和食だからなんでもいいってわけじゃ
アラビアにいる時って何食べてたの?
とよく聞かれますが、毎日普通に白いご飯とみそ汁と漬物とか食べてました。米って言っても現地の米じゃなくて日本の米です(そもそも現地では米は作れないだろうけれど)。米や缶詰、乾物などの腐らないものは会社が手配してくれる船便で注文。魚はアラビア湾が目の前にあるので、自前で釣る。肉は生協で購入(豚肉は禁止されてるので主に牛か鶏)。
野菜も生協で買うのですが、国がお金持ちなので全て他国からの輸入で食材はなんでもあります。もー季節感ゼロ。だから色々工夫はしていたものの、特に食材に困るということはなかったように思います。
ですから、作ろうと思えばたぶんどこの国の料理でも作れると思うのですが、そこは日本人。
我が家の宴会に来る人は前回書いた通り家庭料理に飢えているため、大体いつもテーブルに並ぶのはぜんまいやひじきの煮つけ、おからや母自家製の冷奴。あと裏でモロヘイヤと春菊を育ててたので、おひたしなどが主でした。
あとはお寿司ですかね。
父が多趣味な人で料理好きだったため、よく飲みに来る人達にアラビア湾で釣れた魚を使って寿司をふるまっていました。よく食べてたのはアジ・サヨリ・コチ・モンゴウイカ・アズマニシキ(ヒオウギ貝)などなど。
でもですね。
これだけの規模の宴会を毎晩毎晩やってると、流石に両親共に大変なワケです。父も会社から帰ってくると速攻台所に立って一品作るような人でしたけれど、それでも大変なワケですよ。
宴会の片づけを全て終えると母の寝る時間は大体夜中の2時、3時(父は翌日会社なのでさっさと寝る)。
当然、母は朝起きれない。
宴会が立て続けで忙しい時は、私が昼ご飯を食べに一旦学校から家に戻ったタイミングでのそのそ起きてくることもありました(カフジでは会社でも学校でも、昼食を取るために一度家に戻るのが常だった)。父が料理できるため母が寝てて困ることはなかったですけど、あの時代、あの宴会の規模。
いや、わかる。子供ながら母が一番大変ななんだということはわかっていた。だからご飯に文句をつけたことはない。ない…ハズ…、だった。
しかし、そんな忙しい生活を送っていた母は、ある日名案を思い付いてしまうんです。即ち、『朝ごはんも昼ご飯も、最初から全部用意しておけばいいじゃない』って。
ある日の朝、私が起きると冷蔵庫に“タッパーの中にめんつゆ入れて食べていってください”の書置き。おやおやなんだろう…。そう思って業務用のデカい冷蔵庫をギギィ…と開けると上2段くらいを、小ぶりなタッパーがぎっしりと占拠してる。
『…ワァ…(冷や汗』
子供ながらに、もうこれは イヤな予感しかしない 。
タッパーをあけると、そこには茹でたそうめんとおなじみシイタケ・錦糸卵・ハム・きゅうりがセット。で、別のタッパーにはめんつゆが。なるほどね。うん。たしかにそうめんっていいよね。いただきものがウチにはたくさんあるし。腐らないし。
…うん。
その日から私の食生活は、朝・昼・晩が
『そうめん・そうめん・宴会』
『そうめん・そうめん・宴会』
『そうめん・そうめん・宴会』
…
…
一カ月は持ったかな…(遠い目
おかげで未だにそうめんは食べられません。
以上、和食だからってなんでもいいわけじゃないってお話。