なぜ学生スポーツアニメの主人公は「バカ」が多い?

私は、プロフィールにも書いているようにスポーツアニメが大好きだ。特に学生たちが頑張る青春ものが好きである。今期(秋アニメ)でいえば「ツルネ」や「火ノ丸相撲」に「風が強く吹いている」、ここ数年でいえば以前取り上げた「プリスト」、「ダイヤのA」「ハイキュー!!」「Free!」「黒子のバスケ」「おおきく振りかぶって」などといったところだ。

しかし、これらのアニメを見ているとあることに気付いた。それは
言い方が悪いとは思うが「主人公が大体バカ」ということである。

テストや普段の勉強風景を描かない作品もあるが、描いている作品に関して言えばほとんどの確率で主人公が「バカ」ではなかろうか。例えば「ハイキュー!!」においては「変人コンビ」の主人公日向翔陽と影山飛雄の二人が定期テストで赤点を取り、結果としてせっかくの東京合宿なのにも関わらず途中からの参加となっている。

正直言って、ここ最近の作品で登場人物の学力が表されたもののなかで主人公がバカじゃなかったのは「黒子のバスケ」の黒子テツヤぐらいではないか・・・?(相棒はアレだが・・)

なぜなのかと考えたとき、スポーツアニメで原作がある場合、少年漫画や10代向けの小説やラノベといったことが多い。そうなってくると必然的に読者が共感しやすいのは「頭がいい」主人公よりも「頭が悪い」主人公ということになるからではないか。

「頭が悪い」ということを見せるためにはテストや授業内で苦労する様子を入れることになる。そうなれば、多くの読者は「その苦労分かる!」という共感を覚える。その共感が主人公に対して好感を持つようになり、作品に対しても好感を持ちやすくなると考えられる。「頭がいい」となるとその逆の効果を与える可能性が高くなってしまうということも考えられるのだ。

ただし、「共感」だけが「頭が悪い」主人公を生み続けてきた理由にはならないはずだ。そこで昔における「スポ根」アニメを振り返る必要があると思う。

スポーツアニメにおける「頭が悪い」主人公の元祖ということを考えると「巨人の星」の星飛雄馬に行き着く。この場合、頭が・・・というよりも世間の常識が備わっていないという状態といえるが。

それが分かってしまうエピソードとして、アニメ版第92話「折り合わぬ契約」で描かれたかの有名な「クリスマスパーティー大失敗事件」を挙げたいと思う。

この大失敗に至る前に、飛雄馬はライバルのオズマに「野球ロボット」呼ばわりされ、野球一筋になるばかりに青春時代を謳歌していなかったことに気づいてしまった。そうなると、その失った数年間を取り戻そうと必死になって遊びまくったり、TV番組に出まくるなどをしている。

そして行き着いた先が、招待した人が誰も来ないという悪夢のようなクリスマスパーティーである。失敗度で言えば「シェフ大泉」以上(知らない方は検索を)。「空想科学読本」の柳田理科雄さんによると、絶望し暴れた星飛雄馬が壊した物の被害総額は現在の物価で118万円とのこと。金があるからって壊してもいいというわけがない。

今回の場合、常識がなかったというよりも人間関係性が引き起こした悲劇ではあるが、パーティーの準備をする前に飛雄馬は伴に対して「クリスマスって24日25日どっちだっけ!?」「ほらケーキ飾ってどんちゃん騒ぎするやつ」という台詞を言っている。高度経済成長期の最中でクリスマスという文化がすでに日本に根付いていたということと飛雄馬が戦後生まれであるという推測が多いことを考えれば、世間の常識とずれてしまっていると言えるのではないか。

これは、家が貧しいということもあるが、父一徹による過酷な「野球一色」の生活を送ってきたことが強く影響しているだろう。まさしくオズマの「野球ロボット」という台詞がふさわしい生活を送ってきたのだ。

このことから考えられるのは、スポーツ漬けの生活は学業に対しての悪影響だけでなく、もしかすると世間の常識でさえ分からぬまま社会という海に放り投げられるかもしれないという問題を抱えていることだ。少なくとも最近の作品ではただの「スポ根」ではなくなり、根性も描きつつも友達関係や「おお振り」のように「効果的な練習」を取り入れたりするなど大きくスポーツに取り組む学生の描かれかたは大きく変わった。

しかし、スポーツに熱中するあまり「学業」が疎かになる主人公が描かれ続けていることに関して言えばあまり変わってきていない。先ほど挙げたように「共感」ということもあるだろう。だが、大ブームとなった「巨人の星」などのスポ根漫画ブームをまだ引きずっている日本の学生スポーツ界において「スポ根」を肯定し続けてきた文化がそういう学生を作り続けてきたからとも言えるのだ。

もし、NCAAなどのようにあくまで「学業優先」を求める制度が根付いているアメリカで同じように「頭の悪い」主人公が出てくるスポーツ作品が放送されれば批判の声が続出するものだと私は考える。それは、アメリカにおいて「社会に出てすぐに戦力」となれる学生を育て続けてきた文化があるからだ。

日本においても少しずつ新社会人を「育てる」文化から「即戦力とする」文化になりつつあるように感じる。そうなれば、今までの学生スポーツのやり方では社会人になって脱落する元学生アスリートが増加していくだろう。

そういう人々を増やさないためには、学生アスリートに対して学業を優先し、「文武両道」を求める制度を導入し、今までの「スポ根」を肯定する一部でまだ残っている悪しき文化を崩していくことが必要と感じている。

大学スポーツ界において日本版NCAAである「一般財団法人日本大学スポーツ協会(UNIVAS)」が今年度中に設立されることが決まった。報道では大学スポーツの「スポーツビジネス化」が取り上げられるが、私はそれ以上に学生アスリートに対して「学業優先」を求めていくことが今まで以上に根付いていくことに期待している。

この動きが「文武両道」の支援、指導者の専門者化や練習施設の改善など学生アスリートを支える動きを大学生から高校生、中学生の運動部、文化系にかかわらず全ての部活動に対して広まっていくことが「ブラック部活」などの問題を抱える日本の教育界全体を変えていくことにつながっていくだろう。

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