酒は命の水と言うけれど…
英語で"The"っていう単語がありますが、これはアラビア語だと"al"という言葉にあたります。
街名にもつくので、私の住んでいたカフジも正式名は"Al Khafji"。
これからわかるように『アル』から始まる言葉ってアラビア語が語源のものが多いんです。例えばアルカリとかアルケミ(錬金術)。大昔サウジアラビアは化学の発展していた土地だったので、化学用語はアラビア語を語源とするものが少なくないんです。
で、ここでちょっと考えてみてください。
『アル』から始まる言葉で、もう一つとても重要な…私達の生活からは、切っても切り離せないものがありますよね。
そう!!
全世界の呑兵衛が愛してやまないアルコール!!!!
アルコールの語源はアラビア語なのに、そのアルコールを楽しまないとか。
なんかね。すごーーーく胸がもやるんですよね。
それともアレなんですかね。
一足早く知って大人の階段登っちゃったから、俺たちはもういいや的な。
もしくは、天国でたくさん呑めるし今は自重すべき~みたいな。
いずれにせよ、なんとなくもやもや。
アルコールの語源になったアラビア語の国で、現在アルコールを飲むことはできないのです。ぬーん残念。
※なおここからはフィクションです
時にアルコールが禁止のサウジアラビアですが、家で作った密造酒ばかり飲むばかりでは流石に飽きる、ということで、よくウチでは別の方法でアルコールを入手してました。
その1、密輸商人から購入。
ある時父が砂漠のど真ん中に買付に行きましてね。今は懐かしきジョニ黒・ジョニ赤。あとなんだっけかな…とにかくウィスキーを数本仕入れてきたことがあります。黒とか赤っていうのはジョニーウォーカーのランクなんですけど、金額はどのお酒でも一緒なんだそうです。命の危険の前においては、どんな酒でも価値が平等…ということなんでしょうね。
その2、自分で密輸。
我が家には親戚に缶詰工場を営んでいる人がいまして。
よくタケノコの缶詰の中に日本酒を仕込んで密輸してました。途中、食物の輸入自体規制がかけられてしまったので(食べ物とわかった時点で送り返されてしまう)成功率は低かったと思いますけどね。流石に日本酒は貴重品中の貴重品だったので、父も誰にもふるまわずに家族でちょこちょこ飲んでいたようです。
その3、拾ってきた。
これは笑い話なんですけれど、父の同僚の方が海岸線をランニングしてたら、浜辺にビールの缶が打ち上げられていたそうです。しかも 6缶セット で!
嘘のようなホントの話。入国する時にマズいと思って処分したのか、それとも税関の職員が捨てたのか…。
当時私は子供なので飲めませんでしたが、中身はちゃんとビールだったそうです(笑
その4、他の国に行く。
サウジアラビアの隣にはバーレーンという島国があるんですけど、ここではイスラムの規制が緩く、ホテルとかではお酒を飲むことができるんです。我が家では毎晩のように宴会を催しておりましたので、まず行くことはなかったんですが(遠いし)、現地の日本人の一部の人達は毎週末バーレーンにお酒を飲みに行く人もいたようです。
その5、作る。
現地で、砂糖を原料に焼酎を作っていたのは前にお伝えした通りですが、それ以外にもブドウでワインを作ったりと、現地に住む日本人は酒作りへの努力を惜しみませんでした。まぁ大体失敗するんですけどね。
しかしながら、味はどうあれブドウを原料に出来たものはワインに間違いないワケで。ある時その失敗作のワインを集めて、ブランデーを作ることにしたんです。
父が会社に出ている昼間。
いつもの通りウチの母が蒸留していたんですけれど、出てきたものを見て母は『ああこれ失敗だわ』って思ったそうです。ブランデーって茶色いですけど、出てきた液体が透明だったので。
そして、あろうことか我が母はその蒸留したお酒を全部捨ててしまったそうです。
これを知った父、大 激 怒 。
察しの良い方ならお分かりいただけると思いますが、説明するとですね。
ブランデー特有のあの琥珀色の色素は、樽に寝かせておくことによって徐々に着いていく色なんです。つまり蒸留したてはどんなお酒でも無色透明。蒸留はちゃんと成功していたわけなんですね。
なのにそれを母は全て捨ててしまったと…。
本当にね…。
酒の恨みって恐ろしいものです。
あの時の夫婦喧嘩はひどかった…(遠い目
以上、酒が命の水ってよくいうけれどイスラム圏だとさらにガチだってお話でした。