手渡すことを認めたくなかった。ボーは、責任を取るので管理人と2人の見張りの前で娘に王妃の髪を切らせてほしいと言った。
シャルル-アンリ・サンソンは、王妃の死に関して王の死の時のような完全な説明を我々に残してくれていない。私がこれから紹介しようとしている詳細は、先立つ説明と同じく彼が後により詳しい説明をするつもりで書き留めておいた記録から拾い集めたものか、もしくはわが祖母と父がこの悲しい出来事について留めていた記憶の産物である 。
わが祖父はその夜を革命裁判所で過ごした。裁判が終わった時、彼はフーキエ-タンヴィルの執務室の扉の前に立っていた。フーキエ-タンヴィルはわが祖父がいることに気づくと入室するように言った。そこには裁判長のエルマン、判事のルノーダン、判事にして裁判所の印刷人であるニコラ、そして書記官のファブリシウス・パリがいた。フーキエは、祭りの準備は整っているかとわが祖父にすぐに聞いた。「祭り」という言葉はフーキエがよく使った言葉だ。シャルル-アンリ・サンソンは、自分の義務は裁判所の判決を待つことであり、それを推察することではないと答えた。フーキエは粗暴な姿勢にいつもながらの荒々しさをともなってわが祖父にいろいろと注意して、知人の中から悪い愛国者が出てもどのような処分が下されるか[事前に]忠告を受けられず、いつか後悔することになると言った。書記のファブリシウスは、検察官の毒舌をひどい冗談で混ぜ返した。会話は不愉快なものになっていた。会話を切り上げようと、わが祖父は[国王を]処刑台まで連行するのに使ったのと同じような有蓋馬車を調達するための命令書を求めた。こうした要望はフーキエ-タンヴィルを激怒させた。彼は、そのような申し出を敢えてしようとすれば、おまえ自身がギロチンに行くことになるぞとシャルル-アンリに答え、さらにオーストリア女には[無蓋]馬車でさえ上等すぎると言った。それから彼は王妃に対する数千の侮辱を付け加えた。しかしルノーダンは、決定を下す前に公安委員会の意見を聞くか、少なくともその構成員の意見を聞くのが賢明だろうと指摘した。ルノーダンはロベスピエールとの繋がりのおかげで重要人物となっていたので、少しばかりの議論の後、フーキエはその助言を受け入れざるを得なかった。モンタンシエ劇場の元俳優にして当時は革命軍の高級副官であったグラモンことヌーリが検察官の執務室に入って来た。彼は使者の役割を果たした。45分後、彼は戻って来た。彼はロベスピエールとコローに会ったが、2人とも事前調整はフーキエ-タンヴィルの専管事項だと答えて容喙を避けた。こうして王妃はルイ16世に最後に与えられた特権を享受できないことになり、一般犯罪者に使われる馬車で処刑台に連行されることになった。
わが祖父が革命裁判所を出たのは朝5時であった。街の至るところから各小隊に武装を命じる太鼓の音が響いていた。
わが祖父が家に戻った時、家族は全員まだ眠っていた。彼はわが祖母を起こさないようにするためにつま先立ちで歩いて少しだけ自分の部屋に入った。しかし、浅く眠っていただけの祖母はすぐに目を覚まして、王妃の裁判の悲しい結末を夫の一変した表情から苦もなく読み取ってしまった。
「有罪ですか。彼女は有罪なのですね」とわが祖母は自分のことのように感じて涙を目に浮かべながら叫んだ。「おびただしい無実の血が私たちや私たちの哀れな子供たちに降りかかることになります」
「いいや。血は我々に降りかかるわけではない。彼女を破滅させたことで人と神に申し開きをしなければならない者たちに血は降りかかるだろう」とわが祖父は激しい口調で答えた。「嵐によって地面から抉り取られて転がり落ちて家とその住民を押しつぶした岩と比べても、私に罪があるとは言えないだろう」
「いろいろ考えすぎです、シャルル。殺害者が使った短剣には罪がありません。それで嫌悪と恐怖の対象になることが不公正だと考えているのですか。あなたは人間の正義を執行する従順な道具としてこれまで軽蔑に勇敢に立ち向かう権利を得てきました。人間を処罰するのはあなたのそばにいる神なのです。党派的な激情に身を任せれば、あなたはその罪の共犯者になってしまいます。シャルル、私があの日…王が処刑された日に私が思い悩んだことをあなたにわかってほしいのです。王党派が処刑人たちの手から王を救い出すという計画が話し合われていました。あなたと息子の身が危険にさらされていました。通りで物音がするたびに私は窓に駆け寄りました。あなたが血塗れになって傷つけられて意識を失って戻って来るのではないかと心配していました。シャルル、その長い日の間ずっと私は祈ることさえできなかったのです。私たちの子供やあなたの命を守ってほしいと神に懇願することが罪であるかのように思えたからです。私の意思に反して犠牲者のことを考えてしまい、私の意思に反してあなたのことをなおざりにしてしまったのです。[そんなことになるなら]もうあなたは新たに命を奪えないでしょう」
「そうであればよいのに」とシャルル-アンリは言った。「今日、マリー-アントワネットは死ぬだろう。だが明日はきっと我々の番となるだろう」
「そんなことはどうでもよいでしょう」
「妻よ、私も君のように『そんなことはどうでもよいだろう』と一度ならず言ったものだ。私が置かれている状況に利点があるとすれば、人生を軽視できるようになれることだ。嫌悪にも似たものだ。もし君が言ったばかりのことを大声で言うなら、私はそれを大声で繰り返すことはない。王族であれ、私のような処刑人であれ、悪だと見なした者たちに対する市民フーキエの恐ろしさを知っているからだ」
わが祖母は手に顔を埋めて泣き出した。祖母が神経の発作に襲われたのでわが祖父は息子を呼んでベッドに寝かしつける手伝いをさせた。祖父は祖母を誰にも会わせないようにした。彼女の涙は共和制を非難するものだったからだ。祖父が雇っていた者たちの大部分は、煽り立てられた感情の高揚 によって自分たちの不名誉な仕事を正当化しようとしていたので、間違いなく祖母を密告していただろう。
シャルル-アンリ・サンソンは激しい言い合いのせいで意気消沈していた。それを見たわが父は同行を申し出た。父は制服を脱ぎ捨てた。そして彼らはまず革命広場に行った。そこには、王族の第二の受難者のための不吉な器具がすでに建てられていた。
それからコンシェルジュリに向かった彼らは10時にそこに到着した。王妃はすでに武装した者たちに囲まれていた。中庭には強力な憲兵の分遣隊と革命軍の騎兵と士官が数人いた。
この時、革命裁判所の廷吏である市民ユスタッシュ・ナピエがわが祖父と父に合流した。彼は処刑の執行と調書を作成する責務を負っていた。
シャルル-アンリ・サンソンは馬車を前に進めて、廷吏、士官たち、憲兵たち、そしてわが父とともにコンシェルジュリに入った。
王妃は死者の間にいて長椅子に腰を下ろして壁に頭をもたれさせていた。護衛の2人の憲兵が管理人のボーとともに数歩離れた場所にいた。管理人の娘はマリー-アントワネットのすぐ前に立って泣いていた。
護送者たちに気づいた王妃は立ち上がると処刑人たちに向かって歩こうとしたが、ボーの娘の情動を見て立ち止まると、そっと優しく娘を抱き締めた。
彼女は白い服を着ていた。さらに白いフィッシュー が彼女の肩を包んでいた。彼女は黒いリボンがついた帽子を頭にかぶっていた。彼女の顔は青ざめていたが、その青白さは隠しきれなかった恐怖を示すものではなかった。というのも青白さは唇まで及んでいなかったし、瞳は眠れなかったことを露呈する大きな隈で囲まれていたが輝いていたからだ。
わが祖父と父は帽子を脱いだ。同行していた多くの者たちは[マリー-アントワネットに]挨拶した。廷吏のナピエと数人の兵士だけは不幸な女に敬意を示すのを控えた。
誰かが話そうとする前にマリー-アントワネットは前に進み出ると、何も感情を漏らさない声で短く言った。
彼女は「準備はできています。さあ行きましょう」と言った。
シャルル-アンリは、準備を整える必要があると彼女に指摘した。
マリー-アントワネットは振り返ると、髪が切られた首を見せて言った。
彼女は「これで十分なのでは」と言った。
そう言いながら彼女は縛らせるために手を伸ばした。
わが父が手を縛っている間、ロトランジェ神父が死者の間に入って来て、同行の許しを求めた。ロトランジェ神父はジラール神父やランベール神父と同じ宣誓派の聖職者であったが、2人が去った後にやって来て2人と同じく信仰による救済が宗派の分断によって損なわれるのを見ることになった。マリー-アントワネットはロトランジェ神父の申し出を見るからに不快に思ったようで[一言だけ]答えた。
「ではお好きなように」
一行はすぐに出発した。
憲兵たちが王妃に先行した。王妃のそばにはロトランジェ神父がいて、なんとか遅れないように努めていた。彼らの後ろに廷吏、処刑人たち、そして憲兵たちが続いた。
中庭に入ったマリー-アントワネットは馬車を見つけた。突然立ち止まった彼女の顔には激しい恐怖の色が浮かんでいた。
彼女に動揺の色が浮かんだのを察した聖職者は、ドイツ語とフランス語を半ば交えながら、十字架を背負って運んだキリストの忍従に倣うように彼女を諭して、贖罪について語る中で罪という言葉をしきりに発した。
「間違ったことを言っています」と王妃は言い返すと、それ以上彼の言葉を聞かずに急いで馬車に向かった。
馬車に乗りやすくするために踏み台が置かれていた。彼女が足を置いた時、踏み台がぐらついた。彼女は自分を支えてくれた者に感謝した。
門が開かれ、フランスの王妃が不吉なお供を連れて姿を現した。すぐに河岸や橋の上におびただしい群衆が詰めかけて荒海のようにひしめき合いながら数千の呪いと死の叫びを上げた。
群衆があまりにも密集していたせいで馬車は前に進めなかった。轅に繋がれた馬が怯えて後ろ脚立ちになった。あまりにも混乱がひどかったので、それまで馬車の前に座っていたわが祖父と父は立ち上がるとマリー-アントワネットの前に身を置いた。いくつかの異なる場所で怒り狂った群衆が護送の列に乱入しようとした。大部分の憲兵は群衆を押し戻したり興奮を鎮めたりするどころか、一緒になって侮辱の言葉を叫んだ。父親と同じく革命軍の士官であったヌーリ-グラモンの息子は、卑劣にも拳骨で王妃の顔を殴ろうとした。ロトランジェ神父は彼を押し戻すと、そのような行為は下劣だと厳しく非難した。
こうした光景は2、3分続いた。
わが祖父が私に何度も繰り返したことだが、マリー-アントワネットのような至高の品位を示した者は他にいなかった。青ざめることもなく目蓋を下げることもなく民衆という王の厳しい眼差しに耐えていた女こそまさに王妃であった。王妃は、その身を食らわせようとしている獅子の雄叫びをたじろぐことなく聞いていた。彼女はローマ人のカエサルのように唐突に没落したが膝を屈することはなかった。彼女にとって醜悪な墓場さえ王座であった。そしていかに汚辱にまみれようとも、彼女はその魂の力のみで同情を禁じ得ない者たちの敬意を勝ち取った。
父親のグラモンが騎兵たちとともに先行して一行を通り抜けられるようにした。馬車が再び動き始めると喧騒は静かになった。それでも時に「オーストリア女に死を」や「拒否権夫人 に死を」といった叫び声が上がることがあった。そうした叫び声は一行が通過する前に上がったものであり、まさに彼らが叫んでいるところに馬車が差し掛かると、そうした声は静かになった。
マリー-アントワネットは馬車の真ん中に立っていた。ロトランジェ神父は馬車の右の荷台枠にもたれかかって、穏やかな口調ではなくむしろ厳しい口調で彼女に話しかけていた。彼女はそれに答えることなく、彼の言葉を聞いている様子もなかった。
馬車が通り過ぎるにつれて群衆の態度が落ち着くと、彼女の目は輝きを失った。彼女の視線はあてどなく群衆や建物をさまよっていた。
パレ-エガリテ の前に差し掛かった時、彼女は不安に襲われたようだった。
彼女は強い関心を抱いて家々の番地を見ていた。
王妃は、ローマ教会の聖職者が信仰による至高の慰めを与えることは許可されないと予見していた。彼女はそのことを心配していた。非宣誓派の聖職者の1人であるマニャン神父はリシャールがいた頃にコンシェルジュリに来たことがあり、処刑の日にサン-トノレ通りの家で終油の秘跡を必ずおこなうと約束していた。[ローマ]教会は、そうした秘跡をおこなう権限を最も地位の低い司祭にも与えていた。その家の番地はマリー-アントワネットに伝えられていた。彼女が探し求めていたのはその家だった。彼女はその家を見つけた。彼女にだけわかる印で聖職者が確かにそこにいることを知ると、彼女は頭を垂れて祈りを捧げた。彼女の胸から安堵のため息が漏れ、微笑みが唇に浮かんだのが見えた。
革命広場に到着すると、馬車はテュイルリー宮殿に続く大通りの正面にぴたりと停止した。わずかな間だが、王妃は悲痛な思いで苦しんでいるようだった。彼女の顔はさらに青ざめ、目蓋は湿っていた。彼女が低い声でつぶやくのが聞こえた。
「私の娘よ。私の子供たちよ」
調整が進められている処刑台から騒音が聞こえてくると、彼女は我に返って馬車から降りようと準備した。わが祖父と父が彼女に手を貸した。彼女が地面に足をつけた時、シャルル-アンリ・サンソンは身を屈めると、低い声で彼女に言った。
「しっかりしてください」
王妃は突然向き直った。そして彼女は、これから自分に死をもたらそうとしている者がそのような同情を抱いているのを見て驚いたかのように言った。
「ありがとう。ありがとう」
彼女の声音はまったく変わっておらず、その話しぶりもしっかりとしていて明瞭であった。
馬車から処刑台まで数歩しか離れていなかった。わが父は続けて彼女に手を貸そうとしたが、彼女はそれを断って言った。
「けっこうです。神のおかげで私にはあそこまで行ける力があります」
彼女は速くもなく遅くもなく等しい歩調で前に進み、まるでヴェルサイユ宮殿の大階段を登るかのような威厳ある足取りで処刑台の階段を登った。
彼女が処刑台に上がると、ちょっとした騒ぎが起きた。彼女に続いてそこに上がったロトランジェ神父は無駄な説教を続けていた。わが父は悲痛な処刑を早く終わらせようとそっと彼を押しやった。
助手たちはこの威厳ある犠牲者に手をかけた。跳ね上げ板に縛り付けられた時、彼女は空を見上げてひときわ高い声で叫んだ。
「さようなら、私の子供たち、私はあなたたちの父上と一緒のところに参ります 」
彼女がこうした言葉を言い終わるや否や、跳ね上げ板の位置が調整され、ギロチンの刃が彼女の首に落ちた 。
「共和国、万歳」という叫び声がギロチンの刃の音に呼応した。しかしそうした叫び声が広く上がっていたのは処刑台の周りだけであった。興奮して剣を振り回していたグラモンは、彼女の首を群衆に見せるようにシャルル-アンリに要求した。助手の1人がおぞましい戦利品を持って処刑台の上を回った。その目蓋はまだ痙攣したように震えていた。王妃の遺体は粗末な白木の棺に納められ、マドレーヌ墓地 の石灰の中に埋められた。彼女の服は救貧院の貧者たちに与えられた。
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