泉房穂先生は、日本の政治を「既得権者だけに利益を提供する政治」から、「国民全体を支える政治」に転換すべきと主張しておられます。これは要するに、「利権政治はダメだ」ということです。
 
ただ問題は、多くの国民は「利権政治はダメだ」の本質的な意味合いを十分には理解していないということ、そして一部の国民に至っては「利権政治はまったく問題ない」と考えているということです。この状況から脱却するためには、多くの国民が「今の日本の構造」について理解する必要があります。簡単に馬鹿にするのではなく、ぜひ読んでいただければ幸いです
 
日本国憲法において、すべての国民は平等です。つまり、言うまでもなく、国家はすべての国民を平等に扱わなければなりません。しかしそれとは別に、現実社会においては、あくまでイメージですが、国民自身の意識の中に「上級国民」・「中級国民」・「一般国民」の3種類が存在していると考えられます。
 
もちろん、「上級国民」・「中級国民」・「一般国民」に厳密な定義はありません。しかし、議論を先に進めていくために大まかな定義をするならば、
 
「上級国民」:経済力や社会的地位が上位1%程度までの国民
「中級国民」:経済力や社会的地位が上位30%程度までの国民
「一般国民」:その他の国民
 
というようなイメージでしょう。これに対しては、「そんな馬鹿げた議論はするな」という批判があるかもしれませんが、これを「馬鹿げた議論」と切り捨ててしまえば、日本の政治を変えることはできません。
 
なぜなら、「人間は経済力や社会的地位が高くなくても幸せになれる」は事実ですが、一方で、人間の「幸福」というものが「何らかの欲求を満たすこと」とほぼ同義である中で、「人間は経済力や社会的地位が高いほど欲求を満たしやすい」も事実だからです。つまり、人間の幸福を支える政治について考えるために「経済力や社会的地位」に注目するということは、合理的かつ建設的なのです。
 
「今の日本の構造」に話を戻します。
 
今の日本では、政治家が「上級国民」の中心として、有力な官僚・資本家・経営者などの上級国民と結託して、「上級国民にとって都合がいいルール」を作っているのであり、これが「利権政治」です。
 
より具体的には、官僚は政治家の代わりに「上級国民にとって都合がいいルール」の案を細かく作り込むという面倒な仕事(要するに政策立案)をしています。また、資本家や経営者は政治家に対して、お金や組織票(たとえば会社の従業員に特定の政治家や政党への投票を求める)を提供しています。そして、政治家はそれらの見返りとして、国会の場で「上級国民にとって都合がいいルール」を法律として議決するという権力を行使しているということです。
 
ここで問題は、「上級国民にとって都合がいいルール」は、同時に「すべての国民にとって都合がいいルール」であることは少なく、多くの場合では「その他の国民に負担を押しつけるルール」であるということです。つまり、上級国民はその他の国民を搾取することで、利益を得ているのです。
 
人間社会は「支え合い」と「奪い合い」です。すべてが「支え合い」であれば、社会は完全に平和で、問題は何も起きないのかもしれませんが、現実はそうではありません。現実には「奪い合い」がたくさんあるのであり、人間は一定の「奪い合い」を容認・正当化しているし、むしろ「奪い合い」を楽しんでいる部分もあるのです。
 
ただ問題は、「奪い合い」が健全な競争によるものばかりではなく、むしろ不健全な競争が非常に多いということです。簡単に言えば、政治家を中心とした「上級国民」は、「上級国民にとって都合がいいルール」を作ることによって、あたかもそこに健全な競争があると見せかけながら、その他の国民よりはるかに高い経済力や社会的地位を得ています。そして、人間社会が部分的には「奪い合い」であるからこそ、「上級国民」が不当な形で高い経済力や社会的地位を得ているのであれば、その裏では必ず、その他の国民が理不尽に損をしているのです。
 
そして、日本は直近30年間、明らかに停滞してきたわけですが、その最大の原因は「上級国民にとって都合がいいルール」だと考えられます。
 
つまり、「上級国民にとって都合がいいルール」によって、多くの上級国民はその他の国民を搾取するだけで豊かな生活ができるのであり、それだけで満足しているから、競争力がどんどん下がっている。その一方で、その他の国民は搾取によって生活が苦しくなり、どんどん委縮している。その結果として、日本全体が停滞してしまうのは当然と言えるでしょう。
 
もちろん「上級国民」の中にも、貴重な能力をもっていて、社会的に意味のある努力をしている人はいます。しかし大多数の「上級国民」は、「親の経済力や社会的地位を受け継いだパターン」と「社会的にはほぼ無価値な受験競争を勝ち抜いて、上司に媚びることで出世競争を勝ち抜いただけのパターン」のどちらかにすぎないという現実もあります。つまり大多数の「上級国民」は、貴重な能力をもっているわけでもなければ、社会的に意味のある努力をしているわけでもないのです。
 
では、「上級国民にとって都合がいいルール」によって、「中級国民」や「一般国民」が理不尽に損をするという状況が、なぜ続いてしまうのでしょうか?
 
普通に考えれば、日本は民主国家なのだから、「中級国民」や「一般国民」は「上級国民にとって都合がいいルール」が原因で理不尽に損をしているのであれば、その状況を変えるために、選挙を通じて政治を変えればいいはずです。
 
なぜ、そうなっていないのでしょうか?それには主に3つの理由があると考えられます。
 
まず、多くの「中級国民」は、たとえ「上級国民にとって都合がいいルール」が原因で理不尽に損をしているとしても、同時に「自分たちは一般国民よりは上の人間だ」という優越感に浸りながら、「いつか自分も出世競争を勝ち抜いて上級国民になり、その他の国民を搾取するだけで豊かな生活ができるようになりたい」と考えているのです。だからこそ、選挙を通じて政治を変え、「上級国民にとって都合がいいルール」を変えようという発想にはならないのです。
 
そして、多くの「一般国民」は純粋に、自分たちが「上級国民にとって都合がいいルール」が原因で理不尽に損をしているという事実を知らないのです。多くの「一般国民」は、社会人になる前は、社会や政治について本質的に理解するための教育は提供されず、社会人になった後は、生活が苦しく、仕事や家庭に忙しすぎて、社会や政治について情報を得たり、考えたりする時間的余裕も精神的余裕もないということです。
 
さらに言えば、これは一般的な日本人の気質や、そもそもの日本文化による部分が大きいのかもしれませんが、多くの国民は「上級国民は何だかんだ言って凄い人たちなのだろう」という幻想をもってしまっているのです。この幻想が、「上級国民」にとって非常に都合がいいのは当然でしょう。
 
以上が、「上級国民にとって都合がいいルール」によって、「中級国民」や「一般国民」が理不尽に損をするという状況が続いている主な原因です。
 
ちなみに、日本の少子化の一因である「若者世代が安心して子どもを作れない」という問題も、「上級国民にとって都合がいいルール」が原因だと考えられます。主に子どもを作る20~30代は「中級国民」や「一般国民」が圧倒的に多いのであり、「上級国民にとって都合がいいルール」によって理不尽に苦しんでいるからこそ、子どもを安心して作ることができていないのです。
 
では、どうすべきなのか?
 
結論としては、まず何よりも、多くの国民が、ここまで説明してきた「今の日本の構造」について、簡単に馬鹿にすることなく理解して、納得して、できるだけの多くの周囲の人間に共有して、共感してもらうことが必要です。
 
それが、泉房穂政権プロジェクトの必要条件なのです。

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