4月28日(1952年)は沖縄県民には屈辱の日?琉球人ならば喜ばしい日です。#35
4月28日(1952年)は屈辱の日?
琉球人側からすれば喜びお祝いする日です。
琉球の歴史を振り返って見ましょう。
1187年-1879年まで、琉球国は692年間存続していました(私は現在も存続中という立場です)。
1879年日本は首里城占拠、尚泰王を東京へ拉致、琉球役人三百人余りを拷問し沖縄県に強制就業させました。
1879年-1945年の66年間は日本による暴力的支配を受けました。
上記歴史は無視し琉球人の祖国は日本で、日本から切り離されたのは無念である屈辱の日だと1952年当時の琉球人は考えたのです。
その1952年から遡ること73年前の1879年当時の琉球人は誰一人自らを日本人という人はいませんでした。
その後日本が清国と戦争し勝つ1895年頃までは、琉球人の大半は日本が琉球国を強制的に沖縄県にしたが、きっと大国である清国が琉球を助けに来てくれると信じていました。
しかし、まさか日本が清国に戦争に勝つという信じられない事が起こってしまったのです。
その年くらいから琉球国の復国を諦めはじめた琉球人は徐々に日本人にならなければ未来はないと考え、日本に同化して行きます。
歴史を振り返ると、琉球人が日本に同化し日本人になろうと意識したのは五十年くらいです。
その五十年は琉球国の存続した七百年近い歴史に比べれば短いものですが、琉球人は日本の軍国主義に洗脳され、実はその強烈な洗脳教育の弊害は2021年現在でも続いています。
何が続いているの?
と思う人が大半だと思いますけど、我々の言語である琉球諸語を方言と言い否定することを今でも続けていますよね?
我々琉球人の歴史は七百年近くもあり、七百年近く琉球諸島では琉球諸語を用いて来ました。
それなのにわずか五十年支配されただけの外国である日本の言語のみしか学校教育では教えず、沖縄県では、しまくとぅばという訳の分からない名前で琉球諸島の言語を普及ではなく大切だと言うだけで、学校教育の教科として組み込もうとするなんて全く視野に入れていません。
琉球の言語でこういう有り様ですから、旧正月は全く祝わない、伝統的な木造赤瓦建築の建物も殆ど無い、食生活も伝統食はやめたので寿命は縮まる、メタボ率は日本一高いなど、日本支配後の弊害をあげれば枚挙にいとまがありません。
そして歴史です。
1952年4月28日は日本という外国から暴力を受けて強制的に設置された沖縄県から解放され元の琉球国に戻れたとても喜ばしい日なのです。
それなのにその日を屈辱?
たった五十年、しかも琉球人の言語も文化も歴史も何もかも否定された日本支配から解放されたのに、その日を屈辱?
そう考えたのは1952年当時だから仕方がないではなく、今、現在2021年でも、この日は屈辱だという沖縄県のメディアや沖縄県の政治家たちが大半なのです。
もう、ヤバすぎます。
4月28日を屈辱の日と言う人は琉球人ではなく日本人です。
2021年現在でも殆どの琉球人は沖縄県民という日本人だと信じ込まされているので、4月28日屈辱の日とのメディアの報道に何の違和感も持たない人が殆どです。
同胞である琉球人の皆さん、気づきましょう。
我々は琉球人であり、決して日本人ではありません。
それを気づけない限り米軍基地問題や日本最貧県などの問題は解決できません。
つまり、何度も私は書いていますが、琉球国として日本から独立すべきなのです。