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社運を懸けた一大事業! ソニー創業者の一人、井深大のアメリカ土産 〜『トランジスタ』

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (28)

ソニー創業者の一人・井深大 が1952 (昭和27) 年3月の初のアメリカ視察旅行から持ち帰った「ステレオ音響」の他に、もうひとつアメリカ土産がありました。それが、真空管に変わり様々な分野で今も使用されている電子部品『トランジスタ (Transistor)』でした。

『トランジスタ』は1948 (昭和23) 年にアメリカの通信研究所「ベル研究所 (Bell Laboratories)」の研究者、ウィリアム・ショックレー(William Bradford Shockley Jr.)、ジョン・バーディーン(John Bardeen)、ウォルター・ブラッテン(Walter Houser Brattain) の三人によって発明された半導体素子でしたが、当時占領下にあった日本では文献も資料も入手は難しく、アメリカの重要な発見でさえも、すぐに知ることができませんでした。

日本では "小さなトランジスタ" という見出しの載った、『News-Week』1948年 (昭和23) 年9月6日号が、やや遅れて日本の店頭にも並ぶようになった頃より噂が聞こえはじめ、1951 (昭和26) 年頃にようやく日本物理学会の講演会などでも『トランジスタ』が話題になるようになり、このわずかに入ってくるトランジスタの情勢に、井深大も静かに注目をし、1952 (昭和27) 年1月には当時常務の 笠原功一 に、

「トランジスタを我が社でやりたいと思うがどうだろう」

と、相談をしていました。

" 笠原:井深社長と盛田専務がおられるときに、私にちょっときてくれということで、うかがいますと、トランジスタをわが社でやりたいんだがどうだろうということでした。二十七年の正月ですが、おそらくこの頃には井深社長は、どういう人が何をやってトランジスタのことを積み立てていくかということは、考えておられたんじゃないかと思います。"

『一業一人伝 井深大』第2篇第4章より、笠原功一のコメント

そして、1952 (昭和27) 年3月に井深大は初の海外視察旅行に出発しますが、この時の目的は、「アメリカの進んだ電子工業界を視察し、テープレコーダー輸出のきっかけをつけてくること」、そして

「トランジスタ研究の手がかりを見つけてくること」

でした。

新しい開発テーマの創出を考えていた井深大は、海外視察旅行の土産にアメリカのシルベニヤ社製の、トランジスタを用いた電子回路に使用する『ゲルマニウムダイオード1M34』を持ち帰り、

「トランジスタなら研究者も必要になるだろう。うちの連中は、新しいことに首を突っ込むのが大好きだ。よし、トランジスタをやろう」

と、東通工の新しい研究テーマとして『トランジスタ』開発を選択します。

しかも当時、トランジスタはアメリカでも補聴器ぐらいにしか使えない低い周波数のものしか作られていなかったにもかかわらず、井深大は、

「どうせトランジスタをやるのなら、誰もが使える大衆製品を狙わなくては意味がない。ラジオだ。難しくても最初からラジオをやろう」

という大胆な発想で、最初から『トランジスタラジオ』を目標に据えていたのでした。

トランジスタb

当時この『トランジスタ』の製造特許を持っていたのは、ベル研究所の親会社、ウエスタン・エレクトリック (Western Electric)社 (以下WE社) でした。

しかし、WE社から得られるのは製造特許のみ、つまり「トランジスタ原理の利用」に関する特許で、この特許で『トランジスタ』が自動的に作れるわけではなく、半導体を素材とし『トランジスタ』と呼ばれる機能部品に加工することに関して、特許使用料を払うという内容で、『トランジスタ』の開発は自力で行わなければならず、全くノウハウのない東通工がトランジスタラジオの開発を実現するには、『トランジスタ』の製造ノウハウを学び、半導体の製造設備から図面を引き、さらに製造工場がいるという高いハードルがありました。
つまり、莫大な投資を注ぎ込み、技術者を結集させて行わなければならないという、まさに

「社運を懸けた一大事業」

がここにスタートしたのです。

1953 (昭和28) 年7月、岩間和夫 (いわま かずお、後の第4代ソニー社長) 取締役を中心に編成された塚本哲男、岩田三郎、天谷昭夫、安田順一、茜部資躬らの開発スタッフが、東通工でのトランジスタの開発をスタート。

1953 (昭和28) 年10月には、WE社とトランジスタ製造に関する技術援助契約の締結の運びとなり、当時専務だった盛田昭夫が渡米し調印。

WE社からの半導体技術を中心に、半導体の研究を続けるとともに、半導体製造設備の設計に着手。

1954 (昭和29) 年10月には、日本で初めてのトランジスタ及びゲルマニウム・ダイオードの発売、併せてトランジスタ応用製品の展示を東京三越本店で行うこととなり、東通工の技術者・木原信敏も超過密スケジュールの中、この展示会用にトランジスタを使用した『ベビーコーダー』を始めとする、多くのトランジスタ応用製品を片っ端から開発してことになるのでした。

文:黒川 (FieldArchive)


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