青空はみんなが平等に見れる天からのご褒美②
今まで一緒に色んなことを話していた人が急にいなくなったら。
「あぁすれば良かった」
「あぁ言っておけば良かった」
なんて後悔の数を数えるようになる人が多いだろうけど。
結局のところ、自分のやりたい事、やらなければいけない事に追われたり。
相手もそういう時期があるから、いかんせんどう足掻いても後悔は残るし、とり戻せないんだよね。
今思い返すと色んな音楽仲間がいなくなった、
それは生活していく中で仕方がない選択をした人もいれば、もう物理的に会えない人が多い。
その話をするとキリがない。
その時
「もっと一緒にライブやりたかった」
「もっと遊びたかった」
とか脳内でわがままは簡単に言えるけど、エールは送れない。
「みんなのためにラブソングを書きました」
とかカッコいいこと言えればいいんだけど
僕はそんなにでっかい歌い手ではないのでウソくさくなる。
「ばーか!ばーか!」
とか
「何があなたのために曲を作っただ!このセールスマンが!」
とか
「綺麗事言ってんじゃねー!」
とか反抗的な言葉しか言ってこなかった。(ろくでもない)
でも人生で一度だけ、人に対してエールを送るために書いた曲がある。
これも結構時を遡る。
新潟にはCacisという女性ピアノユニットがいる。
初めて一緒にライブをした時に、打ち上げで僕がスナック菓子を口に含んだまま笑ってしまい
目の前の食べれるもの全てを台無しにしてしまって、それをずっといじられていくうちに仲が良くなっていきました。(年上怖い)
ある日ピアノ担当の和音さんが、ひどく疲れた顔をしていて
「どうしたの?」
と聞くと、お父さんが亡くなったの事。
本人は明るく振る舞ってたけど、心ん中悲しさでいっぱいだろうな、とか考えたり。
その時自分の周りでも亡くなる人が多くて、でもそれに慣れたわけでもなくどう言った言葉をかけていいかわからず。
「マジか…」
としか言えなかったのを覚えている。
あんだけ反抗的な言葉しか言ってこなかったけど、実際(あぁこれ実際綺麗事だなぁ…)って思えることもライブ中には言ってきた。
なんか自分が恥ずかしかった。
それと同時にこういうのを目の当たりにした時に何も言葉が出なかった自分が悔しかった。
散々言っておいて自分のエールは嘘っぽいなぁと。
家に帰って対して上手くもないギターを弾く。
今の気持ちを曲にする、まぁスマートにできたらいいんだけどそんな才能もなく。ただただ時間が過ぎていく。
(そういえば和音さん作曲する時Fコード進行からだと作りにくいとかぼやいてたな)
とかふいに思い出して、何か自分の中のモヤモヤと向き合うかのように
(そうだ、和音さんにエールを送ろう)
と思い立ち、どうせならFコード進行で曲を作ろうと
粗末な頭を振り絞って曲を書いた。
曲名は「ピアノ少女」なんの捻りもなかった。
ただ結局恥ずかしくて、人前では一度も歌っていない。
恋人でもないのにこんなのもらって嬉しくはないだろうと長い事封印してきた。
結局エールにはならなかった。
それから時はたって彼女らの「空への手紙」という曲を久しぶりに聴いた。
なんか恥ずかしがってないで素直にやりゃ良かったと思い、DEMOとして収めました。
いったいどれだけの人の手元にこれが渡ってるかわからないけど。
最近は自分のために曲書く事より
それを通して何か伝わればな、って思い書くことにシフトしました。
そして和音さんはいたって元気にお過ごしです、海苔をくれます、ありがとう。
結局どんな時も正解というのはないのだろうけど「ありがとう」
って言いえる方がいいって思うようになった。
もし仲良かった人が、命が燃え尽きた姿を見ても
悔やむより「ありがとう」って言うのが僕なりの誠意かなって。
命には時間制限がある
最期を見据えて「アレしよう、コレしよう、いっぱい伝えよう」としてもお互いにタイミングと状況があるからすごく困難。
なら短い時間でも、会えたことに感謝しようと思いました。
と、行きの車でモヤモヤ考えてたけど
いざ現場に着くと、もう藻菜ちゃんのステージが始まろうとしていた。
ステージが始まる際の彼女の第一声
「愛する人の事を考えてこの曲を作りました」
素直な声で、カッコいい。
遠くまで通る、気持ちいい歌声と
どんどん晴れていく空。
晴天、最高のご褒美だね。
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