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第46章 ルスルク

 フランス革命の間に執行された極刑についてすべて言及することはできないが、革命期の多くの重大な事件の一つに言及することなく回顧録の別の局面に移ることはできない。そうした事件は最も有名な事件の一つであり続けるだろう。私が言及しているのはルスルクの事件である。

 フランス革命暦4年[1795年9月23日から1796年9月21日]の初頭、ショフル(文字通り「ボイラー焚き」[フランス語原文はchauffeur、英訳原文はwarmer])と自称する悪党たちの集団のいまわしい行動のせいで、恐ろしい恐怖が諸地方に蔓延していた。毎日のように城館や農園が襲撃されたという報せが届いた。さらに前時代の司法による責め苦を凌駕するような残虐な情景が手に負えない重罪人によってくりひろげられた。「ショフル」という名称は遺憾ながらふさわしいものと言えるだろう。悪党たちの集団はボース地方[フランス中北部一帯]を犯行の舞台に選んだ。彼らの最も控えめな犯罪行為は殺人であった。こうしたならず者たちは、財産を隠している場所を犠牲者に白状させるために残虐な拷問を考案した。彼らは大きな火を燃やすと、犠牲者が白状するまで炎を脚に押し付けた。ボーズ地方の住民はすっかり怯えてしまって、白昼でも家から出ようとしなくなった。

 こうした暴虐が堂々とまかり通るようになった頃、リヨンの郵便馬車が襲撃されたという報せがパリに入った。郵便配達人と御者が互いに少しだけ離れた場所で遺体で見つかった。殺害現場で見つかった唯一の手がかりは見捨てられた馬と馬車だけだった。

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