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アジアで活躍する経済自由サラリーマン2人に出会う



8日間でフィリピン・シンガポール・ベトナムを巡る弾丸ツアー! そこで、私が提唱する”経済自由サラリーマン”としてアジアで活躍する二人に出会えた。
日本はジャニーズ問題に象徴される企業間・組織内での忖度社会(村社会)だ。そんな中では、経済自由サラリーマンは生きづらい側面がある。
ところが、フィリピン・ベトナムで会った二人は、日本企業相手の安定も享受しつつ、現地での自由な活動も手に入れている。日本国内で、転職・副業・投資に挑戦するも良いが、一気に海外に飛び出てみるのも一つの選択肢だ。
今回は、二人の生き方を分析してみて、経済自由サラリーマンのアジア版モデルを探ってみたい。

日本とフィリピンのIT企業からW受託のWEBエンジニア

Kさん32歳、新卒後7年の営業を経て、プログラミングスクールに通い、WEBエンジニアに転身。さらに、英語力強化のために、セブ島の英語学校に6ヶ月通った。その後、日本に戻らずに、セブに住んで、Wワークをしている。
1つ目の仕事は、日本のIT企業からの業務受託。高単価で最先端のITスキルも維持できる。2つ目の仕事は、フィリピンのIT企業(日本IT会社の現地法人)の仕事で、低単価だが、英語・異文化のコミュニケーションスキルが身につけられる。
日本企業だけだと、英語・海外の体験・スキルは身につかない。フィリピンだけだと、稼ぎが少なくて、まともな生活ができない。2つの仕事のデメリットを組み合わせで解決している。
彼は、現在、WEBエンジニアの仕事もやりがいを感じるし、セブ島での暮らしも楽しんでいる。営業から転身して本当によかったと思っている。ただ、彼の時代は、未経験からのWEBエンジニアへの転身でも最初から仕事を得られたが、最近は、転身直後の仕事の受注は厳しいそうだ。
彼の場合、営業力もあるので、WEBエンジニアにありがちな顧客対応もバッチリ可能で、将来が楽しみだ。
将来ビジョンは、自分のビジネスを立ち上げてみたいとのこと。セブにいるIT企業の社長を紹介した。社長は起業家でもあり、すでにSAASをバイアウトした経験もある。こういう方との巡り合いも、海外にいたほうが多かったする。

日本企業の現地社長かつ奥さん名義の不動産投資

Yさん45歳、日本企業の現地法人の社長。奥さんは地元の名士のお嬢さん。地元に長く根付いて経営して、顧客は日本・アジア系の企業で、自ら営業して開拓している。彼なしでは会社が成長しない独自のポジションを作っている。
奥さん名義で地元で不動投資もしている。奥さんも、日本人駐在員妻向けの仕事もしていて、「いますぐ、妻を社長にしなさい」を海外で実践している。
日本法人は保守的な体質が強く、挑戦意欲が旺盛な彼には、息が詰まってしまうそうだ。自由が効く地元で、いろんなビジネスに挑戦するのが楽しいと言う。
将来ビジョンで、「自分で起業しないのか」と聞いてみた。「奥さん名義の会社を作ったら」と聞いたら、奥さんから面倒なことは反対。日本の会社だと副業禁止だから難しいとのこと。
日本の顧客の人脈、地元の人脈もあり、お金も出してくれる人もいる。ただ、地元の優秀な方を地元で採用してきたので、彼らのために当面は今の会社を経営するとのこと。サラリーマンでもあり、経営者でもある感覚で仕事している。いざとなったら、自分で仕事もできるだろうとのこと。

日本国内よりもアジアで狙える経済的自由への道

2人の生き方を経済自由サラリーマン的な視点で整理してみた。

  1. 日本企業の安定と現地企業での挑戦の良いとこ取り(複業)

  2. 現地国対応・英語など、通常の日本人との差別化戦略(成長)

  3. 日本・現地の方など国際的な人脈作り(人間関係)

  4. 急成長するアジアでの生活は刺激的(多拠点居住)

私が、セブで英語を学んでやりたかったことを2人は実現している。
私は、ここ数年は、宮古島・越後湯沢での観光事業(宿泊・農業含む)を立ち上げに挑戦するが、その後は、海外での仕事にも挑戦してみたいと思った。
日本で経済自由サラリーマンを目指すのもいいが、思い切って海外に出てしまうのもありだ。

海外での第一歩は5日間の英語留学がお勧め

そのための第一歩は英語だと思うので、一週間のセブ島短期留学をお勧めしたい。
カバー写真は、2019年7月にセブ英語留学での最終プレゼンテーションの時の写真、あれからオンライン英語と3回の短期留学を重ねて、日常会話には支障のないレベルになっている。その後、ラスベガスのInsutechに出張したり、一人でも海外旅行に気軽に出かけられる。コロナで止まった3年間を取り戻すべく、弾丸ツアーをしながら海外で活躍する日本人との交流も楽しんでいる。


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