泉房穂先生は「野党の大同団結」を提唱されていますが、結論としては、それは不可能だと考えられます。その理由は主に「①既存野党の政策は自民党とほぼ同じである」「②既存野党の幹部たちも自民党政治家と同様に承認欲求や自己顕示欲にまみれている」「③既存野党は政党交付金で十分に生態系を維持できる」の3つです。

 まず、「①既存野党の政策は自民党とほぼ同じである」についてです。1990年代以降の日本は停滞し続けてきたわけですが、それは自民党(1990年代以降もほぼすべての期間で政権を維持してきたのは自民党)が日本の根本問題を無視して、既存システムにマイナーチェンジを加えるだけの政治を続けてきたからです。そのような政治は、100点満点で言えば、20点だと言えます。しかし問題は、既存野党の政策も自民党とほとんど変わらないということであり、それはつまり、既存野党の幹部たちは自民党の政策を80点くらいと評価しているということなのです。それでは、多くの国民が野党に注目せず、結果的に自民党が政権を維持し続けられるのも当然でしょう。

 なお、泉先生が掲げられている「生活必需品の消費税ゼロ」や「子育てや教育の無償化」などは、今の日本に必要な政策だということは確かである一方で、日本を長期停滞から脱却させるためには不十分と言えます。そして何より、そのレベルの政策では、自民党はいざ政権を失うかもしれないとなれば、当然のごとく7~8割くらいコピーしてくるはずであり、その場合は政権交代が実現しないだけでなく、「そもそも不十分な政策を中途半端に実現するだけで政策的争点を消滅させられる」という事態にもなりかねません。

 次に、「②既存野党の幹部たちも自民党政治家と同様に承認欲求や自己顕示欲にまみれている」についてです。政治には、最も重要な「政策」だけでなく、「行政運営」や「政党ガバナンス」もありますので、たとえ政策で有意義な差別化を図ることができないとしても、既存野党が政権交代を目指すことには合理性があります。特に、今の日本の衆院選のように「二大政党制」を前提とした小選挙区制の場合、野党の分裂は自民党を利するだけであり、国民に政権選択の権利を与えないという意味で非常に不健全と言えます。そのような観点で、今の日本で既存野党が一つになっていないのは、既存野党の幹部たちは「国民に政権選択の権利を与えること」よりも「自分の承認欲求や自己顕示欲を満たすこと」を優先しているからです。

 要するに、どれだけ小さい政党でも、「政党要件」を満たす国政政党であれば、代表を中心とした幹部たちはメディアなどから「それなりのスポットライト(注目度)」を得られるのであり、その「承認欲求や自己顕示欲を満たすための既得権益」を手放したくないからこそ、既存野党を一つにするという発想にはならないのです(当然、既存野党が一つになれば、代表を中心とした幹部の役職数も激減するから)。そしてもちろん、既存野党の幹部は知名度だけは相対的に高く、基本的に選挙には強いため、政権交代など実現しなくても、普通に議席を守り続ければ、政治資金として一人当たり1億円以上の税金を受け取れるため、それで金銭欲を満たすことも十分にできるのです。

 最後に、「③既存野党は政党交付金で十分に生態系を維持できる」についてです。一般的な国民の感覚では、既存野党のように「幹部以外の候補者の当選確率が非常に低い政党」は、まさに当選確率が非常に低いという事実が致命的な原因となり、候補者が集まらないはずです。しかし現実には、既存野党にも候補者がたくさんいます。その理由は簡単で、今や国民も当然のごとく認めてしまっている「政党交付金」があれば、既存政党は候補者に最低限のお金(実質的な賃金)を支払えるからです。そして大多数の政治家候補者は、政党の幹部たちと同様に、承認欲求や自己顕示欲にまみれているのであり、将来的に議員バッジをつけ、国民から「先生」と呼んでもらえる確率が少しでもあるなら、最低限のお金をもらうだけで、自分の政党の幹部たちをひたすら無思考に礼賛するという活動を続けられるのです。これにより、既存野党は政権交代をまったく成し遂げられなくても、十分に存続できるのです。

 以上が、「野党の大同団結」が不可能である理由です。

 泉先生におかれましては、たとえ時間がかかるとしても、腰を据えて、より長期の目線で、ご自身が新政党を立ち上げる路線を選択していただきたいと願っております。

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