第8章 カルトゥーシュ
1721年10月15日、パリは興奮の渦の中にあった。全住民が通りに出ていた。店も居酒屋でも応接間でも人びとは互いに半信半疑で次のように言い合った。
「カルトゥーシュが逮捕された」
『バルビエの年代記[仏原文はJournal de Barbier、18世紀の歴史家Edmond Jean François Barbierがまとめた年代記。おそらく"Chronique de la régence et du règne de Louis XV (1718-1763) ou, Journal de Barbier"に収録されている記述を引用したのではないかと考えられる]』は以下のように捕縛について述べている。
「15日、パリに特報。前述のカルトゥーシュなる有名な強盗の行方があらゆる場所で捜索されていたが、どこにも見つからなかった。それはおとぎ話だと考えられていた。彼の存在も現実にすぎなかった。今朝11時、彼は捕らえられた。彼よりも有名な盗賊はいないだろう」
「カルトゥーシュによる言葉が摂政に恐怖をもたらしていた。そのため彼の逮捕を指示する秘密の命令が出されていた。カルトューシュが首都を離れたとか、オルレアンで死んだとか、伝説にすぎないとか、いろいろな噂がパリで流れていたのでカルトゥーシュはまさか自分が追われているとは思っていなかったようだ」
ここから先は
8,493字
¥ 100
期間限定!PayPayで支払うと抽選でお得
サポートありがとうございます!サポートはさらなる内容の充実によって読者に100パーセント還元されます。