自分自身へのご褒美をなるべく控える
基本的に一人ぼっちで生きている人間は、「自己刺激低減の法則」という罠にかかりやすくなる。日常から意外性のある刺激が絶え、味気なく、物足りない感じのする毎日になる。それに絶えられずに刺激を強くしようと画策すると、より極端な物事に手を出すことになり、心と体を壊してしまう。
だから、僕はなるべく自分自身にご褒美を与えないように気をつけてきた。日頃の生活はなるべく質素に。ドレッシングや塩分も控えめに。
感染症が流行り始め、中途半端な繋がりの人との接触が極端に減ってきた去年の3月あたりから(ちょうどその時期に、僕はnoteを始めたわけだが)僕はそうした生活をするように心がけてきた。一進一退を繰り返しながら、僕の生活は以前よりもかなり質素なものになった。そして今、僕はそうした生活に不思議な懐かしさを覚えている。
思い出してみると、僕はそもそも築七十年の寮で中学・高校を過ごしたのだった。特に、高校の頃に住んでいた一人部屋はあらゆる刺激物に乏しい独房だった。テレビも、インターネットも、冷蔵庫すらもなかった。そもそも、部屋の電力は40Wまでしか使えなかった。デスクライト一つで容量いっぱい。(たまに、そんな中でも1400Wの電気ケトルを使おうとするおバカさんがいて、そういう時は寮のフロアごとブレーカーが落ちた笑)
そんな中、僕は恋人からくる手紙を楽しみにして(21世紀にも、こういう種類の恋愛が辛うじて残っていたのだ)生きていた。その当時の手紙ほど、受け取って嬉しかったものはない。本当に、心の底から嬉しかった。
まぁ、次第に相手は他の男の子のことを好きになって、僕のことを忘れていってしまったわけだけれど、その時の恋人に今でも会うことがある。
「いつか、海で燃やそう」と彼女は言う。「あれは、私たちの黒歴史だから」と。
もちろん、僕はそれに反対する。そこでふと、彼女が僕の手紙を未だに取っておいてくれていることにやっと気づく。
「手紙、嬉しかった?」と僕は意地悪な尋ね方をする。彼女は答えない。