『ロラン夫人回顧録』第二部⑧
9月5日。
書いたものを小さな箱に封じるために紙面を切断した。というのは私は革命軍が結成され、血に塗れた新しい裁判所が設置され、飢餓が脅威となり、専制者たちが窮地にあると知ったからだ。専制者たちは新しい犠牲者を求め、24時間経っても確かに生き残れると断言できる者は誰もいないだろう[P注:9月5日朝、国民公会はパリで革命軍を結成すると布告した。それと同時に革命裁判所の改組(審理を速めるために四つの部が設けられた)が決定された。ロラン夫人のこうした記述は、どのようにして彼女が「紙面」を外に持ち出していたのかを我々に教えてくれる。彼女が紙面を「小さな箱」を入れると、信頼できる者の手によって持ち出された。1793年10月のマンテル宛ての手紙を参照せよ]。
第四面の続き、第二編。
ソフィーとの文通は私にとって常に大きな楽しみであった。我々の友情の絆は、彼女がパリまで何度も来てくれたおかげでさらに強まった。私の繊細な心には、空想上の相手ではなく、信頼と意思疎通の点で大切な相手が必要であった。友情のおかげで私は信頼と意思疎通を手に入れることができた。私は喜びとともに友情を育んだ。母との交流は心温まるものであったが、そうした愛情[の欲求]を埋められるようなものではなかった。母は一種のいかめしさを帯びていて、それは敬意をもたらす一方、威厳を感じさせるものであった。私は母に何も隠さなかったので、母は[私について]なんでも知ることができただろう。しかし、私は母にすべてを伝えていたわけではない。母に打ち明けることもあれば、対等な者にだけ打ち明けることもある。
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