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第14章 処刑人と高等法院

 これまでの章で処刑について述べざるを得なかったせいで、わが家系の思い出を述べるだけではなく、現在の法制史の流れに沿って文書を引用して計画どおりに紹介するという回顧録の目的をしばらくおざなりにしていた。今、私はわが家系の事柄に戻りたい。

 以前、そうした家系の記録を私が中断した時、シャルル・サンソンが亡くなったばかりであり、未亡人のマーサ・デヴュは7才の長男のシャルル=ジャン=バティスト・サンソンを父の地位に就けた。人間はあらゆることに慣れることができるものだ。私も悲しいことだがそれを自分で証明している。血に塗れた世襲の役職と自分たちが同一視されることをわが家系が受け入れるようになったのはシャルル=ジャン=バティスト・サンソンの時代からであった。ジャン=バティストは子供であり、自分の祖父や父の暗鬱を知らなかった。自分が選ぶことになっている職のための準備をする中、彼はより高い職を望むことはなかった。

 マーサ・デヴュはシャルル・サンソンを心から愛していた。シャルルサンソンの思い出を尊重した彼女は、息子たちが父の名を汚さないようにすることを望んだ。それを防ぐために彼女は、息子たちが父の職業を受け継がなければならないと決めた。彼女は長男の成功に満足せず、次男のために宮廷裁判所の執行人職を確保した。ダミアンの処刑において哀れな次男がいかにその職に向いていなかったのかはすでに見たとおりである。それはシャルル=ジャン=バティスト・サンソンはそうではなかった。母と同じく彼は自分の職業を大事に思っていた。わが家系の記録の中で彼の幼かった頃の記録が抜けていると私はすでに言った。そうした欠落にはほかにも理由がある。任命状で使われた表現によれば、法的に有効な年齢、すなわち職務を果たせるようになる年齢になると、彼は間隔が空いた祖父と父の記録をしぶしぶ再開した。彼が最も目立った役割を果たした場面であろうとも、それがあまり印象に残らなかったのでほとんど言及しなかったと考えるのは容易なことである。前任者たちの古い習慣について敬意を示すいくつかの覚書が残っている。そうした覚書は非常に曖昧なのでほとんど使えない。

 わが祖父がペンを執ったのは1755年1月のことであった。私はちょっとした詳細とともにいくつかの面白い事柄を見つけた。まず彼はラクストンなる者の処刑を執行した。ラクストンは法曹家のアンドリュー氏を殺害した罪で刑車にかけられた。それから建築家のルコンバ氏を殺害した罪で2年間にわたって収監されていたモンジョが同じ刑罰を課された。そうした嘆かわしい事件はよく知られている。破滅的な愛に溺れたド・モンジョはルコンバ氏を殺害して、自ら警察に助けを呼んで自衛のために相手を殺したのだと主張して嫌疑を避けようとした。そうした主張は信憑性がなかったのでド・モンジョは処刑された。愛人のルコンバ夫人の冷淡さに怒ったド・モンジョは彼女が自分の共犯者だと訴えた。処刑台の前で彼女はド・モンジョと対決させられた。彼女はとても美しく、法官を魅了しようとしたが効果はなかった。彼女は死刑判決を受けてグレーヴ広場で絞首刑に処せられた。

 それから1ヶ月後、ラ・マルシェの法官であるデュフランシーの処刑が執行された。彼は、大勢の衛兵をけしかけて自分を殺そうとしたとロイという名前の商人を告発した。その後、彼は告発を取り上げようとしたが、時すでに遅かった。彼は告発を証明するように求められた。デュフランシーは自分の告発を補強するためにお金を払って偽りの証人を立てて、囚人が死刑になることはないと言って安心させていた。4人目の証言者が前に進み出た時、不幸なロイは証言に驚いて「私があなたに何をしたというのか。あなたは私を処刑台に送り込みたいのか。私はあなたのことをまったく知らないし会ったこともない」と叫んだ。

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