8月15日は琉球人が日本の支配から解放された日!#1
(トップ写真は現在の那覇市東町にあった戦前の沖縄県下最大の市場)
1945年8月15日は日本の敗戦日ですが、1879年より66年間も日本から支配を受けていた琉球国民である琉球人が解放された日でもあります。
しかしながら
琉球人が日本の支配から解放された日!
とは日本の政治家やメディアどころか、琉球人の政治家やメディアもこういう認識では語らないし報道もしません。
1945年年8月15日は琉球人にとっては暴力的に支配されていた日本から解放され、やっと自立し、再び琉球国として独立することを考えていける日でもあったのです。
わずか66年の支配でした、と言いたいのですが、66年に及ぶ日本の支配は政治、教育の場で徹底的に日本人になれ!という洗脳教育だったので、あろうことか、日本は祖国ではないのに、祖国復帰運動なるものを推し進め、再び米軍基地だらけの日本の植民地、沖縄県となってしまいました。
ただし、上で述べた66年間の日本の支配年数にはもう一つ検討しなければいけない事実があります。
それは故照屋寛徳氏が国会で
「政府は、ウチナーンチュ(沖縄人)は、いつから法的に日本国民になったと考えているのか、その法的根拠、始期を示した上で、政府の見解を明らかにされたい。」
と質問し政府は
「一般に、沖縄の方々については、遅くとも明治三十二年に制定された旧国籍法施行の時から日本国籍を有していたものと承知している。」
と答えています。
そのリンクが下記です。
つまり日本政府の見解では「明治三十二年(1899)から沖縄の方々は日本国籍を有した」ということなので、1879年は沖縄県を強制設置したのであり琉球人は日本国籍を有していなかったということです。
そうすると1899年から1945年まで46年間のみ日本人と扱われていたということになります。
1879年から1945年8月15日までの66年間、もしくは1899年から1945年までの46年間、我々琉球人は日本の圧力と同化政策により、自らの文化や言語を否定し、また下の写真のような戦前の那覇の美しい赤瓦家屋群も戦争で破壊されてしまいました。
琉球人から見る歴史認識であれば、1945年8月15日というのは自己の文化や言語の否定から解放された日でもあるのです。
その証拠に侵略軍であるGHQは、琉球の言語で教科書を作ってはどうかと琉球人の指導者に聞きました。
そうしたら琉球人の指導者は、とんでもない、こんな方言(あえて使うが差別的表現)では何も教えることはできないと断ってしまったのです。
その証言について少し紹介します。
長谷川精一「戦後」沖縄における「標準語」指導 (相愛大学研究論集30巻2014年 21頁)より上記文抜粋。
歴史を鑑みれば、66年間も徹底して日本国万歳という洗脳教育を受けた琉球人が、日本が戦争に負け琉球が解放されたとは言っても、急に今まで方言として忌み嫌っていたうちなーぐち(おきなわ語)を学校教育に導入するなんて考えられないことだったでしょう。
また、8月15日は琉球人が日本の占領から解放された日なのに、終戦記念日という日本人側の視点でしか報道されませんし、太平洋戦争は強制的に琉球人が日本の侵略戦争に加担させられたという視点もまったく語られずに、ただただ悲惨だったということしか語られません。
このままでは、私たち琉球人はいつまでたっても自らの歴史や文化をきちんと学べない状況が続きます。
真実を見るのは苦しいです。
しかし、琉球人側から見ると1945年8月15日は終戦記念日ではなく、日本の支配から解放された日なのです。
ここを、きちんと認識できない限り、いつまでたっても米軍のやりたい放題、日本のやりたい放題はおさまりません。
我々琉球人は琉球人であり、日本人ではない、さらに琉球人の国である琉球国は1609年より薩摩により、また1945年からは米国も加わり、日米両国に支配されているという琉球人側の視点で歴史をみることができれば、琉球国は復国するべきだという当然の認識を持てるようになれます。
追記
8月15日を琉球人の日本支配からの解放日とする以外に、他にも検討すべき日を記しておきます。
6月23日 沖縄戦司令官の牛島満自決日
8月14日 ポツダム宣言受諾日
9月7日 南西諸島守備軍代表の降伏文書調印日
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