表方に立つ人。
仕事において、人が活躍する舞台は様々ではあるが、皆それぞれの立場での良さや悪さが時として本人にとって、とても大きな影響を与えていることがある。
それを考えさせられる出来事が最近よく目に止まる。
『自殺』
これは昔から減るどころか年々増えているようだが、誰しもが他人事で済ませてはならない1つの問題である。
特に去年から今年にかけて、芸能人や最近注目されることが多くなったYoutuberやTikTokerの人も数人、自ら命を絶ったとニュースなどで取り上げられている。
その中には、普段の活躍や振る舞いを見ていてもその選択をするような人ではないと認識されている人もいて、いざ報道された時に皆、まさか!と思うくらいに驚かされる。
実のところ、私も学生時代に人間関係で上手くいかずに、「自殺したい」と考えたこともあった。
当時を思い返すに、人間関係が上手くいかないことが辛かったから自殺したいと考えていたのだけれど、それよりも死ぬことでその当時の「辛さから解放されるのではないか?」という気持ちの方が強かったように感じる。
結局はあーだこーだしている内に時が流れ、当時の辛い状況から抜け出し、今に至る。
もしかしたら、当時もっと辛いことが重なっていたら、私の命もその時終わっていたかもしれない。
それ程に生きることをやめる選択をするのは人によって度合いはあるものの、本人達にとっては重要な場面であることに違いない。
さて、先に書いた人たちは俗にいう「表方」の人たちは一般の人間に比べて、世間の目や知らない人達にすら自身のことが知られていること、一方的にその人達から批判をされる身である。
いくら法律でプライバシーが守られていても表方の人たちは日々、SNSや掲示板などでさまざまな言われ方をされる。
その内容は悪いものばかりではないが、人間は良い事よりも悪い事の方が印象が強く、またストレスの吐き出し元になることがしばしばである。
人は思っているよりも周りの評価や意見、目を気にしていて、気にしている人ほどネットなどでエゴサーチをして、他人からの視点を知ろうとする。
その過程で良いことも目にするがやはり悪いことに目が止まってしまうわけだ。
もちろん、他人からの意見や評価ばかりを気にした結果、心に余裕がなくなっている訳ではないと思う。
私のように直接的な問題によって辛い状態になっているかもしれないが、大事なのは、表に立つ事へのリスクをもっと考える必要はあるのではないか?という事だ。
例えば、「会社」という単位で考えた時に「平社員が不祥事を起こした時」と「社長が不祥事を起こした時」の印象が全く同じになるだろうか?
この時、いわゆる“会社の顔”である社長が表方に例えていて、どちらかといえば、社長が不祥事を起こした時の方が印象が悪いと感じるのではないだろうか?
立場や役職が偉くなるほど、自身の行動・言動、配慮をより慎重にしなければ、その人の立場や背負っているものを汚し易くなる。
これが表方に立つ人で出来ていないと、炎上に繋がったり、表舞台から降りざるを得なくなったり、それこそ心身的ダメージが強すぎて、自殺を選択してしまうことになりかねない。
身の回りで起こっていることの目まぐるしさや対応しなければならない量または幅だったり、視野が狭くなっているのかもしれない。
もしそうなってしまったら、、、
どんなに表方が自分自身に合っていると思っていても
どんなに表方が自分がやりたい場所であっても
どんなに表方で活躍していても
どんなに表方しか居場所がないと思っていても
自分を追い詰めてしまう事があったら、裏方に引くという選択肢を持っていて欲しい。
一度身を引く事で今まで見えなかった視点だったり、考え方を知ったり、今まで上手くいっていた時の調子に整えたりと場合によってはそれまでよりも良い方向に進むことに繋がることもあるだろう。
一度、産んでもらった命、無駄にはして欲しくないし、せっかく表方にいるのなら、たくさんの人を笑顔に出来るような存在であってほしい。
自ら命を絶った方に冥福を祈りつつも、そういった方が1人でも減ったら良いな!と思う今日この頃。
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