喫煙者と僕
︎︎冬場の喫煙者には哀愁が漂う。
︎︎分煙が進んでいるのか後退しているのかは、なにぶん僕自身が喫煙者ではないから分からないが、傍から見ていて思うに分煙は喫煙しない人と共に暮らすのであれば仕方の無い策である。
︎︎分煙をする理由の大部分は健康を害するからだと聞く。それ以外には、僕がぱっと思いついたのは長く残る匂いと部屋の壁や物を変色させることぐらいである。それらを避けるために分煙にするのだが、そのためには喫煙者は他の場所で喫煙をしなければならなくなる。必然的に別の場所へ移動する必要がある。
︎︎分煙スペースへ向かう影がちらほらと見える中、別の場所で一服する人もいるだろう。それを見て嫌悪の態度を取る人や分煙スペースへ行けと注意する人、注意されて吸うのを止める人、逆にじゃあ空いている所を教えてくれと怒り出す人……僕が田舎者ゆえに分煙の苦境に立たされた人の群れを見たことはないが、なんとなくだが想像にはつくものである。色んな人がいる中、色んな価値観、考え方がある中で喫煙を通して誰かと暮らすのは大変なことであることは田舎者でも分かっているつもりだ。
︎︎そんな分煙でのいざこざが蔓延る世の中で、その片隅にある僕の知っている家庭を例にあげてみようと思う。狭い団地住まいの一家、まだ幼い子どもが二人いる四人家族。父親は煙草を吸う時には子どもの健康のために気を遣ってベランダに出て一服するのだ。これで家内の空気や家具が平穏に保たれるのである。しかし冬場、特に大寒などの一番寒い時期にこれまた気を遣って分煙するためにベランダに出ていく後ろ姿を、窓越しの影を、寒空の中ブルブルと身体を震わせながらそれでも至高の一時を送っている姿を見ているといたたまれない気持ちになってくる。分煙の下にいる僕たちには、ベランダは寒いし部屋で吸ったら? ︎︎とは言えず、せいぜいベランダに行く時は暖かい服を着てねと言うぐらいである。
︎︎平穏な暖かい部屋をこっそり抜け出して冬の明るい星空に照らされながら煙草を吸うその哀愁漂う姿を見て、僕は人の幸せを想うのである。喫煙者はそのために存在すると言っても過言では無い。喫煙すれば短命になるという医学的な研究結果の下に、それでも一服したいと言う人たち。喫煙者とは、分煙という苦境に立たされながらも、それでも「自分の身体の在り方の自由」を勝ち取った存在なのだ。賞賛に値する存在なのだ。拍手喝采!
︎︎しかしそれは僕の感性の中だけであって、他の人ならば一緒には居たくないとは思うのだろう。確かに長時間は一緒に居たくないとは思う。しかし、たまに漂ってくるチョコレートのような甘い香りは好きであるし、先に書いた通りある意味人生の自由を勝ち取った勝者であることは尊敬するところである。
︎︎今年もまた冬がやってくる。喫煙者の多幸を願いつつ、喫煙者たちの哀愁の深い後ろ姿を優しく見やる者でありたい思う晩秋、霜降の侯、早朝に筆を擱く。