「切り花」(小道具掌編集)
キッチンカウンターにはシンプルなガラスの一輪挿しがあって、花を生けたり水を替えたりするのは誠司の領分だ。茶道を習っていた母親の影響で、一輪だけでも空間を和やかにするからと、一年じゅう大抵何かしら飾られている。
そんな誠司だから、まだ一緒に住む前、付き合い始めた当初はよく彩香に花を贈った。彩香は正直、戸惑っていた。生活に花を持ち込む習慣がなかったらしく、「どうしたらいい?」と真面目に聞いてきたのがおかしかった。今でもちょっと、怖がっている節すらある。
誠司が研修などで数日家を空ける時は、彩香はまず誠司の不在を寂しがるのではなく、水やりとか室温とかどうしたらいいんだ、とえらく真剣に言う。切り花だし適当にしていいよ、と誠司がいくら言っても憂い顔が晴れず、自分が一人でいる間に枯れてしまうのを何より恐れているようだった。
花は枯れるのが摂理だ。だから美しい。誠司はそう思っている。けれど贈られる方にとっては、残らないものだ。実際付き合い始めの彩香は、ただ見るのはいいとしても自分で管理するのは億劫なものを贈られるのは、やや気が重たかったようだ。
その億劫を見抜いても、誠司は彩香に花を贈り続けた。綺麗だ、ありがとう、といいながらも受け取る顔が喜色満面とは言い切れない彩香に、こう言った。
「あーや。僕が、どうしてあーやに花を贈るのか教えておくよ。花は枯れるものだろ? だから見る分には綺麗だけど、実際には世話をしなきゃいけないので、その手間を彩香が億劫がってるのは僕もわかってる」
「いや、億劫っていうか……」
やったことがないものだから、と声が尻すぼみになっていく彩香を励ますように、誠司はじっと顔を覗き込んで。
「それでも、僕があーやに花を贈るのは、あーやに会いたいからだよ。花が枯れる頃だから、そろそろ新しいのを贈ろうって思える。要は口実なんだ」
花を贈れば、彩香に会えるんだよ。まじめな誠司の声の調子に瞬いた彩香の頬が、徐々に色づく。誠司はだめおしにこう言った。
「ねえ、枯れてしまうにしても、花のある生活っていいものだと思わない?」
「それは、まあ……綺麗だし」
「一緒に住まない?」
その発言のあまりの脈絡のなさに絶句した彩香の顔を、誠司はのちのちまで忘れなかった。鳩が豆鉄砲とはこのことだ。
「……唐突だな!」
「僕、一年じゅう部屋に花を飾ってるんだ。花の管理は僕が全部する。その手間をなしにして、あーやは花を楽しむ生活ができるんだ。いいと思わない?」
にっこりとそう言う誠司の顔を、彩香はただただ呆然と見返して。
――もちろんそれで同棲が受け入れられたわけではない。ほんのジャブで、このあと誠司は数ヶ月かけて共に住もうと彩香を口説いていくことになる。彩香はあとから振り返って、家賃は折半だし家事の負担は減るしと色々メリットを提示されたけれど、結局一番インパクトがあったのは花のことだったと呆れたように回想したものだ。
この冬も、変わらず一輪挿しが空になることはない。寒い時期は飾れる花の種類が減るけれど、代わりに格段に長持ちする。水もそう神経質に替えなくていいから楽だ、とは誠司のコメントだ。彩香はチューリップやスイセンはわかるけれど、ラナンキュラスはいつまで経っても名前が覚えられない。けれど、上品で美しい佇まいが好きだな、とひそかに思いながら時どき花びらに触れたりする。その瞬間を盗み見るのが、誠司のささやかにして確実な幸せの一つだった。