大事件!先生が生徒の耳たぶを煙草火で焼く(久米島)#7
信じれられないとは思いますが、うちなーぐち(おきなわ語)を使った生徒を、先生が戒めの為に生徒の耳たぶを煙草火で焼くというとんでもない事件が起こりました。
それは、1932年頃の久米島の尋常小学校で起こったことです。
なーんだと思わないで下さい。
今こんなことが起ったら体罰どころかこの先生は逮捕され、暴行事件の犯人として大ニュースになることでしょう。
こういうとんでもない事件が琉球諸島では当たり前のように戦前、いや戦後もあったのです。
この事件を知ったのはリンクを貼っている『近代沖縄における方言札の実態 禁じられた言葉』(近藤健一郎 2005)からです。ぜひお読み下さい。
その上記事件についての箇所を抜粋します。
p7 「③ 最も忘れ難いものに訓育面で標準語励行の問題がありました。ー中略ー 質の悪いものは煙草の火で耳たぶを焼かれたり、あの手この手で戒しめられたお陰で方言を使う生徒が少なくなり明るい学校になりましたー」
上記記事を読んで分かってもらえたと思いますが、この方は先生の生徒への暴行事件を肯定的に書いています。
ややこしいと思いますが少し説明すると、これは久米島の小学校の何周年かの記念誌に書いてある文章です。
戦後ではあるようですが、いつなのかははっきりしません。
ただ、戦前こんな事件があったのにも関わらずこの記念誌に寄稿された方は先生が生徒の耳たぶを焼いたのは生徒が悪かったからで、その後学校は明るくなったという、これまたとんでもない事を平気で書いています。
こんなとんでもない暴行事件を肯定し、しかも、その後学校は明るくなったと書くメンタリティ、これこそが我々の言語である琉球諸語が「方言」でも良いし、汚い言葉だと未だに思い込まされている大きな要因です。
こういう感覚を持つ方言札を首からかけられた先輩方は本当に多いです。
例えばよく聞くのが
「バイロンさん、あんたは方言上手だねえ、昔は方言札があっていつも首からかけられていたよ。はっはっはっは」。
というどう受け答えして良いか分からない過去の話し。
この「方言札」というのは人権問題ですし、我々の文化を破壊した悪しき慣習だったのです。
この方言札を学校現場で用い、先祖伝来の琉球諸語を使ったからと言って首からかけさせ辱める行為自体あってはならないことで、こういうことは笑って済ませられないことです。
残念ながら琉球諸語を「方言」と考えている人は多数ですし、しかも汚い、悪い言葉だと思っている人は上の世代になればなるほど多く、過去の学校現場での間違った教育は現在でもほとんど反省はなされていないように見受けられます。
過去に方言札を用いたり生徒たちを殴ったりした先生達は悪いことをしているという意識はほとんどなかったようです。
つまり、なぜそんなことをしたかというと日本人として差別をされないようにという歪んだ、間違った愛情が、こういう方言札を用いたり、体罰をしたりすることに繋がったのです。
なぜこんなことが行われたのか?
誰が悪いのか?
それは日本です。
日本が我々の琉球国をそもそも暴力で1879年に潰し、日本に同化しないと生きていけない社会環境を作っていったのです。
琉球人の先生たちは琉球の言語や文化を全否定し、日本人として教育することこそが子ども達の為になると信じていたのです。
日本側からすればそう教育して貰えれば琉球人を徴兵した際、日本の為に潔く死んでくれるので好都合だったでしょう。
琉球諸語が本当の意味で我々琉球人の言語だと認識できるのは、過去の間違った教育を直視し、さらに我々は日本人ではなく琉球人だという自覚を持たない限り私は無理だと考えます。
半分は日本人で半分は琉球人、という中途半端なアイデンティティでは我々の琉球諸語は復活できません。
ハワイ人やカタルーニャ人、ウェールズ人達は自らを支配している地域のアイデンティティを持つことを拒んでいます。
こう書くと日本と琉球を分断させようと考えていると思われる方が多いでしょう。
違います。
我々琉球人が日本人ではないというアイデンティティを持つことによりはじめて日本人と共生できるのです。
琉球人の現状を見て下さい。
まず若い世代、具体的に言うと2021年現在で50代以下の世代は、琉球諸語は全くというくらい話せない。
さらに沖縄県という日本の植民地がどうやって作られたかほとんどの沖縄県民は知らない。
琉球の歴史は知らないが日本の歴史は受験に出るので知っている。
クリスマスや節分などは知っているが旧正月はまったく知らないし知っても祝おうとしない。
さらに、所得は全国最下位で、学力も最下位。
つまり沖縄県というのは日本が支配しているのであり日本人と琉球人は共生しているのではなく支配、被支配の関係です。
私は沖縄県民ではなく琉球人だとここで宣言しておきます!