越冬経験者
#10年前の南極越冬記 2009/12/31
ちょうど10年前になる。当時、僕は越冬隊員として南極にいて、こんなことを書いていた。
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もうすぐ新しい歳を迎える。この一カ月間は、先遣隊に続き新しい砕氷船「しらせ」でやってきた51次本隊を迎え入れるための準備、物資の輸送、引継、そして自分たちが持ち帰る荷物の梱包作業と、忙しい日々を送っていた。
日本に居る皆さんは少し前に仕事納めを済ませ、今ごろ家族と共に正月休みを過ごしているだろう。しかし僕らにとっては、今が忙しい夏本番で、2月1日に予定している越冬交代式までは、仕事納めはまだまだ先の話だ。「元旦以外は休み無しだなあ。」と、そう思っていたところに都合良く、久しぶりのブリザードがやってきた。ありがたく休まさせてもらう。今皆で年越しのうどんを打っているところだ。
去年の今ごろは、南極へ向かう船の中だった。
僕ら50次隊は、「旧」しらせが引退し、今年やってきた「新」しらせが就航する間の年だったため、日本の南極観測では初めて他国の砕氷船、オーストラリアのAurora Australis号でここ昭和基地までやってきた。日程も変則的で、通常二ヶ月近くある夏オペ期間も二週間しかなく、昼間は輸送や建設作業を行い、夜中に引継を行い、ほとんど寝る間も無い二週間を過ごした。そんな忙しい日程の中でも、やがて僕らを残し南極を去ってしまう50次夏隊の仲間たち、49次の先輩隊員たちと酒を酌み交わす時間を作ることは忘れなかった。
あれから一年が経ち、僕らも越冬経験者として頼られる立場になってしまった。僕の目から見て、経験者は別として、やはり51次隊の動きは危なっかしい。初めて迎えたブリザードに対しても、安全や自分の身を守ることよりも、好奇心や興奮が先立つ言動が多い。たぶん一年前の僕らも、49次隊から見ればそう感じられたのだと思う。そう感じられるだけ、少しは僕も成長できたのだろうか。
日本とは6時間遅れで、昭和基地ももうすぐ元日を迎える。ブリザードで基地へ缶詰めの正月だけれど、晴れていても白夜で太陽は出っぱなしなので、初日出は一月の中旬までお預けだ。来年は日本に居る家族や友だちとも再会することができる。帰国後のプランはまだ全然考えていない。やりたいこと、行きたいところはまだまだ沢山ある。それは帰りのしらせでゆっくりと考えることにしよう。2010年、どんな一年になるのか楽しみだ。