自費出版備忘録(その1)
今は2024年6月7日です。まだ何も決まっていない。でもやるしかないかもしれない。だから挫折するかもしれないけれど、ここに備忘録を残しておきます。
5月20日にふたつの出版社からメールが来た。ひとつは「あなたの小説が(また)絶版になった」というもの。もうひとつは「あなたが送ってきた書き下ろしの小説原稿は、うちでは出せない」という内容だった
2年前から仕事の依頼は激減している。というか、ほぼなくなっている。今まで濃厚な付き合いのあった出版社から、メールが来なくなって2年くらいになる。
今はまだ、かろうじて連載や書き下ろしの仕事があるからいいが、来年は判らない。その先はなおさら判らない。歳はどんどん取っていく。以前のようにバリバリ働くことはできなくなっている。寝覚めのときに不安と欝が襲いかかってくるようになった。
一方で畏友・仲俣暁生さんが、さかんに「軽出版」ということを言っている。言っているだけでなく実行し、どうやらある程度の成功もしているようだ。仲俣さんの「破船房」というのは会社ではないようだが、そこから僕は『新刊小説の滅亡』を出してもらった。その経緯も少しは見ているので、「自分で本を出す」ということに憧憬を感じるようになった。
ただ、まあ、面倒臭いだろうなあ! 僕はデジタルは全然ダメだ。信用もしていないのだ。デジタルの上に乗っかって生活しているようなものなのに。
仲俣さんは、あんなものは簡単だということを、さかんに言っている。そうかもしれないな、とも思う。
僕は時間が経ったら古びてしまうような小説を書いてこなかった。作品の面白さにも自信はある。それが時流に乗らず、テレビドラマにもならなかったということで、次から次へと絶版になり、やがて忘却されてしまうのを、手をこまねいて見送っているだけなのは、作者として責任ある態度とは言えない。
編集者に言われるがまま、原稿を修正し、タイトルを変更し続けてきたけれど、それでいいのか、良かったのか、という気持ちもある。
今日はツイッター(現X)でウジウジ言っていたら、仲俣さんがこう書いてよこした。
「いま作家が信じなくてはいけないのは自分の書いているものの価値です。出版社が買わないのは、その原稿に価値がないからではなく、彼らにはもう売る力がないのです。ないから買えない。仕入れられないのです。」
妻にそれとなく言ってみたら、ウキウキしている。
ということは、これはいいことなのか。
・・・どうなることだろう。初期投資は大丈夫か。とにかく仲俣さんに勧められるまま、「きほんのインデザ」というキンドル本を買った。キンドルも入れていなかった僕のPCが、製本なんていう激務に耐えられるかどうかも不安だ。