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『ロラン夫人回顧録』第二部⑦

こうした真実に気づくとすぐに私の胸は喜びでいっぱいになった。それはまさに私にとって嵐における港であり、諸国民の信条や社会制度について何が間違っているのか恐れることなく検討できるようになった。創造主にしてその叡智で世界を監督する神、聖霊にして不滅の存在のすばらしい理念は虐げられた美徳ある者たちの慰めとなるが、それは愉快で華々しい妄想にすぎないのだろうか。この難問の周りにいかに多くの暗雲が立ち込めていることか。数学のような厳密さでそうした難問を扱おうとすれば、いかに多くの異論が山積するだろうか。否、人間の精神は白昼の光の下で真実を完全に明らかにすることを求められていない。たとえ真実を明らかにできなくても、繊細な人間にとってそれがどのような重要性を持つのだろうか。理念を感じるだけで十分だ。

机上の空論と無味乾燥な議論の上であれば、私は[神の]理念を解明することなどできないという無神論者や物質主義者の主張に同意するだろう。しかし、大地に包まれて自然を見つめると、私の心は万物を息づかせる活き活きとした真理、万物を調整する叡智、私が万物の中に多くの魅力を見つけられるようにしてくれた善性によって強く動かされる。広大な海[P注:誤読によるものか、それともビュゾーに関する言及を削除するためかボスクは「厚い壁」と印字している(訳注:原文はmers immensesでありボスクの印字はmurs immensesである)。その当時、ロラン夫人はビュゾーと仲間たちが自分の助言(8月31日付の手紙)に従って合衆国に亡命している途中だと思っていた。しかし、彼らがブルターニュを出発してボルドーに向かったのは9月20日のことである]によって愛するものと隔てられている今、社会の改善を望んだにもかかわらず社会からあらゆる苦難を罰として与えられている今、私は人生の果ての先に犠牲の代価と幸福な再会を期待している。

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