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お鍋に込められたもの

 先日、名古屋丸善に夫と二人で行って、面白そうなエッセイ集を買った。池波正太郎や安野モモコ、島本理生、阿川佐和子らが書いているお鍋のエッセイ集『ぐつぐつ、お鍋』。
 もしも私に、「鍋料理に関するエッセイを書いて欲しい」という依頼が来たら、私は迷いなく、お鍋という料理は謂わば、その家庭の文化だと思い、そのことを書くだろう。
 私にとって鍋料理とは、結婚する前とした後とは違うが、結婚前は「母のぬくもり」だった。私の家は、私が物心ついたときから父と母は不仲で、父には愛人が居たから、家には滅多に帰ってこなかった。だから、私が小さかった頃はあまり家で家族で鍋を囲んだ記憶は薄い。しかし、私が短大を出て社会人になってから、母はよく寒い冬にはお鍋を作ってくれた、定番の白菜、白滝、椎茸、長葱、人参、鱈、鶏肉を入れた水炊きから、じゃがいも、ウインナー、人参、ブロッコリー、玉ねぎを入れてマギーブイヨンで煮込んだポトフまで。冬になると母の鍋料理が楽しみだった。
 結婚してからは、と言ってもまだ5ヶ月しか経ってないけれど、夫は週末になると、寒い時期は、よくお鍋を作ってくれる。夫の作るお鍋は、白菜、えのき、しめじ、人参、長葱、鶏肉、ウインナーソーセージ、と具沢山で味も味噌鍋だったり、キムチ鍋だったり、あご出汁風味の鍋だったり様々。それも、土鍋で作るからぽかぽか温かい。そこにはもちろん夫の優しさだったり、ぬくもりだったりそしてもっと深掘りすると、今まで夫が生きてきた家庭環境の、お義母さんやお義父さんの深い愛情から生み出された夫の家庭の文化まで見えてくる。夫の亡きお義父さんの親族と、お義母さんの親族には会ったことはもうあるが、両家に共通しているのは、両家とも、親切で明るく朗らかな人たちがたくさんいることだと思った。それも両家とも長生き家系で、とても元気な人たちばかり。
 お鍋からは少し逸れてしまいそうだからあれだけれど、お鍋や、シチュー、カレーなんかもそうだが、鍋料理とは、作るその人の優しさやぬくもりや、何か日々大切にしているようなものが込められている料理だと思う。世の中には、美味しいものならいくらでもあるが、私は鍋料理のような、その人の思いが凝縮された料理が好きだ。私はそんな鍋料理を心を込めていつも作ってくれる夫に感謝しているし、「この人と結婚して、本当に良かった」と思えるのである。

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