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プロレス少年は、家出をして龍の門を・・・

昭和の新日本プロレスとは別の話をします。
時代は昭和から平成に代わり、新日本プロレスの平成の顔となる
蝶野さん&武藤さん&橋本さんたちがメインを張り、第三世代が育ってきていた新日本プロレスですが、引退した猪木さんの格闘技界を巻き込んでの
新日本プロレスの介入によって、混乱期に入りました。
毎年開催されていた東京ドーム興行も「対小川」と云う毒によって
リング上は混乱状態になり、武藤さんの全日本プロレス移籍という事件が起こりました。
プロレスをしたい武藤さんは、格闘技界を巻き込んで闘わせ様とする猪木さんに背を向けて馬場さんの創設した全日本に数名の選手と社員と共に移籍です。
猪木さんが引退し、藤波さんも新日本プロレスを離脱した時に私も
新日本プロレスファンを離脱しました。
当時、新日本以外の団体(主にインディと言われる団体)を観戦していたので、次の推し団体(当時は推しなんて表現はなかたです)を探しました。
そんな時に、プロレスが切っ掛けで知り合った友人(新日本もインディも一緒に観戦していました)が、ある団体の仕事をする事になりました。
その団体から招待券を頂き、観戦することになりました。
その団体の存在はしっていましたが、生で観戦したことはありませんでした。
昭和の新日本プロレスに魅せられた少年は、大人になり昭和の新日本プロレスとは、真逆とも思える団体を観て虜になりました。
その団体は、元新日本プロレス練習生で、メキシコへ旅だちデビューした
ウルティモ・ドラゴン選手の教えを受けた「ドラゴンゲート」です。
「元新日本練習生」「ドラゴン」何故か私の中のプロレスキーワードが
重なった団体です。
元新日本練習生であるウルティモ選手がルーツ=新日本系と勝手に判断して以後、毎月の様に「ドラゴンゲート」を観戦する様になりました。
最初の頃は招待券で観戦していましたが、チケットを購入してちゃんと観ました。
昭和の新日本を観ていた時は、選手への思い入れが強くなり、観戦後は疲労感が残ってましたが、ドラゴンゲートを観戦する様になってからは、肩の力を抜いてプロレスを観ることが出来るようになりました。


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