ソニー創業者・盛田昭夫とその妻良子の人生から、人との揺るぎない「縁」を学ぶ〜 『盛田昭夫塾』 前編
『財団博物館』インタビュー (1)
「「盛田昭夫塾」は盛田家の15代当主でもありソニー創業者の一人でもある盛田昭夫とその妻良子の「人となり」を紹介する記念館。造り酒屋の当主でありながらソニーを創業した背景や三省堂書店創業者の孫として育ち、日本を代表するビジネスマンの妻として務めあげた良子の人生を紹介します。」
(公式URLより「概要」)
Interviewee:盛田 直子様(盛田昭夫塾 館長)
Interviewer:木原 智美(フィールドアーカイヴ 代表)
(インタビュー収録:2021 / 4 / 17 )
「盛田昭夫塾」ができたきっかけは?
盛田館長:まず両親が亡くなり東京の実家にあったものをどうするかというところから始まって、実家が売却されるので「お蔵に入れるならどこかに展示をしようか」となり、「盛田昭夫さんのことを知りたい」とおっしゃってくださる声も多かったので、では記念館を建てようとなったのがきっかけですね。
――:なぜここ小鈴谷に建てることになったのでしょうか?
盛田館長:記念館をどこに建てようかとなった時に、父と母のお墓が小鈴谷にあるし、盛田本家もあるので、ここに作れば両親も喜ぶと思ったからです。
盛田本家の以前に増築した部分をとり壊して、古い部分はそのままに新しく建物と中庭を作りました。瓦をずいぶん外したので、残った瓦を有効活用して中庭を作っています。
――:外観を拝見すると、材質の異なる四角い箱がいくつかあわさっているような作りになっているのですが、これには何か意味があるのでしょうか?
盛田館長:この施設は六個のキューブでできているんですよ。
館内のプロローグに”箱に詰めた縁への知恵。”と書いてあるように、「盛田昭夫と盛田良子は ”ウォークマン” や ”ちらし寿司が入った重箱” といった四角い箱の中に様々な想いを詰めたんですよ」っていう意味で ”四角” にこだわって、展示も全部キューブに入れようっていうコンセプトが成立しました。
――:なるほど、それで様々な形の四角い箱なんですね。
そういった外観だったので中はどうなっているんだろうと思っていましたが、外から見た印象とまたずいぶん違って色鮮やかな空間でした。
盛田館長:内装は、まずはソニーのシンボルカラーである”ソニーブルー”と”ソニーグレー”の色彩で始まることにこだわりました。外から見るのと中では全然空間が違うでしょ。外は外で周りに盛田の工場があるし、あまり景観に違和感があるのは嫌だったんです。
他の記念館にはないユニークな品や見せ方とは?
――:館内で特に目をひくのがパーティーのしつらえがなされたコーナーで、パーティーリストを閲覧できるのが興味深かったです。
その他にも常設で実際に手にとって閲覧できる資料の数が多いと感じたのですが、どういった経緯からこのような形になったのでしょうか?
盛田館長:ここに置かれているのは目黒区青葉台の実家のパーティーリストで、20冊くらいあるんですけど、誰がいらして、どこに座って、何を食べて、招待状がどうなって、っていうのが全部残っています。
ワインリストもあるし、座席リストもあるし、そういうのが好きで興味がある方には面白いんじゃないかなと思ったんです。
――:ライブラリーコーナー以外にも、本が置いてある場所がありますね。
盛田館長:両親の周りにはいろんな素晴らしいご縁があったというのを、気になった方が手にとれるように本を並べてお見せしています。
ライブラリーは展示に関係している方達や褒章など、展示物に関して調べられるコーナーになっていて、例えば高校生がくると「漫画あるよ!」っていってソニーの漫画、『劇画 MADE IN JAPAN』を教えたりしているんですよ(笑)
――:これは、盛田昭夫さんのベストセラー『MADE IN JAPAN』の漫画版で、さいとう・たかをさんの絵ですね。
今は絶版になっているこういった本も、常設で読めるように置いてあるのが嬉しいです。
盛田館長:それから両親がミュージカルが好きで、ニューヨークに行った時に観に行った演目のプログラムが全部残っているので、その表紙一覧もファイルにして見ていただけるようにしています。
1950年代からのアニーとか全部初演ですよね。ファイルには番号がふられているので、オリジナルをご覧になりたかったらもう一回予約をとりなおしていただいて閲覧できます。
あとはうちに残っているかぎりの盛田昭夫関連の記事のコピーをファイルにしています。
何箱もあって捨てるわけにはいかない物なので、こうやってお見せしながら管理しているんです。
――:なるほど。整理もかねて閲覧できる資料が多いんですね。
盛田昭夫さん御本人の手によって書かれた物も、その多くが自由に閲覧できるようになっていますよね。
盛田館長:小学校の文集なども全部残っていて、19、20歳の日記では映画が大好きで、1年間に観た映画が全部リストアップされていて、そこにコメントが書いてあるんですね。
それから昭和15年~19年頃に旅行して、思い出をスクラップしているアルバムが5冊あるんですけれども、それを複製して全部閲覧できるようにしています。
この辺の話はなかなか表に出ていないので、人間性、バックグラウンドですよね、人間 盛田昭夫を見ることができるコーナーになっています。
――:通常だと見られて見開き2ページ、それもガラス越しでしか見られない史料がこうやって全頁好きに見られるってすごいです。他の施設でもこういう風にすればいいのになぜそうならないんでしょうね?
盛田館長:このアルバムの場合は、お客様にこうやって見ていただくために美術専門の業者にお願いして、ページごとに写真を撮って、それを切り抜いてページの上にレイアウトし直して製本するなど、かなり丁寧に作ってあります。
別の展示にあるソニートラベルの出張記録の紙も、破れない特殊な紙を使用しているんです。
――:確かに同じページと見比べてもまったくそっくりで、相当丁寧に作られているとわかります。
よれている部分もむしろきれいになっていますし。手間がかかって大変なんですね。
盛田館長:でも最初にきちんと作っておかないと、結局、壊れた壊れたってなるから。
だってこういうの、中見られなかったらつまんないじゃないですか。
――:確かにそうですよね(笑)
こういった見せ方って、参考にされたり見て回った記念館や博物館ってありますか?
盛田館長:それは一切ないですね。私は基本的に人のを真似する気はないので。
それに、法人が会社をあげて作るものと、私みたいな個人で家族の人間が親の施設を作るのとは、全然スケールも違えばレベルも違うんで参考にはならないんですよ。
ただもちろん、記念館は私一人で作ったわけではなくて。
建築家をはじめグラフィックデザイナー、空間デザイナーや制作の仲間達が、私のアイデアをちゃんと聞いてくださって、そこにプロの技を加えていただいて、こうやって素晴らしい記念館ができあがりました。
――:ご両親のコレクションを誰かに丸投げせず、御自分のアイデアで公開した施設というのがとてもユニークだと思います。
盛田館長:普通、わからないから専門家に託しちゃうか、集めた本人が自分で施設をつくるかどっちかなんだと思うんです。私は、私が作ったものでもやったものでもないんですよ。親が遺していったものなのでこういう形になりました。
――:ご家族が運営に関わっていることで、人物の家庭的な側面を見ている感じがしました。
盛田館長:夫婦とか子供の目線になってくると家庭の話になって身近に感じるじゃないですか。
会社がやっている博物館だとどうしても、この方はこんなものを作ったみたいな話になって、そちらに特化するけれど、この施設はあくまで娘が展示しているから、どこに重点を置かなきゃいけないかっていうのは、私しかわからないわけなんです。
ここは私が個人盛田昭夫と良子の生き様を展示しているので、企業がもし博物館を作ったとしても、間違いなくこことはバッティングしないです。
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