プロレス会場で泣いた日
1985年9月19日東京体育館で行われた、アントニオ猪木対藤波辰巳の試合が
行われました。
当時の新日本プロレスの残された切り札的なカードです。
前年の9月に長州力率いる維新軍団等の離脱により、選手層が薄くなった
新日本プロレスが、東京体育館で行った師弟対決裁くレフリーは
”鉄人”ルー・テーズ氏。
そして猪木さんは、この試合に師匠の”神様”カール・ゴッチから贈呈されている”リアルワールドチャンピオンベルト”を懸けました。
藤波さんが勝利すれば、名実共に”ストロングスタイル”の象徴となる試合です。
しかしこの試合を、純粋に”ストロングスタイル後継試合”として観ることはできませんでした。
それは当時の新日本プロレスの苦しい状況があるからです。
それでも私は、藤波さんの勝利を願い東京体育館で観戦しました。
試合内容は正に、”ストロングスタイル”の模範的な試合と言っても過言ではな位の白熱の試合でした。
終盤藤波さんが、足4の字固めで攻めましたが、猪木さんは藤波さんに
「折れ!この野郎」と言って耐えました。
藤波さんはこの時に、猪木さんの足を折っていれば、勝てたのですが
猪木さんの足を折る事は出来ませんでした。
それは、猪木さんの足を折る事で新日本がどうなってしまうか考えたのだと思います。
切り札である「師弟対決」勝利すれば、ゴッチ所縁の”世界ヘビー級”王座の継承そしてレフリーがルー・テーズ氏で、藤波さんにとっては最高の舞台でしたが、師匠超えはなりませでした。
私は初めてプロレス会場で涙を流しました。
それは、藤波さんが勝てなかった悔しさもありましたが、当時の新日本プロレスの状況で行われたこの試合の感動もあります。
私以上にこの試合に感動したレスラーが居ました。
上田馬之助さんです。当時ヒールレスラーとして参戦していたのに、
試合後にリングに上がり、猪木さんと藤波さんを称えたのです。
ヒールを貫いて来た上田さんが、立場を忘れるくらいの試合だったのです。
個人的には、藤波さんは勝てませんでしたが、この試合は、猪木さんから
藤波さんへの”ストロングスタイル”継承試合だったのではないでしょうか。
8・8横浜の試合が師弟対決のベストバウト的な評価がありますが、
私個人は、この試合がベストバウトです。
昭和の新日本プロレスの選手たちは、師匠である猪木さんの下を一度は離れる選手が多かったですが、一度も猪木さんの下を離れなかった弟子は、
藤波さんだけです。
(小鉄さんや北沢さんは弟子ではなく戦友だと思っています)
猪木さんと藤波さんは世界一の師弟です。