自費出版備忘録(18)

9月29日(日)
印刷屋さんを決めた。打合せ日時も決めた。
いよいよ本格始動である。今までだって本格的なつもりだったが、「印刷」となったら本格の中の本格で、大げさに言えば「他者にさらす」段階に移行するわけだ。
しかし今度だす本は、私家版ではあるがすでに10年前から販売して、文学賞も受賞している作品で、舞台化までしている。なにが本格始動だ、という気持ちもあるのに、なんだろうこの緊張感は。
ひとつには「印刷代をかけて、赤字になったらどうしよう」という金銭的な恐怖があることは確かだ。大いに売れてほしい。家の中が在庫だらけになるのは恐ろしい。

つくづく今までの自分が、自覚している何倍も受け身で、依存して生きて来たことかと思い知っている。今までだって僕の本は在庫となって倉庫の場所ふさぎだった。それを知らなかったわけではないが、負担を実感したことはない。自分の家がふさがったわけではないからだ。在庫は出版社の倉庫にあったのだ。この一事を取っても、すでにして甘えである。私家版となったらそうはいかない。
赤字だってそうだ。出版社が出す本は、印刷した分を印税として支払ってもらえる。全然売れてないうちからくれる。私家版は売れなければなんにもならない。

僕は最近、祖父の家のピアノの下や本棚の横に積み重なっていた、段ボールを思い出す。新しい音楽雑誌を作るといって、実際にはほとんどを祖父自身が書いた本を自費で製本して、何百部か作った。売るつもりだったらしいし、2号を出す予定もあったようだが、それきりになった。まったく売れなかったからだ。中学生か高校生だった僕は2号に載せてもらおうと、ハンスリックの『音楽美学』のことなんかを書いたが、相手にされなかった。

自費出版というのはそういうものだと、僕はずっと思っていた。筒井康隆の『大いなる助走』じゃないけれど、細かい文字でページ数を節約して、印刷屋さんに値切りの交渉をして、段ボールでどかどか送られてきて、結局は親戚や知人にタダで配って、あまった在庫は資源ゴミになる。それが自費出版というものだと。実は今でも若干はそう思っているのである。

しかしそれは、心構えとしては決して悪いトラウマではないと思う。出せば売れると思うよりはマシだろう。内容については自信があるけれど、「モノはいいんですよ」といって売れるわけではないのは、本でもなんでも同じだ。

最初に出す本は景気よく出すが(その必要がありそうなのだ)、同じつもりで次から次へ、というわけにはいかない。それは今から肝に銘じている。

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