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グリーンランド捕鯨船での生活

後甲板にて(C・ドイル医師)

今はすでに絶えている生活を体験できたことは私にとって良い財産となっている。今でもグリーンランドの漁場であるデイヴィス海峡―グリーンランドとスピッツベルゲン島の間にある水域の漁場―に行くイギリスとアメリカの捕鯨船はあるが、ここ10年の間に悪運に見舞われたせいで漁場は現在、ほとんど放棄されている。ピーターヘッドの船であるホープ号とエクリプス号は、かつては100隻もの船団を維持できるほど栄えた産業をずっと続けていた最後の2隻である。非常によく知られた捕鯨家であるジョン・グレイの指揮下にあるホープ号において、私は1880年に北氷洋に向けて7ヶ月間の旅をした。私は船医の資格で旅に出たが、駆け出しの21歳にすぎなかったので、私の医学の知識は平均的な3年目の医学生の知識とそれほど変わらなかった。私の施術が必要となるような深刻な事態が起こらなければ良いと私はしばしば思っていた。それ[航海のきっかけ]は次のようにして起きた。ある薄ら寒い午後、エディンバラで私は医学生の生活を絶望させるような試験のために一生懸命勉強していた。ちょっとした顔見知りの医学生が私のもとへやって来た。彼が投げかけた途方もない質問が勉強私の頭からすっ飛ばしてしまった。

彼は「来週から捕鯨航海に出てみないかい。君は船医になれる。月に2ポンド10シリング、鯨油1トンにつき3シリングだ」と言った。

当然ながら私は「どうして僕がそんな仕事ができると君は思うんだい」と質問した。

「僕は自分で行くつもりだったからさ。最後の瞬間に僕は行けないことになった。そこで僕は代わりを務めてくれる男が欲しいわけさ」

「北氷洋のための装備はどうすればいい」

「僕のを使えばいいさ」 

ジョン・グレイ船長

すぐにことは決まった。そして、数分で私の人生の流れは新しい方向に向かっていた。

約1週間以内に私はピーターヘッドに行って、司厨長の助けを借りながら、良船ホープ号の私の寝台の下にある箱にわずかな持ち物を詰め込む作業に追われた。私が最初に船に乗った時、面白い出来事があった。私が学生だった頃、ボクシングが私のお気に入りの娯楽だった。というのは一生懸命勉強している時、ボクシングは他の何よりも短い時間でより多くの運動ができるとわかったからだ。したがって、私の持ち物の中には変形して色褪せた2対のグローブがあった。偶然にも司厨長はちょっとした闘士であったので、私の荷解きが終わると、彼は自分からグローブを掴んで、すぐにひと勝負しようと持ちかけた。私はジャック・ラムがまだ生きているかどうかわからないが、もし彼が生きていれば、彼がその出来事をきっと覚えていると私は確信している。私は今でも彼の青い目、黄色の髭、分厚い胸、筋肉質のがに股の脚を見ているかのようだ。我々の勝負は不公平な勝負だった。というのは彼の腕の長さは私よりも数インチも短かったからだ。そして、彼は打ち合いについて何も知らなかった。ただ私は、彼が路地ではきっと手強い男だろうと確信していた。私は彼が接近するたびに殴りつけた。そして、私は彼があくまで突き進もうとしているのを知って、少し強めに彼を殴打した。1時間くらい後、私が食堂で読書していると、隣にある航海士の船室から何か言う声が聞こえた。突然、私は司厨長が「おいおい、コリン、奴は最高の船医だぜ。奴は俺の目の周りを黒くしやがった」と低い声で言うのを聞いた。それは職務上の能力について私が受けた最初の、もしかすると最後になるかもしれない感謝の言葉だった。

ホープ号

司厨長は良い男だった。7ヶ月もの間、地面に足を触れることがなかった長い航海を振り返ると、彼の親切で幅広い顔は私が思い出して楽しいと思えるものの一つだ。彼の声はとても美しく心地良いテノールであった。彼が食器室で皿を洗っている時、私は皿やナイフがガチャガチャいう音とともにそれをいつも聞いていた。彼はたくさんの心地よく感傷的な歌を知っていた。6ヶ月もの間、女性の顔を見ることがなければ、そうした感情がどのようなものか理解することはできないだろう。ジャックが 「彼女の輝かしい微笑みは私をいまだに悩ませる」や「天国の門で私を待っていておくれ、甘美なるベル・マホンよ」を歌い上げると、我々は漠然とした甘美な渇望で満たされ、私は今でもそれを思い返すことがある。彼は私と毎日ボクシングの練習をしたので手強い対抗者となった。特に海の上では彼は海に慣れているので船の揺れをうまく踵で吸収できた。彼はもともとパン屋だった。私にとってそうであったように、グリーンランドは彼にとって多くの夢があるように見えたようだ。

ホープ号の人員配置に関して一つ不思議なことがある。一等航海士として[契約書に]署名した者は体が不自由な老人であり、絶対に義務を果たせそうになかった。その一方、調理の下働きは巨躯で赤ひげで日焼けしていて太い四肢を持ち、雷のような声の男だった。船が港を出港した瞬間、老船員は調理室に姿を消して、航海中、皿洗い係りとして働いた。その一方、皿洗い係は船尾に歩いて行って一等航海士になった。どういうことかと言えば、資格を持っているものの航海には役に立たなくなった者がいた一方、読み書きはできないもののすばらしい航海者の資質を持つ者がいたということだ。 関係者全員の取り決めによって、彼らは海に出ている間、寝台を交換することになっていた。 

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