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意味のないことに意味がある。42歳。

会社員時代、とても忙しかったです。

正確に言うと、忙しくしていないと気持ちが悪かったのです。

もっとスバっというと、金を稼ぐ仕事をしているかしていないかで、仕事をしているかしていないかを判断していました。

例えば、セールスをしている時間は、仕事をしている時間。

成果を上げるための書類を作っている時間は、仕事をしている時間。

掃除をしている時間は、金を稼いでいないので、仕事をしていない時間。

職場の人と雑談をしているのは、無駄な時間。


休みも、休息が取れていれば、仕事につながるので意味のある時間。

休息が取れていないのであれば、仕事に支障をきたすので意味のない時間。

本を読むのも、ビジネス書であれば意味のある時間。

何の役にも立たなそうな本であれば、意味のない時間。

息子と遊ぶのだって、自分が心地よいかそうでないかで判断していた、なんと冷酷な人間だったのでしょう。

では、そんな生活が楽しかったかというと、全く楽しくありませんでした。

なぜ金を稼がないといけないのか、その意味すら掘り下げず

「会社とは売り上げを上げて貢献する場所だ」と

思考を停止して働いていたのです。

途中で完全に目的を見失い、モチベーションが0になりました。

成果もどんどん右肩下がりになりました。

家族でいる時間も、なんだか窮屈になってしまいました。

人生がガラガラと音を立てて崩れていきました。


普通の人なら、うまく折り合いをつけてまぁまぁごまかしながら過ごしていくことになると思うのですが、

私は、真正面に受け止めていき、うつ病になりました。

「一生懸命やってきたのに、なんで自分だけこんなにつらいんだ!」

こんな言葉を心の中に秘めながら、イライラした日々を過ごしていたのです。


コロナになり、仕事もリモートの日が増え、家庭にいる時間も増え、

私は仕事とも家庭とも、精神的な距離が遠くなっていく感覚がありました。

そんな中、去年の8月に思い切って、一人旅をしてみたのです。

その時「自分を解放する」ことをした時、

一瞬だけでしたが、これが自分だと思えたのです。

何事にも不安がない、完全に自由な自分。

しかし、それは幻でした。

精神的な安定は、家庭があったからこその安定でした。

経済的な安定は、仕事をしていたからこその安定でした。

そこから家庭での関係性がどんどん悪化し、離婚。

仕事も休職をし、退職。


今、家族と仕事を失って思うこと、

「意味のないことにも意味がある」

ということを大切にすることが大事なのではないかと思っています。

私は完全に分離させていたのです。

「これには意味があるか、ないか」

というジャッジがあったのです。


人生はいろいろなことがあり、

意味のないと思っていたことが、実は大きな意味があることもあると思ったのです。


今、仕事らしい仕事をしていない状態なので、時間は売るほどあります。

ですので、このような文章を書いているのです。

これに意味があるかどうかはわからず、誰かに届くといいなくらいに考えています。

誰にも届かなくても、自分の棚卸として書いているのでしょう。


人生には何があるかわかりません。

まさか、このような完全なる孤独になるとは、

半年前までは夢にも思っていませんでした。

こんなに孤独でつらい気持ちになるとは思っていませんでした。

人はなくしてから幸せなものが何だったのかわかるもののようです。

でも、私は不器用なので、なくしてしまうのです。

「人間万事塞翁が馬 」と思うしかありません。


一人になったので、欲しかった自由な時間が膨大に増えました。

増えすぎて、逆に使いきれなくなりました。

昔、意味のない時間と思っていた

「目的のない時間」「暇な時間」

をどう過ごしていけばいいのか、工夫をしている最中です。


少なくとも、心の声に耳を澄ませながら

やってみたいことをやってみる時間を作っていきたいです。

その意味のない積み重ねの先に

どんな意味が待ち受けているのか

あるいは、何も待ち受けていないのか

そのあたりを知りたいのです。

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