親子の縁を切る覚悟で、子離れしてみる!! 親(61)子(28・25)も節目で見直しを!
「親子の縁を切って、一才、関わらない。」
「お父さんはそんな関係もありだよ。」
と、子供に手紙を書きました。
子供を親の呪縛から解放するために
親の影響は大きく、子供が真に自立するには、
人生の節目で親子の関係を再定義したほうがいい。
と、メンターから教わりました。
我が家は、二人の子供も就職しました。
親としては、責任感から解放されてほっとしてます。
基本、子供たちを見守るモードなのですが、
より良い関係を作りたいと思い、
子供達に手紙を書いてみました。
【子どもへの手紙】親との関係を自分で選んで再構築する
以下、手紙です ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【提案】親との関係を自分で選んで再構築する
本日は、お父さんとお母さんの結婚29周年です。
二人とも社会人になり、
XXは稚内で一人暮らしとなり、
XXも一人暮らしを始め、
お父さんは、越後湯沢・宮古島・セブで半月以上滞在となり、
我が家も大きな節目です。
お父さんとお母さんは、二人を望んで、育てて来ました。
お母さんのおかげで、子育ては世間的には成功でしょう。
子育て自体は、振り返ると、楽しい思い出ばかりです。
二人にとっては、自ら親を選んでないです。
(スピリチュアル的には違う解釈もありますが)
親子の関係も、親の影響を強く受けてると思います。
独立するタイミングで、親との関係を自ら決めて、親と調整してください。
極端に考えるとわかりやすいので、例を挙げます!
濃密から疎遠までの両極の親子関係
最も濃密:同居して、孫も含めて大家族として暮らす。
地方には残る日本の家制度的な感じかな。
財産も親の面倒も子供が全部引き受ける
最も疎遠:親子の縁を切って、一才、関わらない。
親の面倒はみないし、孫の教育にもタッチさせない
親の財産は期待しないが、相続の時にあれば受け取る
この中間のどこかに落ち着くのではと思いますが、自分自身で考えてください。
もちろん、自分自身の家族を持つならば、配偶者の考えも影響するでしょう。
自分自身の親との関係を振り返ってみる
ちなみに、お父さんの場合は、次男として18歳から親元を離れてます。
兄夫婦が両親の家も面倒も引き継ぎ、
両親は年に2回ぐらい、我が家に来て、孫と子供との時間を楽しむ。
まあ、意図してこうなった訳ではありませんが、
適度な距離感があっていい関係だなと思ってます。
お母さんも、たまに会う両親のことを大事にしてくれるし。
これが、ずっとだと大変だと思う(笑)
参考までに、お父さん自身の親との関係を整理しておきます。
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私は、3人兄弟(男・男・女)の次男でした。
親からの呪縛・解放か微妙なのですが、
父親は自分自身が次男です。
「男兄弟は近くに住むと揉めるので
兄が家を継ぐ、次男のおまえは家から離れて遠くに行く。」
と私が子供の頃から私に言っていたようです。
私は中学生になったら、
東京の大学に行って田舎には帰って来ないと
自然と思ってました。
実際、兄は親と一緒に住み、
私は、東京に出てマスオさんになってます。
親の居場所は、田舎で兄と一緒であり、私には関係がない。
私にとって両親は、1年2回、子供と孫に会いにくるというのが
親の居場所です。
と言いつつ、両親の考えは自然と私には残ってます。
父を宮古島に連れ行ったら、なぜか、昔話をし出しました。
・高校では、田舎を出たくて東京に進学するチャンスを掴むも挫折する。
・農家の次男で、実家の近くに家を建てたが、嫁が来ない。
(嫁は、実家にこき使われる)
・製紙工場の3交代勤務で、大卒の管理職の厚遇の違いを味わう。
・3交代勤務しながら、農業・投資(株・不動産)をやる。
畑仕事しながら、ラジオ短波で株式速報を聞いていた。
・私の大学進学では、自分の息子なので、途中で挫折しないか心配していた。
・子供の大学進学にはお金を惜しまない
・大学院進学も何も言わずに、お金を出してくれた。
私は東京の国立大学・上場企業に就職(その後いろいろあり)し、
結果的には、私が父の夢を叶えたことになります。
親世代よりも子供世代の方が、学歴・処遇も良くなるのは、
高度成長時代の幸せなパターンでした。
一方で、母は、お節介で、人の悪口を言うタイプで、子供ながらに嫌でした。
自分も、人の分析して批判的な目を向けてしまう(口には出さない)ので、ある意味、母似の呪縛にかかってました。
母が亡くなる2週間前に、ディマティーニメソッドで母との関係に向き合いました。
私の持ち味である分析力・問題解決力は母の才能を受け継いだと気づきました。また、自分が自由な精神を持っているのも、母ゆずりだと気づきました。
そして、母が死に母のヒストリーも振り返ることが出来ました。
母は、自分の父を早く亡くし、自分の母は絵に描いたような働き者で外に稼ぎに出てました。だから、7人姉妹(末弟)で仲良く助け合って来ました。姉妹の結束が人間関係のベースですね。
父と結婚してからは、家族の大王として君臨してました。父が、口を閉じて外で動くタイプなら、母は、どこでも口も手も動く、お節介おばさんでした。
農家の次男に嫁いで、本家の手伝いをこなしてました。近所とも、すぐに溶け込んでました。婦人会、花の会、ゲートボール、カラオケ教室など、仲間を作っては楽しんでました。
また、人の家の庭の草むしり、植木の剪定など、世間話をしながら、手を動かしてました。世間話の中身は、褒める、一緒に悲しむ、悪口を言う、自慢話をするはの、何でもありでしたね! 言うか言わないか迷ことなく、ストレートに全部口に出してました。
ということで、農家の次男に嫁いて制限がある地域社会の中でも、自由奔放に生きて、人間関係を築いていたと思います。
9年前に突然、亡くなりました。田舎のおばあちゃんの葬式に、300人ぐらい詰め掛けて、用意した席が溢れました。母が、築いてきた人間関係の広さを、初めて知りました。
母を偲んで、FBにも書き込みました。
そして、今、自分は。母のように、自由奔放に人間関係を築き始めてます。母の死は、私に自由奔放さを呼び覚ましてくれたようですね!!
やはり、私の場合も、親の姿は子供に強く影響しますね。
自分自身が、良くも悪くも親から何を得ているのかを自覚するのが大切ですね。
その上で、自分が親との関係をどうしたいかをベースに、関係再構築の儀式をすることも大切です。
以上、手紙ーーーーーーーーーーーーーーー
サラリーマンは、職場の人間関係だけでなく、家族の関係も再構築する
サラリーマンも、親子関係を整理して、それぞれが自分の人生を歩めたらいいですね!
サラリーマンは職場・仕事中心に動いて、上司・部下、同僚との関係には注意を払います。特に、異動があれば、関係を再構築する機会も多いです。一方で、親子・配偶者の関係が曖昧になっているケースが多いようです。
そこで、親子・配偶者との関係を確認・再定義することをお勧めします。そこから、無意識の呪縛を解放して、新たな可能性を追求して経済自由サラリーマンへの歩を進めましょう。
経済自由サラリーマンへの8つの診断を作成しています。その中の一項目として、家族ライフサイクルも入っています。自己診断して良い振り返りになります。興味のある方は、コメントください。
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