「沖縄方言」だと差別的表現!「おきなわ語」です!#25
私はうちなー(おきなわ)生まれ育ちですが、私の母語であるはずのうちなーぐち(おきなわ語)は親もきちんと教えてくれなかったし、学校でも教えてもらえませんでした。
私は二十歳を過ぎてから、うちなーの歌三線を始めましたが、その際に自らの言語である「うちなーぐち」をほとんど知らない自分に愕然としました。
それからはうちなーぐちを徹底的に学び自分のものにしようと思い、母語話者と言える私の親や、祖父母世代の方たちから積極的に学ぶことをはじめ、さらに生まれ育ったこの島「うちなー」の歴史も独学で学びはじめました。
独学で学んだことが本当に良かったと今では強く思います。
それはなぜか?
私の生まれ島、うちなーの言語「うちなーぐち」や「うちなーの歴史」を大学、また、その研究者から学んでいたら今でも私は自らの母語のことを「沖縄方言」という差別的表現で呼んでいたかもしれません。
この「沖縄方言」という呼称は我々うちなーんちゅ(おきなわ人)の文化を棄損し踏みにじるものであり、決して許してはいけない表現です。
我々の言語を方言と規定し呼称するということは、我々うちなーんちゅは程度の低い言葉を話す人々という意味になり、さらにはうちなーんちゅの国である、琉球国の歴史の否定にも繋がります。
それはなぜかということを下記に述べますがその前に私、比嘉光龍(ふぃじゃ ばいろん)が何をしてきたかということを少し述べます。
私はうちなーぐちやうちなーの歴史を独学で学び始めもう25年になります。
独学で学んで来たから下記のような経験ができたと思います。
①県内大学でうちなーぐち講師を担当。
②沖縄大学の研究員。
③沖縄タイムス紙へうちなーぐちの翻訳文を執筆。今年2021年で10年目。
④沖縄市に依頼され沖縄市のサイトにうちなーぐち辞典原稿執筆。
⑤研究社という日本を代表する出版社から依頼され『沖縄語リアルフレーズBOOK』という本を刊行。
⑥欧州初と言われるうちなーぐちの講義をドイツの大学で講義。
⑦日本全国高校一年生対象の英語教科書『Power On』に私の活動が2017年から2022年まで掲載。
上記私のプロフィールはすべて日本の大学や研究者たちからうちなーぐちを学ばなかったから、ここまで取り上げていただいたと今は強く思います。
こういう自分にとってマイナスとなることをあえて書くのは、我々の言語を学校教育で日本語や英語と同じ時間を割き教え、さらに、うちなーぐちのみのメディアも作り、政治や行政もうちなーでは、日本語と同じ程度にうちなーぐちを用いるというような社会になることを願うからです。
さらに、「方言」の前に「沖縄」という漢字を用いない理由も述べておきます。
これは1609年我々琉球人の琉球国を、武力を用い侵略した薩摩が最初に用い始めた可能性が高いからです。
私自身も色々な文献を調べ、さらに沖縄県立公文書館にも「沖縄」という漢字の由来の調査を依頼した結果、やはり薩摩公文書に歴史上初めて「沖縄」という漢字が使われ始めるというのが2021年現在までの調査結果です。
薩摩は1609年に我々琉球国を侵略し裏から支配し、我々琉球国と中国との交易による利益を1871年まで270年近く搾取してきたいわば強奪者です。
その強奪者が用い始めたであろう「沖縄」という漢字を何も考えずに用いる「沖縄県」という名称はかなり問題です。
ここから「方言」について述べます。
まず「方言」という言葉ですが、辞典中日本語語彙を一番多く収録する『日本国語大辞典』よりその定義を引用します。
① 共通語・標準語とは異なった形で地方的に用いられることば。また、中央の標準的なことばに対して、地方で用いるその地特有のことば。俚言。土語。なまり。片言。
定義冒頭に「共通語・標準語とは異なった形で地方的に用いられるーー」とありますが、我々琉球国の「共通語」は1879年までは「首里語=うちなーぐち」が奄美大島から与那国島までの琉球諸島の共通語でした。
1879年まではうちなーぐちが琉球諸島の共通語だったのかもしれないけど、その後、琉球国は沖縄県となり日本語が共通語となったし、沖縄県は日本の地方だし、だから「沖縄方言」だよね?という反論があるでしょう。
そう述べる人が大半なのは承知しています。
しかし、それは我々琉球人の国、琉球国の歴史を知らないから「今は沖縄県で日本だから」と安易に言えるのです。
薩摩が琉球を侵略した1609年から、支配を続ける1871年までの歴史は長くなるのでここでは割愛します。
けれども琉球国が日本に表面上完全に潰された1879年について、殆どの歴史本では触れない事柄を下に書きます。
1879年3月27日、日本は武力を用い首里城を占拠しました。そしてその後、拒む尚泰王を同年5月27日に東京へ拉致し一生軟禁状態に置きます。また同年8月、日本への服従を拒んだ琉球役人を日本の軍隊が首里の役所へ拉致し、約300人拷問し沖縄県へ強制就業させます。
こういう一連の大事件を沖縄県民は殆ど知らないし、そして日本人も殆ど知りません。
この歴史を日本の歴史書では「琉球処分」と定義します。
しかし、一連の1879年の国を崩壊させられる大事件は琉球側からすれば日本の侵略行為であり、この沖縄県強制設置は「日本の琉球侵略」と定義することこそが我々琉球側の被害の真実が伝わる言葉なのです。
この1879年の一連の大事件は弱者であり被害者である我々琉球側の当時の役人である、喜舎場朝賢著『琉球見聞録』(1914)に事細かに記されています。
とはいえ、『琉球見聞録』の記述は無視され日本側の都合の良い歴史が現在でもすべてと言えるほどの琉球の歴史本や論文などに書かれているのが現状です。
歴史でもこうなのですから、我々の言語も歪められ「沖縄方言」と定義されそれは現在でも多数の人がそう信じ込まされているというのが実情です。
したがって「今は沖縄県だから沖縄方言でしょう?」という人はいつから沖縄県になったのかという歴史を知りません。
私はそもそも沖縄県を認めませんし、琉球国を暴力的に支配している今の日本は国際法に照らしても違法なのです。
それについては下の琉球新報の記事を参照下さい。
さて、「方言」の定義に戻りますが、既述した『日本国語大辞典』に「方言」は「なまり」とも書かれています。
同辞典で「なまり」という言葉を調べてみると
〘名〙 (動詞「なまる(訛)」の連用形の名詞化) ある地方にみられる、標準語・共通語とは異なった発音。
〘自ラ五(四)〙 言葉や発音がくずれる。また、そのような言い方をする。標準的でない言い方をする。よこなまる。
「なまり」という言葉の意味は「言葉や発音がくずれる」ものだとあります。
我々琉球の誇り高き言語である「おきなわ語」は舜天王即位の1187年から数えれば800年以上もの歴史のある言葉なのです。
その歴史ある言葉はくずれた言葉である「方言」という侮蔑的な定義がなされ、1879年以降は日本語のくずれた言葉であり汚い言葉だと教育現場で扱われてきました。
いくらなんでも「侮蔑的」だとか「汚い言葉」だとか言い過ぎでしょうと思う方も多いでしょう。
この「方言」という言葉の定義は、実は上記辞書の定義ではまだ生ぬるいのです。
日本の言語学者達はもっとひどい言葉だと捉えています。
例えば、創価大の金子弘教授(日本語学)は自身のウェブサイトで
一般語の『方言』には『間違った、汚い、変な』といったニュアンスが伴う
と書いています。
さらに、慶応義塾大学の堀田隆一教授は言語学の大家、柴田武の文を引用し
この過程で方言は恥ずかしいもの,悪いものという印象が国民の意識に深く刻み込まれ,戦後,現在に至るまでその傷痕は癒えることなく残っている(以上,柴田,pp. 110--18 を参照)
と自身のウェブサイトで述べています。
また、NATIONAL GEOGRAPHIC誌のインタビューに
「あの頃、どんな地域でも、方言をむしろ汚い言葉として見る傾向がありました」 国立国語研究所の木部教授は言った。木部さんがフィールド調査を始めた1980年代の日本での話だ。
ともあります。
他にも静岡大学の熊谷滋子教授の書く論文『方言が滅びる時』にて
東北方言は「ズーズー弁」と蔑まれ、時に滑稽に、時には侮蔑的に語られる方言としてよく知られている
と述べています。
そのほか、北海道教育大学の佐藤昌彦元助教授は『中期目標・中期計画に基づく教員養成の充実』(北海道教育大学紀要 2005)に
方言には正しくない言葉、誤った言葉、悪い言葉として長く蔑視され続けてきた歴史があった
との記述もあります。
もっとありますが、これくらいで十分でしょう。
「沖縄」という漢字は我々琉球人を侵略支配した薩摩が用い始めたといえ、我々の言語「おきなわ語」は「沖縄方言」と侮蔑的表現で現在でも呼び続けるという状況があります。
ここまで説明して理解してもらえたかと思いますが、我々の言語「うちなーぐち」を「沖縄方言」と書き、そう呼び続けるということは我々うちなーんちゅは「汚くて悪い、劣った馬鹿な人」と自ら定義していることになるのです。
こういうことは私が言うまでもなく言語学をかじったものであれば誰でも容易に理解できそうですが、これは日本に遠慮、忖度しているからなのでしょう。
沖縄県の教育や行政、政治に携わる方々のほとんどは見て見ぬふり、もしくは無関心だというのが、1879年の沖縄県強制設置以降、もう100年近くも続いています。
もう一度書きます。
「沖縄方言」という言葉はうちなーんちゅは汚い言葉を話す劣った人たちという意味になります。
今すぐに訂正して下さい。
うちなーんちゅの皆さんこの差別的表現を「おきなわ語」、もしくは「うちなーぐち」と改めるように周りに伝えて下さい。
ここでおそらくたくさんの疑問がおこると思いますが予想される二つの質問に答えておきます。
① 沖縄方言ではないのであれば鹿児島方言や青森方言という言い方も差別的表現になるのか?
答え うちなーぐちをはじめとする琉球諸島には6つの言語があるとユネスコ(国連教育科学文化機関)が2009年に発表しました。したがって鹿児島から青森まで(八丈語やアイヌ諸語を除く)の言葉についての言及はありません。
② それでは「おきなわ語」の下位区分である首里や那覇の言葉はなんと呼べば良いのか?
答え 琉大名誉教授の宮良信詳氏などは「おきなわ語」の下位区分である首里や那覇、糸満などの言葉を方言ではなく「変種(へんしゅ)」と定義し論文を書いています。そう表現することに私も賛同します。ちなみに、うちなーぐちでは言語を「くち」といい、方言は「くとぅば」と言います。
今まで日本の方言学者は那覇の言葉を定義する際にはどう表現していたのでしょう。
「沖縄方言の那覇方言」?
まあ、おかしな定義ですが、それをきちんと述べるのであれば
「おきなわ語那覇変種」
とすれば整合性のとれる学術的表現と言えるでしょう。
ちなみに「おきなわ語那覇変種」をおきなわ語で表現するならば「うちなーぐち那覇言葉(なーふぁくとぅば)」となります。
良たさる如、御願さびら(ゆたさるぐとぅ、うにげーさびら。宜しくお願いします)。
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