FIFTYS PROJECTゼミ 第1回 政治にジェンダー平等を!
(iおんなの新聞1327号より転載)
92年生まれの私がフェミニズムに目覚めたのは大学に入学してからのこと。エマ・ワトソンの国連でのスピーチは衝撃的だったし、会社員になって数年は、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェやロクサーヌ・ゲイなどの翻訳本が立て続けに出版されていた時期で、大きな影響を受けた。でもこんな事言ったら日本のリブのお姉さまたちから「私たちの運動は外国からの借り物じゃない」って怒られてしまうかもしれない。ごめんなさい。本当に何も知らなかったんです。
9月28日の「FIFTYS PROJECTゼミ 第2弾」vol.1 の田中和子さんの講義では、性自認や性的指向がいかに多様かという大前提や、国外・国内双方のフェミニズムの歴史の概要が総ざらいされた。生活の中のモヤモヤからフェミニズムを知る人は多いと思うが、学問として正しい知識をインプットし、今この瞬間の人権感覚を持って歴史を学ぶことには大きな意義があると改めて感じた。権利を獲得するための運動はバトンを手渡され脈々と続いてきたものだ。先人には敬意を払いたい。私は田中美津さんの『便所からの解放』も知らないままいきなり海外のフェミニズムから影響を受けてしまったわけだが、それをバックラッシュのせいにするのは稚拙だろうか。いずれにせよ、これからも学ぶべきことは多い。
そう、やはり田中和子さんのお話の中でも印象的だったのは、1990年代から2000年代初頭にかけて日本で起きたジェンダーバックラッシュについて。「ジェンダー」「平等」という言葉が使えず、悪名高きあの謎ワード「男女共同参画社会」が爆誕する。田中さんは、女性のための政策が作られる一方で90年代から政治の右傾化が進み、選択的夫婦別姓制度の導入は30年も宙吊りになっていると説明した。
日本はすっかりジェンダー後進国だ。最近はZ世代が活発に運動をしていて頼もしい、と言われることが多いものの、リアル会場に来ていた大学生に話を聞いてみると、「社会課題に関心のある同世代は8%くらいで、その他が92%という感じ」とリアルすぎる数字を教えてくれた。それを聞いた他の参加者からは「どこの組織でもその1:9の割合は一緒な気がします」という声も。
三鷹市で市民運動に参加し、陳情を出したこともある田中さんは、結局陳情は不採択だったものの「何もしないよりはいい。うるさいな、と思われてもいいからちゃんと言おうと思った」と語る。小さなことの積み重ねでしか社会は変わらないのかもしれない。最後に素敵なメッセージを届けてくださった。「自分が正しいと思うことを言ったら相手に通じるだろうと思って、話がわかる人とだけ話をすると怖いことになるんです。だから、話が通じない人とも話をしていかなきゃいけない。マジョリティを巻き込まないと社会は変わりません。相手を好きになる必要はないけど、話ができる環境を作っていくのは大事だと思います」
文・清藤千秋
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