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Olectronica 《Sculptures on the floor》

「ポテトチップスを食べていて最後の一枚になった時、突然ハッとし、それまでのポテチが全て無と等しくなり、自分だけが残る。」
例えばそんなことが創作のアイデアになる、とOlectronicaの児玉氏が語った。(*)

なるほど。これが今のオレクだ、と思った。
つくる、とはどういうことか。どこから表現が来るのか。
彼らがいかに真剣にこの問いと向かい合っているかは、作品の素材感やマチエールのこなれた印象に包まれて、一見伝わりづらいのだが、私は静かに問いの圧が高まっているのを感じている。

NTT府内ビル別館で開かれている大分市主催の「回遊劇場AFTER」におけるOlectronicaの展示はその意味でとても気に入った展示だった。1927年に大分郵便局の電話分室として建てられ、空襲を乗り越えて今も美しく残る白いモダニズム建築の一室を、《Sculptures on the floor》と題して、一部を惜しげもなく壊して、その壊した素材を用いて作品を作っていた。

がらんとした空間に、その破壊の跡=「ネガ」「凹」があり、傍らに創造=「ポジ」「凸」がある。ちょうど、関根伸夫のあまりに有名な作品《位相-大地》(1968年)の穴と土塊の関係を思い出した。あるいは「態度が形になるとき(When Attitudes Become Form)」展(1969年)で、壁を正方形に剥がしたローレンス・ウェイナーの展示。もちろん私はそれらを情報としてしか知らないし、こうしたコンセプチュアルな表現は記録にしか残らなかったから、比較するのもおかしい話だが。

「回遊劇場」の直前に、国立新美術館の某「もの派」の巨匠展を観て、ひどく落胆した。莫大な予算をかけて、展示室に衛生的に処理された石を運び、砂利を敷き詰めて、圧倒的なボリュームをみせられても、「作品」と「空間」と「余白」とそれを観ている自分の対話ははずまなかった。きっと昔は狭い画廊に無理やり運んだり、土で汚れたり、水が漏れたりしながら、嬉々として展示を楽しんでいただろうに、形式的な雰囲気が否めなかった。むしろ私はOlectronicaの新作にこそ、「もの派」的な気配を感じた。

Olectronicaの《Sculptures on the floor》は(破壊部分と創造部分のどちらも)とても美しいし、それは大文字の「作品」や「空間」ではなく、小文字のそれ、つまり自分と空のポテチの袋の関係に通じる軽やかさと親密さがある。それを感じるのに、60年代の概念芸術の知識は要らない。もちろんいつもの人型彫刻もいた。作品と作品の距離感、極大と極小のコントラストもいい。オブジェと空間をめぐる壮大な旅に出て、とてもうまく舵をとっている二人は表現者としてうらやましい存在ではないだろうか。


*児玉順平氏の発言はOPAMで過日まで開かれた「日中韓現代作家交流展in OITA 2022」関連イベント「カイコウ-Encounter Our Lives」トークより。​