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宣伝がわからない

11月21日(木)
 1冊しか作ってなくて、その1冊もミスをしておいて、言える立場じゃないんだけど、自分の原稿を自分で作るのは、そんなに難しいことじゃない。
 というか、要するに著者が一人でヒーコラ言っていればいいだけだ。僕も2冊目3冊目の計画を立てていて、インデザインのやり方をすっかり忘れているから(この備忘録を残しておいてホントよかったよ)、これからもアタフタするだろうけれど、1冊やって学んだことは少なくない。本づくりはどんどん楽になっていくだろう。
 本づくりはそんなに問題じゃない。少なくとも僕のような、長いこと書いてきて、自分の原稿にある程度の自信があって、しかも出版社にさして相手にされないような人間にとっては。
 問題は宣伝だ。
 1冊目自体が宣伝になっているとは思う。だけどそれが固定客の確保に結びついているとは思わない。『世界でいちばん美しい』を「せかうつ」ととらえて買ってくれた人たちが、2冊目を買ってくれるとは思わない。それにぶっちゃけて言えば、1冊目も思惑ほどは売れていない。
 さらに僕の小説は、1冊ごとに違う。『世界でいちばん美しい』を気に入ってくれた読者が、「音楽教育理数系編入論」も『いつか棺桶はやってくる』も気に入ってくれるとは思えない。
 しかしもしかしたら、この広い世の中には、藤谷の書いたものならと、手に取ってくれる可能性をはらんだ読者がいるかもしれない。今現在、藤谷という名前も知らない人のうちに、そういう人がいる可能性は、ゼロではないと思っている。
 そういう人にこちらの存在を伝えるには、ひとえに宣伝しかないのだろう。その宣伝を、どうすればいいか、まったく判らないのだ。
 毎日ツイッター(現X)でBASEやBOOTHをリンクしている。インスタグラムもフェイスブックも使っている。このnoteだって宣伝だ。

 広告に金を使うべきなんだろうか。それはなんか、違う。費用対効果がおぼつかない。効果的と思えない。じゃあどうすればいいか。わからない。
 ここがブレイクスルーできれば、ずいぶん飛躍すると思うんだけど。

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