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おめでとう、お前は立派な蛇となった



私は怒っていた。

5年ほど前アメリカにいた頃、私は家の近くや隣州で開催されるWWEの大会をよく観戦していた。そのどの会場でも共通してほとんど必ず聴こえてくるチャントがある。

"CM Punk!! CM Punk!! CM Punk!! CM Punk!!........."

失いかけた私のプロレスへの情熱を諦めさせなかった男の名前。
それは数年前にプロレス界から去った男の名前。
私のヒーローだった男の名前。

会場でこの名前を耳にするたびに私は苛立っていた。眉をひそめて、歯噛みをする程に。

目の前で起こる稚拙な展開、気に食わない展開に反発の意を示するために一部のファンによってその名前はよく叫ばれた。
その使われ方を含め、心底怒っていた。激怒と言って良かったと思う。その名を叫んだヤツを野次ってメンドクサイ目に遭った事もある。本当に、本当に、心底苛立っていた。そしてハッキリとこう思っていた。

『その男は俺たちを置いて消えたヤツだぞ。』

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時々、CMパンクをどう見れば良いかわからなくなる。
彼が真っ直ぐとした視線をこちらに送り、言葉を放つ時、吸い込まれるような感覚に陥る。
さながらジェダイマインドトリックだ。

2021年8月21日、CMパンクは7年ぶりにプロレス界に戻ってきた。その熱狂の最中で叫んだ。『また思う存分私の人生を壊してくれ』と。

ダービー・アリン、ダニエル・ガルシア、パワーハウス・ホブス…彼は7年の空白を埋めるようにAEWの未来と目される選手と闘い始める。

嬉しい。かつて彼が二度と戻らないと言ったプロレス界に、感謝と恩返しを胸にカムバックを果たし、若いレスラーに胸を貸して体現する様、彼自身が純粋に楽しんでいる姿。7年の空白を埋めように必死に躍動する姿。かつて所属した団体では制限されていた動きや装いを披露する姿。それらに触れるたび、目にするたびに嬉しかった。

はずだ。しかし私の心は言いようのない虚しさに包まれていた。
いや違う。嬉しいはずなんだ。大丈夫。そう言い聞かせるが目を背ける度に自認する。

(ああかつてほど彼にのめり込んでいないな。)

ティーンエイジの情熱と社会に出た人間のキャパシティの差だろう。そう一笑に付す事もできたのだが。
しかしこの団体にはそんな違和感をも掬い上げて、私の目の前に差し出してくるレスラーに溢れてる。

エディ・キングストン。何度も自身の人生に絶望し、この世界全ての怒りを抱えるように己を焼き尽くしながら放つ言葉と闘いで魅せる男。泥を啜りながらメインストリームにのし上がってきたAEWの魂と言える存在。今現在私にとっても5本の指に入るくらい好きなレスラーだ。

『偉大なるCMパンクさんよ。今更やって来てマジで何様のつもりなんだ。お前は俺のヒーローだった。だが教えてやろう。テメェは人を見下すニヤケ面の二枚舌のナルシスト野郎だ。ロッカールームの他の連中はビビって言えねえだろうが俺は違う。ここから出て行け。勝とうが負けようが知ったこっちゃねえ。俺はテメェをブチのめすだけだ。そんでまた辞めちまえ。』


2021年11月13日、Full Gearにて、パンクはエディを退けた後に握手を求めた。
『格じゃない』『PPVレベルじゃない』試合前散々コケにした相手に対して『お前やるじゃん』とばかりに。文字通り上から目線で。

私の中で何かが切れる音がした。
腹の底で何かが爆発した。
目の奥が沸騰する様な感覚に陥った。
しかしそれでも私はその何かに蓋をし背を向けた。
とあるカウボーイの栄光を見届けるため。

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その時は突然訪れた。パンク復帰以来ファンが最も熱望したあの男との対面が実現する。

Maxwell Jacob Friedman


端正なルックスと底知れぬリングIQ。類な稀なマイクスキルで観客をオタク共と呼び『俺はお前より優れてる。ご存知の通りな』と見下す。
デフォルメするならば"成金で"、"イケメンで"、"頭がいい"、"口減らずな"、"とても嫌なヤツ"。
マクスウェル・ジェイコブ・フリードマン。通称MJFだ。

『実はいいやつ』ヒールレスラーにありがちな"裏話"に容易くアクセスできる現代においても、それを超える鼻持ちならなさで観客の神経を逆撫でする最高のレスラーである。

言葉の力でズケズケと心に進入してくるレスラー同士の舌戦に期待を膨らないわけがない。今度はどんな化かし合いが見られるのだろう。熱い抗争の先に何が見られるのだろう。

パンク『ネットでもよく出回ってるよな。お前は今でも俺のファンで、本当は一緒にリングに上がれて嬉しいんだろ』

まるでMJFの奥にいる"マクスウェル・フリードマン"、"マックス"を茶化すように、パンクが一枚の写真を手に取るまではそう思っていた。

おそらく多くの方がご存知の通り、パンクのこの行動はMJFが、あいるは"マックス"が、"MJF: オリジン"を涙を流しながら語るという想像を絶する展開に繋がった。

俺はCMパンクのようになりたかった。何度も何度もテープを流して、目が充血するまで試合を見まくった。鏡に向かって声が枯れるまでお前の言葉を練習をしたんだ。ただCMパンクのようになりたかった!
2014年1月。お前はいなくなった。お前の存在を何よりも必要としている時に。お前のことを信じて疑わない時に。お前は俺を置き去りにした!俺たちを!


身体の中で何かが弾けて脳みそを駆け巡った。今度は逃げ場はなかった。

何度も何度も復唱し暗記したパイプボムが。
英語を学びたいと思わせた数々の彼の言葉が。
何度も見るうちに再生できなくなった"Money In The Bank 2011"のDVDが。
どこに行こうとも持ち続けているドキュメンタリーDVDが。
2014年1月に各所で踊り憶測が飛び交う『CMパンクWWE離脱』のニュースが。

プロレスを見なくなったあの時期が。

この一人の若者の慟哭とも呼べる叫びによって固く閉ざした蓋は吹き飛び、その中身がむき出しとなる。

マックス少年の様にレスラーを志していたわけではない。彼が吐露した筆舌に尽くしがたい受難も経験したことはない。彼ほど実存的にCMパンクを欲していたわけではない。しかしこれを私と呼ばず何と言えばいい。

あの日リングで叫ぶMJFの姿は、いつまでも会社と、あるいは世界と”パンクに”戦い続ける様を信じ憧れていたCMパンクに捨てられた私だった。
突然説明のないまま消え去り、プロレス界にさんざん悪態を付いていたパンクに失望していた私だった。
それでも盲信して無関係の場面で彼の名前を叫ぶ他者に、怒り狂っていた私だった。

そして私は再び怒った。私自身に。一度忘れて前に進んだはずなのに、ノスタルジーに負けて救世主面して帰ってきたパンクをやはりありがたがっていたじゃないか。その違和感に蓋を閉ざして来たじゃないか。

マックス、答えを見せてくれ。

MJF『マヌケな老いぼれめ。俺が蛇だ。悪魔が仕掛けた最悪の罠は、悪魔は存在しないと人々に信じさせることだ。パンク、お前と、愚かな子羊どもに思い知らせてやる。俺こそが真の悪魔だ。』

私は新世代の蛇に、あるいは悪魔に賭けることにした。ずっと閉ざしていた7年間の負の面をはき出すため、ありったけの負の感情を込めて、この大会に臨んだ。

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2011年、CMパンクが落としたパイプボムは私の狭い世界の中で炸裂した。WWEしか"知らなかった"私の世界に大きな穴を開けた。際限のない視野の広がりを感じた。

彼曰く『AEWに復帰する前、最後にプロレスをしていた時代』であるROH。私の世界に開いた穴の向こうにあった"知らなかった"世界。
かつてそこにいたという彼を追い求め貪った。何試合も、幾つもの刺激的な言葉を浴び吸収した。


CMパンク『マヌケな老いぼれめ。俺は蛇だ。悪魔が仕掛けた最悪の罠は、悪魔は存在しないと人々に信じさせることだ。』


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2022年3月6日 Revolution 2022

AEWのCEOトニー・カーンがROHを買収するという衝撃発表直後のこの日。CMパンクはROH時代と同じ装いと、同じ入場曲で現れた。あの伝説のドッグカラーマッチというシチュエーションのオマケ付きだ。かつて私がパイプボムの先で貪り食べた憧れの姿を再現してみせた。

結局私はこの男が運ぶノスタルジーにまたもや屈服してしまったのだ。まるで無関係の場面で声を上げていたアイツらの様に、歓喜し、理性を超えて意味を持たぬ声を叫んでしまった。

とどのつまりCMパンクはいつも一枚も二枚も上手の蛇だった。


ノスタルジーはさながらドラッグというのは本当らしいな。それは俺たちの記憶を作り変えてしまう。そしてお前はノスタルジーそのものだ。

昨年秋、初めて言葉を交わした際にMJFがパンクに放った言葉である。

いやはや全くもってその通り。

エンタメ、TV、映画、音楽、プロレス、あるいは経済、生活水準、国力エトセトラエトセトラ。かつて燦然と存在していた黄金期はとっくの昔に終わりを告げている。
全てが終わった後に生まれた者は、それでもそれらを愛してしまった者たちはいったいどうすればいいんだ。
結局私は輝かしい栄光に浸るだけで思考停止に陥るだけなのか。

レスラー、ひいては登場人物に自身を重ねて世界を見たいという欲望は誰にも大なり小なり存在すると思う。完璧なトレースでなくとも。要は濃淡の差だ。

今回の一連の抗争、MJFの怒りと憎しみの炎が生み出した影の形は、限りなく私の心に潜んでいたそれに近かった。それは深く、暗く、とても濃かった。そして負けた。

憎悪で身を温め続けることはできない。ただ身を燃やし尽くしてしまうだけなんだ。

パンクが戦前にMJFに語りかけた言葉が正しかったんだろう。
むき出しになり、影に飲まれた私の心は未だに晴れていない。
それでもやはり、MJFに勝って欲しかった。
CMパンクを、過去に浸っている私を倒してほかった。


確実なことは三つ。

リアルという崖に飛び降りて、新たな未来を作ろうとノスタルジーに挑んだMJFの姿は私にとって同世代を生きる新たなジェネレーションヒーローであったこと。

結局ノスタルジーをひっさげて来た男に敗れてしまったMJFもまた私の一面であったということ。

引き続きCMパンクという蛇を心に飼い続けていかなければいけないということ。


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二本の蛇道は少しの間交わって、また再び別れ始めた。

一匹の蛇は(自業自得であるが)子分として扱き使っていたウォードローの裏切りの落とし前を付けなければいけないだろう。

そして勝利を掴んだもう一匹の蛇はAEW世界王座を射程に入れていると各所で示唆している。

後者は特に私を不安にさせる。それは言わずもがな、今現在の私に最も濃く重なっている男が不安定な体勢でその玉座に座っているからだ。

今回仕留め損った蛇が草陰から、静かに、鋭くこちらを睨んでいるからだ。


CMパンク、つくづく腹立たしい男である。

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