児童精神科で働くということ

2年弱くらいかなあ。今の病棟で働いて。

マジでしんどかったよ。立ち漕ぎガチ勢のブランコかってくらい滅茶苦茶気持ちが揺れまくって、1番仕事で泣くことが多かった2年だったと思う。
前々から異動したいって話はしてたけど人手が馬鹿みたいに足りねーからさ。もう少し、もうすこしってなんだかんだと今日まで来て。

今日まで来て。九月から、成人病棟に異動になる。

人事のことなんて患者に漏らすわけにはいかねーしさ。最後の挨拶なんてものもできないまま、連中とはお別れになるし。
こんなこと自分で言うのもなんだけど、俺がいなくなるいうたら絶対病棟の三分の一くらいは不穏になるしな。まあ、いなくなったあとのことは残るスタッフに任せることにする。

だから、見るわけもないここにお別れついでに自分語りを吐き出して。九月からまた仕事を頑張ることにする。


そもそも精神科で働きたいって思ったきっかけが高校生の頃の友達の自殺だったから、初めからこの領域に興味はあった。
あったけど、自分の過去すら全く精算できてないのに、どこの奴とも知らん、色んなもの抱えた子たちに仕事なんてできるはずなくて。
できる、って思ってたんだろうなあ。経験もずっと浅かったから、自分も同じ思いをしていた分理解できる!とか まるで浅はかな万能感のままその領域で働いて、失敗して異動になった。

俺にはここは無理だな、もう二度と働くことはないなと思ってたけど。しばらくして、人事異動で人がいねーってんでまた児童思春期に配属なって。

ただ同情をする、より境遇の近そうな患者に入れ込んで色々関わるとかなんて素人でも出来るんだよ。
それで、勝手な自己満足を得て仕事した気になることなんて、誰でもできるんだ。
そういうのじゃないんだ。そういうのじゃないのは、他の精神科領域でも全く同じなのに。
やっぱり頭の中で膝を丸めてる子供の頃の自分が、そう言う患者と関わることでわんわんとうるさく泣き始めてたまらなくなるから。

ほんとしんどかった。特に最初なんて、感情移入しっぱなしでカルテ見るたびに頭の中がザーザーうるせえし、実際しゃべってしょんぼりとした子どもの顔見てたらどうしようもなく泣きたくなった。
まあそれも、演技的にやってみたり、逆手にとって操作しようとしてみたり連中もなかなか賢い奴らばかりだからカイジくらい駆け引き繰り広げられたりもしたんだけど。
とにかく、最初のうちは自分の心を保つことでいっぱいいっぱいだったなぁ。
踏み込んだらいけない、もう失敗はしたくない、とにかく距離を。距離を置いて、と。ずっと唱えながら。

今までもときどき話を出してきたけど、俺が受けた虐待なんてずっと可愛く感じるくらい、救いのないくだらない小説の方がずっとずっとマシなくらい凄惨な思いを、仕打ちを耐えてきた子ばっかりでさ。
不幸の度合いに優劣なんて存在しないけど、とにかく、その子以外じゃ耐えられなくて死んでしまっていたようなものを、みんな抱えていた。

少しずつ距離の取り方を覚えていって。毎日毎日児童精神科の勉強してさ。ガキの頃読んでたジャンプよりも熱心に本読んで、親のいない間に探すエロ動画より必死に文献漁って。
知識は自分の盾になるから。そうすることで、仕事をプロとしてこなしながら、自分の心を保つ方法も同時に身につけていって。
少しずつ、連中とフラットに接することができるようになって。そうしたら、少しずつ向こうから、昨日誰々と喧嘩しただの、でも自分からごめんと言えただの、朝自分で起きて歯を磨けただの、嫌なニュースを見て辛くなったけど自分で休むことができただの。
良かったことも、悪かったことも。嬉しそうな顔をして、朝死にそうな顔をして仕事に来た俺に話しかけてくれるようになった。


俺さぁ、退院していくお前とか、保護室出ることができたお前とか、院内散歩出れるようになったお前とかにさ、俺のおかげでここまで来れたよ、ありがとうなんて言ってもらったけど。
こっちのセリフなんだよそれは。理由もなく襲ってくる不安感とかも懸命に生きてそれでもにこにこと話してるお前らを見てたらワイパックスがぶ飲みする百倍落ち着くことができたし、
しんどすぎてどうしようもなくて死にそうな顔して仕事に行った日とかにも顔色悪いよ?顔白いよ?お化けみたいになってるよ、って、母親より目ざとく心配してくれたお前らのおかげで救われた気持ちになったし。

頑張ったのはお前なのに、俺のおかげでなんていって俺を幸せな気持ちにしてくれたし。
こっちのセリフなんだよ。


もちろん、嬉しかったことの1000倍悲しかったことの方が多いよ。単純なストレスもでけーし、何もかも思うようにいかなくて不穏になったり暴れたりする子を、それでも毅然と対応しないといけないし。
厳しい言葉を投げかけなきゃいけないこともあるしさ。本当は、全部許して目一杯甘やかしてやりたいんだけど。100%肩入れしてやりたいんだけど。

腹立つことも死ぬほど言われたり、やられたりするしな。情緒なんていつもぐちゃぐちゃだよ。
その子の抱えてるあんまりな現実に悲しくなったと思えば、耳つんざくくらいの怒声そこかしこで上がって、常に暴力でピリつくあの空気があって、どこで覚えてきたのか想像もしたくないような暴言撒き散らかされて。頭のおかしいクソみたいな家族のふざけた言動に、本当に本当に殴りたくなる気持ちを抑えて、その子の利益と自分の領分のギリギリの線をじりじりと足踏みしながら対応したりして。
大人だから、で受け止められる量なんてとっくにみんな超えているような。修羅の世界でみんな必死に働いてて。
しんどすぎて頭が痺れてるような感覚になりながらいつも帰路についてたし、死ぬほど泣いたし酒も飲んだ。

この世界で戦ってるスタッフを俺は本当に畏怖する。俺は、自分の心のためにそれを諦めたから。戦い続けているスタッフをとてもとても尊敬するんだ。
患者も、戦ってる。スタッフも。みんな戦ってる。傷つきながら、傷つき合いながら。
お前も、泣いて。俺も泣いてさ。泣いて、泣いて、幸せになりたいって。
こんなにも辛くてきびしくて、あんまりな人生を送ってきたんだから、幸せになってほしいって。
なってほしいから、お前も全力でぶつかってきて、汚い感情も全部さらけ出して、俺も、俺たちもそれに応えてさ。

大人になると、自分が壊れるまで我慢するって癖がついてしまうから。
それを、こどもながらに強要されたお前らが、たくさん泣いて大きい声出して、時には両手を上げて怯えたような震えたような顔しながら病棟の椅子を持ち上げていたとき

嬉しかったよ、俺は。それでも、嬉しかったよ。
幸せになれると良いなあ。なれるよ。なれるだろ。きっとなれる。いや、絶対になれる。
辛かったもんなぁ。しんどかったもんよ。大好きな母親はお前に熱湯を浴びせてタバコの火を押し付けて、面会に来ると約束していたのにパチの設定が熱いからとバックれられて、
母親の彼氏に肋骨と腕が折れるくらいに殴られて犯されて、その母親にまた殴られて、
三ヶ月間も親が音信不通になって、路上で寝泊まりしてトー横入り浸ってわけわからん薬のために体売らされて性病になって、
行き場の無い気持ちをコントロールできないからたくさん家族を殴って自分も殴って嫌になって死にかけて、
大好きだと大切にしていた妹だけ母親が連れ帰って一方的に絶縁された上妹とも会えなくなって、

お前も、お前も、お前も。お前も。みんな、みんなだ。全員、絶対に幸せになれるから。
その怯えた顔して持ち上げていた椅子に座って、今度行くグループホームでパソコンの資格を取るんだと笑って話してくれた時、俺はずーっと泣くのを我慢していたんだ。

だから、死なないでな。
それだけが、俺の望みです。

たまに遊びにいくよ。別に病院自体は変わんねーしさ。いや、行かない方がいいか。でもまあ、同じ院内だし会うこともあるだろうしさ。
そのときにまた、笑ってえふじさんえふじさんって手を振ってくれ。元気な顔を見せてくれよ。
あーあいつOT出れるようになったんだなとか、外来で見つけてお前退院したんか!良かったなーーとか。

そうしたら、そうしたらさ。俺がすごく報われるから。

毎年七月にみんなで顔寄せ合って短冊書いて、願いごと書いて笹の葉に吊るしたっけな。
最強になりたい、ってクソデカフォントで書いてたやつとかいたな。めっちゃ笑ったよ。
みんなが幸せになりますように、って書いてたお前、お前が絶対に幸せになるんだよ。
お母さんに会いたい、退院したい、オヤツ買いに行きたい、スイッチ欲しい、全部叶うよ。必ず叶うよ。叶わなかったら嘘だから。

一個だけ心残りなのは、穏やかな生活ができますようにと書いたあの子の願いだけ、もう絶対に叶わなくなってしまったことだなぁ。
次生まれてくるときはさ、もう本当に全てを持っていて、幸せを擬人化したような、自分だけじゃ無い、周囲にだってそれを撒き散らしてしまうくらいの素敵な人になるんだよ。なるんだ。絶対に。
寝れないって言ってホールで日記書いてたとき、少しだけ話したっけ。
「私は、別にお金持ちにならなくていいし結婚もしなくていいかな〜、ただ静かに暮らせたらいいなあ。できたら辛くなく、ただ静かに暮らせたらいいなぁ。」枯れ葉を踏んだように小さく、そう言ったよな。
ごめんな。本当にごめん。俺ら大人がそれをできるようにしてやるべきだったのに。苦しそうな顔して首にワンピースを巻くんじゃなくて、両手に花束を持って幸せに笑いながら泣いて欲しかった。


生きることっていうのも、生活をするって言うのも、狂気の沙汰といっていいほど過酷だよなあ。
一人でいても誰かと居ても辛くて、仕事をしてても休んでいても辛くて。
心の平穏なんて頓服薬が効いてるほんの短い時間か、アルコールが回っているはりぼての瞬間でしか訪れなくて。
ずっと、常にずっと俺たちは戦っている。

しんどかったけど、心の底からムカつきもしたし悲しくなったし苦しくもなったけど、
でも俺は児童思春期で働くことができて良かったよ。本当に、良かったんだ。
お前らがアホなことしてみせて病棟中で笑い合ったり、とてもとてもたおやかな夢を見ているんじゃないかって顔をして眠っているところを見回ったり、沢山たくさんありがとうと言ってもらったり、時期の区切りに元気にやってるって手紙が届いたり、
もう、俺だってすごく幸せだったんだ。幸せだったんだよ。傷つきあいながら、泣きながら、一緒に戦ったもんな俺たちはさ。だからこそ、俺はすごくその瞬間その瞬間、
幸せだったんだ。

もう、児童思春期は十分だしお腹いっぱいだ。実はずっと精神科で働く中でみつけたやりたいキャリアの目処もあるしさ。
すげー大変だったしさぁ。割に合わねー仕事だよ。人生仕事になってしまうよこんな狂気の世界で戦い続けてたら。

でも、もし俺自身の過去をちゃんと精算できて、俺自身がちゃんと幸せだと言えるくらい自立できて、今よりもっともっとちゃんと一人前になって経験も積んでやりたいこともやったなと思えたときは、
もしも機会があれば、またこの世界で働きたい。
そう、思うんだ。

絶対幸せになれるから。幸せになるぞ。俺も、お前も。絶対に。
首になんて何も巻くんじゃねーぞ。ジャンプなんてしないで地に足をつけろよ。飲み過ぎるのは大人になったときのごくたまの酒くらいにしとけよ。
俺もそうするから。だから、お前もそうしてくれ。そうして、そのうちまた一緒に笑って手を振り合おう。俺は、私はここにいるぞってそうやって教えてくれ。

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