人生の寄り道こそ人間の深みなのかなと感じたという話
初めまして。渋谷付近でITエンジニアをしてますうおくんです。今回は人生の寄り道こそ人間の深みなのかなと感じたということを話そうかなと思います
自分は今ままで何かになりたいと思った時、何かを習得したいと思った時、その目標までの最短ルートを自分でイメージし、まっすぐに突っ走るということをしていました。
建築家になりたいと思い大学に入った時、エンジニアになりたいと思いプログラミングスクールに入った時、仕事ができる人になりたいと思い一心不乱に仕事をしている今現在。
一度決めたことには最短ルートで突っ走る癖があり、休みも睡眠時間も削ってそれだけに打ち込むのが習慣になっていました
しかし最近初めて出会ったある経営者の方に「君は深みがない」と言われてしまいました。掘っても掘っても何も出ない。と。。。
その時はショックだったのですが、今思えば確かにそうだと思っています。
仕事や自分の人生の目標以外での寄り道をあまりしてこなかった自分はそれ以外に話せる引き出しがないと気づきました。
考えてみると確かに「この人魅力的だな」と感じる人は大体が様々な寄り道を経験をしていて、寄り道から感じたこと、発見したことがたくさんあり、そこから人生の原動力を持つ人が大半でした。そういった人はお話も面白いし会話の引き出しがとても多く、たくさんの経験から形成された深みのようなものが会話から感じる時があります
仕事とは関係なくやってみたいこと、興味のあること、色々な寄り道を経験してみて自分がどう感じるか、どのようなことに喜怒哀楽を感じるのか、目標はないけどただ楽しいと思えるものはなんなのか?新しい体験に自分はどういう部分にワクワクするのか
子供の頃は理由なんかなく夢中でやっていたことも、大人になった今はやる理由を探している。他に時間を使うに値する何かがあるはずだと思い自分の興味に正直になれない。ふとそんな人間になってしまっている気がしました。
目的意識が強く意識しすぎる自分は寄り道に目的を見出そうという悪い癖が出ないように、自分が経験してみたいこと、やってみたいことを理由なんか考えずに少しづつやっていきたいなあと思っています
今noteを書いているのも自分の考えをSNS等を通じて発信してみたいというのが心の奥にあったのでとりあえず初めてみてます
次はカメラ始めたいなあ📷
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