ビリー・ザ・キッドの真実の姿―第10章 キッドに関するさらなる記憶
※ミゲル・アントニオ・オテロ『ビリー・ザ・キッドの真実の姿』に関する詳細は『ビリー・ザ・キッド史料アンソロジー』についてでまとめています。
ジョージ・コーのビリーに関する詳細な説明は我々を完全に満足させたが、我々はさらなる詳細を知るために彼の親戚であるフランク・コーを訪問することにした。
我々は懇切な歓迎を受けた。フランク・コーは熱意を込めてキッドについて語る中、記憶に残っている友情について我々に語り始めた。
「1877年、私はビリー・ザ・キッドに初めて会った。彼はラス・クルーセスからペコス渓谷に到着したばかりだった。彼は18歳の青年だった。私自身も青年とは大差なく25歳だった。我々の間ですぐに親密な友情が始まった」
「私は、ビリーが年頃の青年たちとは違っていることに気づいた。少年時代から彼は自力で生きてきた。彼が私に語ったことによれば、彼は少年であることがどういったことか理解していなかった。12歳にして彼は25歳かもう少し年上の男たちと交流していた。ビリーは何でも学びたがったし、最も活発で豊かな心を持っていた。彼は非常に小さく体は細かった。彼の手足は男性のものというより女性のもののようだった。彼は重労働ができるような体型ではなかった」
「ビリーは、ニュー・メキシコにある鉱山の町シルバー・シティで育った。そこで彼はなりふり構わず手っ取り早くお金を稼ぎたいという精神を養った。古い採掘場には多くの居酒屋や賭場があって、ビリーは、その地方で非常に人気があったモンテ賭博をする機会を得た。彼はやることすべてが玄人であり、賭博仲間の驚異だった」
「ビリーは、どのようにして火器の扱いに巧みになったのか私に説明した。[まだ幼い]年齢と細い体は一対一で向かい合う時に不利だったので、身を守るためにライフル銃と六連発銃をうまく扱えるようになりたいと決意したと彼は言った。鉱山の町での荒々しく騒々しい暮らしの中では、喧嘩の中でいつでも傷害沙汰になることがあった。彼はあらゆる努力を傾けて自分の野心を実現して、仲間たちの中で早撃ちでよく知られるようになった」
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