寒空の下、ため息は都会に消える。
2020年1月、東京
コロナウイルスと言うものが世間に出回り始めた。
それから少ししてステイホームが義務化される時期が来た。
人々の大半はそこで束縛というものを体感する。
子供達は喜ぶ反面、大人達は生活の変化に大変困惑していた。
そんな中、僕は当時国際別居をしていた。
国際結婚の末、とある理由で上京、のちに国際離婚に行き着くのだがこのエピソードは特に面白くもないので割愛。
いいや、一度結婚をリハーサルしたのだ。
(ってふうに言っても何もかっこつかない)
都内某所、どうしようもない感情で生活していた自分のところにとある人から連絡が来た。
“Librehor Revision”
現在ギターを担当しているTAKUさんから。
当時志を胸にTAKUさんは上京したのだが、その後まもなくウイルス蔓延という壁にぶち当たってしまい、お互いが切羽詰まったといった状況だった。
色んなものが、常識が崩れていく最中
僕とTAKUさんは焼肉屋「牛繁」に居た。
パーテーションというものに分けられた空間。
人の少ない中央線沿い。
言葉にできない程殺伐とした空気。
思っていた都会とは真逆の生活の中、2人して頭を抱えていた。
あのなんとも言えない都会とは思えない雰囲気。
人の歩みがおかしくなった、人と人との距離感を気にして歩く人達を見て
「なんだかベルトコンベアで人が運ばれてるように見えるな」
なんて話もした。
会話の後半は「お互い新潟へ帰ろう」とマクドナルドの前でいっぱい言い合って
TAKUさんが先に、少し時期は遅れて僕は帰郷した。
新潟へ向かう新幹線の中
食べたあの雪だるま(貯金箱になるやつ)をゆっくりと食べた。
(こんなにも味気がなかったかな…)
って思えるくらい景色に集中していた。
新潟へ向かうにつれて密集した家がどんどんと山の風景に変わっていく。
(あぁ、新潟へ帰ってきているんだ)
としんみりする中。
地道に溜めていたあつ森のたぬきマイルが100万に到達したのも覚えている。
そしてその後、新潟での生活を取り戻しながら
結構な時間が経った後にTAKUさんとスタジオで再会することになる。
久しぶりに、しかも新潟で聞いたTAKUさんの声に安心して涙が出そうだった。
その後また時間は結構すぎたのだが、再び2人でご飯を食べにいった。
都内の時とは打って変わって店の雰囲気は明るくて、あの殺伐とした冷たい空気も皆無だった。
「あの時とは全然違うねw」
とか言いながらあの時とは違う気持ちでご飯を食べる。
生活スタイルも、気持ちも体調も(お互い)全然変わって、募る話もめちゃくちゃあったのでこの日は結構な時間一緒にいた気がする。
震災の後だったのもあって苦しい話もあったけれど、お互いあの頃より強く生きてるなぁとそんな最中
TAKUさんから嬉しい変化を聞いた。
「オレ、バンドでギター弾くよ!」
それが序盤に書いた“Librehor Revision”である。
音楽家としての再出発、制限改訂。束縛への反抗。
嬉しくてたまらなかった。
「いつか一緒にライブしよう!」
って言ったその日から数ヶ月
この日についにその時の思いが実現する。
個人的なのもあるけど、少し特別な思いでいます。
でもそれだけじゃなくて純粋に演者とお客さんで音楽で遊びましょう。
…告知のために、いっぱい書いたわけではない
ケド
なんかそういうふうに綴ってる訳じゃない
ケド
なんか…お涙頂戴とか…ラストのビジネス臭で有名な10◯日後に◯ぬワニみたいになったなぁ…嫌だなぁ…
はぁ…(ため息は新潟に消える)
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