第13章 シュヴァリエ・ド・ラ・バール
政治的利用によって処刑台がラリー=トランダルのために建てられた。それは37年間もなかったことだった。それ以降、正義の剣はほとんど鞘に収まることがなかった。それは別の貴人のために抜かれることになった。その若さと勇気、そして犯した罪と罰が不釣り合いなことはきっと関心を引くだろう。
1766年6月末、シャルル=アンリ・サンソンは、死刑を執行するためにすぐに アブヴィルに向かえという命令を受けた。その命令に含まれる高圧的な言葉に彼はとても驚いた。
数日前、高等法院はラ・バール騎士という若者の控訴を棄却して、聖母マリアと諸聖人を冒涜する歌を歌ったという罪で斬首の後、遺体を焼くように命じるアブヴィル裁判所の判決を支持した。罪人は20才にもなっていなかった。パリで最も優れた法曹家たちは、判決に先立つ取り調べがひどいものだったと述べた。高等法院は聖職者たとを満足させるためにそのような判決を確定したと公然とささやかれていた。聖職者たちはイエズス会士の追放令に神経を尖らせていた。判決が執行されることはないだろうと誰もが思っていた。きっと王は恩赦権を行使するだろうと誰もが信じていた。
それにもかかわらず、わが祖父が受け取った指示は正式なものだったので、アブヴィルに向けてすぐに出発した。家系の発祥の地であるその町に到着するとすぐに、彼は刑事代官の指示を聞きに行った。自分の職業のせいで刑事代官の家に住む人びとの反感を買うのではないかと恐れながらシャルル=アンリ・サンソンは、召使いに名前を告げて、中庭で答えを待っていると言った。刑事代官が自ら姿を現したのを見たサンソンは驚きを隠せなかった。いつもよく受けているような冷たい挨拶ではなく、心から歓迎する礼儀正しい挨拶を受けたことも驚きであった。刑事代官は背が高くひょろ長い男であった。額は狭く、鼻が高く、濃い眉毛の下に緑がかった目が隠れていた。そうした特徴のせいで歓迎の表情が現れていたにもかかわらず、彼の外見は好ましいものには見えなかった。
わが祖父は低くお辞儀をした。わが祖父が来訪の目的を説明する前に、刑事代官はラ・バール騎士の身に起きたことを知っていると言った。また彼は、王が若者の命を救うように求める請願にまったく耳を貸さないこと、そして翌日に処刑が執行されると言った。さらに彼は、裁判と犯罪の詳細についてなれなれしい感じでシャルル=アンリに説明して、裁判が公正である一方、犯罪はひどいものであったと強調して、判決のいくつかの文言を和らげたり何度も繰り返したりしている高等法院は気まぐれだとせせら笑った。
「この者は大罪人であり、非常に大罪人であるので処罰されなければならない。嘆かわしくも悪党によって気分を害された王の中の王[神のこと]のために復讐することは誇らしく幸運なことである」
パリの刑事代官の威厳に慣れていたシャルル=アンリ・サンソンは、アブヴィルの刑事代官の感覚を信じられなかった。アブヴィルの刑事代官から指示を受け取った後、彼は下宿として割り当てられた家に行った。その途中、彼は自分が不正行為の道具として使われることについて思いを巡らせた。
ラ・バール騎士が有罪判決に至った経緯は以下の通りである。1747年、アブヴィルの新しい橋の上にイタリア風の受難像が置かれた。それはイエス=キリストの姿を模したものだった。1765年8月7日朝、夜の間に十字架が破壊されていたことがわかった。像の腕の1本が折られ、イバラの冠は剥ぎ取られ、像の顔面は泥で汚されていた。
これは宗教的熱狂の時代に起きた。ラヴァレットの裁判[ フランスにおけるイエズス会弾圧の契機となった事件。]、イエズス会士の追放令、哲学者に対する攻撃、高等法院による煽動などによって敬虔なカトリック教徒は信仰の独立が脅かされるのではないかと不安を抱いた。町で起きた冒涜行為のせいでアブヴィルの住民の間で大きな騒ぎが起きた。アミアン[フランス北部にある町]の司祭によって償いのための儀式が催され、熱狂がますます高まった。高位聖職者は一行の先頭に立って受難像のもとへ向かった。そして、首に縄をかけて裸足で受難像の周りを歩き、罪人たちを破門して死と呪いを与えるように求めた。
刑事代官はすぐに取り調べを始めた。100人以上の証言が集められた。そのどれもが信頼に足る情報ではなかった。彼らは小さな町の住民によくあるような曖昧なほのめかしに興じた。数人の若者たちによる軽薄なおふざけは、信仰に対する計画犯罪だと見なされた。聖像の破壊はアブヴィルの異教徒によるカトリック信仰に対する陰謀に違いないと推測された。
わが祖父に挨拶した刑事代官のデュヴァル・ド・スワクール氏はこの出来事の経緯において奇妙なやり方で異常な執着を示した。まったく理由は示されていなかったものの、それは信仰の名を借りて個人的な復讐をしているのだと人びとに思わせた。アブヴィルには慈悲深く敬虔な淑女が住んでいた。淑女はデュヴァル・ド・スワクール氏を嫌っていた。彼女の名前はフェイドゥヌ・ド・ブロウ夫人である。彼女はヴィランクール女子修道院[アブヴィルにあった王立女子修道院]長であり、刑事代官が後見人を務める少女を女子修道院で庇護していた。その少女は孤児だったがお金持ちであった。後見人は、もし長女が息子と結婚してくれれば自分の家系に財産が転がり込むという希望をいつも抱いていた。しかし、年頃になると、彼女は提案された結婚に強い嫌悪感を示すようになった。女子修道院長は彼女の抵抗を応援した。少女は、デュヴァル・ド・スワクール氏から後見権を剥奪する裁判所の判決を得た。とどのつまり、ヴィランクールの貴婦人[フェイドゥヌ・ド・ブロウ夫人のこと]は、親族であり一緒に住んでいるラ・バール騎士のために豊かな結婚をもともと望んでいたということだ。刑事代官は、きっと復讐してやると誓った。
冒涜があった数日後、彼は憎悪による復讐を遂げる機会を見つけた。ラ・バール騎士とデタロンド・ド・モリヴァルという名前の友人が町をぶらついている時に修道士の行列に遭遇したが帽子を脱がなかった。そうした不敬は雨が降っていたから仕方がなかったかもしれない。しかし、デュヴァル・ド・スワコート氏にとってそれだけで十分であった。彼は修道士に対する不敬と冒涜行為、さらに罰当たりな言葉を聞いたことを結びつけた。それから彼はこの地方で最も重要な五つの家族に属する5人の若者を告発した。その中の3人、すなわちデタロンド・ド・モリヴァル、デュマニエル・ド・サヴェンセ、ドーヴィル・ド・メレフェルは逃亡した。ほかの2人、すなわちド・ラ・バールとムワネルは逮捕された。
裁判はすぐに結審を迎えた。わずか14才のムワネルは無罪放免となった。しかし、ヴィランクールの貴婦人の尽力にもかかわらず、ラ・バール騎士と法廷の召喚に応じなかったデタロンド・ド・モリヴァルは、1766年2月28日に前述のように死刑判決を受けた。
また私は高等法院がラ・バールの控訴を棄却したことについてもすでに述べた。彼はアブヴィルに連れ戻された。アブヴィルで処刑が執行されることになっていた。
到着した翌日の朝、シャルル=アンリ・サンソンはまだ眠っていた。その家の扉を激しく叩く音が聞こえた。それは、市庁舎にすぐに出頭するようにという刑事代官の命令を持って来た牢番によるものであった。不運な若者は市庁舎に身柄を移されていた。その途中、牢番は、パリの処刑人がアブヴィルに呼ばれたと聞いてからラバールは処刑人に会いたがっていたわが祖父に言った。さらに牢番は、囚人の要望を伝えられた刑事代官が「ド・ラ・バール氏に明日を楽しみにしていろ」と答えたと言って、また刑事代官は要望が繰り返されてようやく譲歩したと付け加えた。
ラ・バール騎士は視聴者の1階にいた。牢番は、会いたがっていた人物が目の前にいると彼に言った。シャルル=アンリ・サンソンが敷居に姿を現すと、暖炉のそばに座っていたド・ラ・バール氏は立ち上がって迎え入れた。
ド・ラ・バール氏は20才になったばかりであった。彼の髭のない顔、繊細で端正な顔立ちはむしろ女と言えるほどの美しさであり、そのおかげで実年齢よりも若く見えた。彼は均整が取れた体つきで優美であった。もし状況が異なっていれば、シャルル=アンリ・サンソンは彼の高潔で際立った態度に感銘を受けざるを得なかっただろう。しかし、サンソンは、恐ろしい瞬間にもかかわらず若者が異常な落ち着きを保っていることにとても驚いたのでほかに何も考えられなかった。少し青ざめた様子が彼の顔に浮かぶ唯一の感情の現れであった。目蓋が少し赤くなっていたのは彼が涙を流していたことを示していた[ 以下、この章の最後の段落まで仏原文から翻訳する]。
彼は微笑みを浮かべて処刑人に目を向けると言った。
「あなたを起こしてしまったようですね。私を赦してください。まさにあなたのおかげで定刻に深い眠りに就くことになろうとしていることを思うと、少し勝手なことを言いたくなります。ラリー=トランダル伯爵を斬首したのはあなたですね」
気安く素朴な感じで投げかけられた問いにわが祖父は困惑して口ごもった。
ド・ラ・バールは「あなたは彼をひどく切り刻みました。正直に言うと、死に臨んでそれだけが怖いのです。私はいつもちょっとした自惚れ屋でした。だから私は、醜いと言われたことがなかった私の哀れな首が見る者をぞっとさせてしまうようになるという考えに耐えられません」と言った。
シャルル=アンリは、ラリー伯爵の身に起きた事故において、最期の瞬間に激しい痙攣を起こして神経質な身震いを続けたド・ラリー氏の強い興奮状態を非難する必要もなければ、まして処刑人の不器用さも非難する必要もないと答えた。また彼は、斬首は罪人が気丈にふるまう必要があり、それがうまくいくためには剣を振るう者の力量と技量だけではなく罪人の勇気も必要だからこそ貴人の処刑方法になっていると付け加えた。さらに彼は、ほかの者であれば逃げ出したいと思うようなことについてあなたが並外れた勇気を示して話したので、無益な苦しみを与えないようにして、あなたが恐れているような切り傷を首につけないようにすると強い感動を抑えるために声を低めて言った。
ラ・バールは「それは良かった。きっとあなたは私を喜ばせてくれるでしょう。ただ一度くらいやり直しても私は何も不満に思いませんよ。死者は想像以上に恐ろしいものです。墓場で敵を作らないように」
そしてラ・バールはサンソンに退室を求めた。
退室する時、シャルルアンリサンソンは聖職衣を着た年老いた淑女と修道士が入って来るのを見た。それはヴィランクール女子修道院長だった。まるで息子のように愛していた者に最期の別れを告げようと聴罪司祭を連れて来たのだ。
わが祖父は市庁舎を離れることができなかった。朝8時、刑事代官が到着した。面会したばかりの哀れな若者について考えるのを止めることができなかったシャルル=アンリ・サンソンは、罪人の落ち着いた様子と彼を裁いた者の動転した顔を比べて感銘に打たれていた。デュヴァル・ド・スワクール氏の顔は青ざめていた。唇は震え、目は熱を帯びて輝いていた。彼はあらゆる者に微笑みかけた。彼の嫌気が差す笑いは昨日はまだ本物らしかったが、今日は見せかけのようだった。彼の詰まった声や焦燥に気づいた者は、良心が叫び声を上げて憎悪を満たすために恥ずべき不正行為を妨げようとしていると思っただろう。彼は行ったり来たりした。彼はそわそわと出発の準備を整えた。彼にとって時間の進みはあまりにも遅かった。時に彼は深いため息をして不安をあらわにした。
7月1日9時、死をもたらす一行がついに出発した。ド・ラ・バール氏は「不信心者、不敬者、いまわしい極悪の冒涜者」という言葉が大きな文字で書かれた板を胸に抱き、処刑場まで馬車で向かった。
ドミニコ会修道士の聴罪司祭は彼の右に立っていた。刑事代官はその反対側に立とうとした。
騎士は刑事代官を見ていなかったが、わずかな引きつりが彼の美しい顔を変えていた。彼は後ろを歩いていたわが祖父に合図をした。そこでわが祖父は彼の左側に身を置いた。それを見た彼はデュヴァル・ド・スワクール氏に聞こえるように大声で言った。
「このほうが良い。魂の医者と肉体の医者の間にいれば、いかなる災厄も私に降りかからないだろう」
一行はサン=ウルフラン教会の前に彼を連行した。そこで彼は公然告白の刑に処せられることになっていた。しかし、彼は慣習で定められている言葉を述べることを頑なに拒んだ。
彼は「罪を告白することは神に嘘を言うことになる。私はそんなことをするつもりはない」と叫んだ。
処刑台に到着した時、わが祖父は顔を青くした彼をじっと見た。その眼差しを理解した彼はすぐに言った。
「あまり心配しないでください。私は子供じみた真似は絶対にしません」
騎士を支えていたドミニコ会の修道士は感きわまって息が詰まりそうになった。わが祖父は連れてきた4人の助手に斬首に用いる剣を騎士のもとに持って行くように合図した。
騎士は剣を持ち、刃を指でなぞり、よく鍛えられて研がれたばかりであることを確認すると、シャルル=アンリ・サンソンに言った。
「さあ、しっかりとした手で一撃してほしい。私は動かずにいるから」
わが祖父は若者を驚いた目で見つめた。
「しかし、騎士さま、慣習によればあなたは跪かなければなりません」
「慣習が間違っている。跪くかどうかは罪人しだいだ。私は公然告白の罪を受けるのを拒んだ。私は立ったまま死を待とう」
完全に職務を停止したシャルル=アンリ・サンソンはどうすればよいのかわからなくなった。
騎士は「斬れ」と少し苛立ちを含んだ声で言った。
それからここに書き留めておく価値が十分にある驚くべきことが起きた。わが祖父は正確無比に力強く剣を振るうと、脊柱の結節をきれいに切断して貫通させたが、首は落ちなかった。一瞬だけ首は胴体の上にとどまっていた。胴体が倒れてようやく首が離れ、驚くべき処刑を見ていた者たちの足元に転がった。
年代記や伝説はあらゆる話を散文や韻文で作るためにこの奇妙な事実を把握しているが、どれもが正確なものではない。無節操な歴史家の1人は、わが祖父が観衆に向かって「なかなかすばらしい動きだったのではないか」と言ったと優れた技量を称賛するために付け加えている[ほかにも処刑人の伝説が紹介されているが長くなるので省略した。安達116頁~117頁参照]。
わが祖父と不吉な同業者たちに公正を期して、こうした処刑人の唇を汚すような恥ずべき言葉を否定することが私の責務である。処刑人が好きで職務を遂行しているとか、大量殺人の才能を誇っているとかいうのは馬鹿げた作り話である。もし歴史上に本能的に残虐で感情的に血を好む怪物がいたとしても、我々の中にはそのような者はいない。もちろん私は同業者についてもよく知っている。たとえ多くの同業者たちが私と同じく出自と家系の伝統の犠牲者ではなかったとしても、人間の自然な感情に反する職務を恥という感情を持たずに果たしていた者は誰もいないと私は断言できる。
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