メシウマ教
ロシアがウクライナに侵攻するとかしないとかで
株が急落している。
週明けはリスクを取りすぎた投資家の
退場ラッシュになるかもしれない。
メシウマである。
今日は、自分の偽らざるその感情について、
綴ってみたい。
直感としては変態。
イメージ的には、
ヨダレを流す、カイジの兵藤会長。
「他人の不幸は蜜の味」
とも言われるが、そんなに単純ではない。
必死に生きようと、
逆境を乗り越えようとする姿に
メシウマ感はない。
狡(こす)く、儲けようとした者が
手痛いしっぺ返しを喰らう様に、
「天罰が下った」ような快感を覚える。
「神の裁き」という感覚は結構フィットしていて、
それが自分にも下る可能性があるところに
スリルも感じる。
特に信心深く生きたいとも思っていないが、
正直に生きるのが正しいことだけはわかる。
神のような意思が存在するとして
どんなジャッジを下すか、
どんなジャッジが下ると「神」と感じれるか。
それに思いを巡らすのが楽しい。
失敗が成功の、
暴落が爆益の、
ストレスが成功の母であるように、
メシウマは幸福の母になり得る感覚だと思う。
カネは持てば持つほど
幸福度の上がり幅は小さくなっていく。
決してマイナスにはならないから
もっと増やすが、コスパは悪い。
ただメシウマは違う。
欲望に溺れ、資産を溶かした額が大きい程
味わい深いものがある。
自分の損得に直接関係ない場合でも
自分が自立できている状態をありがたく思える。
その物語を想像するほど、
それほど愚かしいことに思えなくなり、
教訓を得られることもある。
だから大暴落が色んな意味で待ち遠しい。
戦争は許せないが、暴落はウエルカムだ。
暴落に対する態度、
ストレスに対する態度、
他人の不幸に対する態度、
幸福の鍵を握るのは、その態度にこそある。